【休職教員】休職までの出来事②

前回の続きです。
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4月後半には、もう完全に学級崩壊になってしまっていた。
学習で指示をして活動(ノートをまとめる、観察などの比較的時間差があるワークシート作成)をするも、なかなか進まない。何とか大多数が始めたと思ったら、「きれいに仕上げる」「もっとよくするにはどうするか考える」といったブラッシュアップが常識ではなかったので、5分くらいで適当に仕上げてしまい時間が余ってしまうということがあった。

これまでの学級の子たちなら、大多数の子が真剣に取り組んでいたので学級の雰囲気が”やる”雰囲気になっていた。だから、苦手な子ややりたくない子について褒めたり、ある程度遠くから見守ったりすることができた。
でも今回は1/3くらいの子が”やらない”ので、どう指導していいか分からなくなってしまった。というよりも、そういう想定ができていなかった。

そんな日々を過ごすうちに、「担任はずれた」「終わってる」「隣のクラスが良かった」「あの担任、なんで結婚できたんだろう。」などの声が教室で聞こえるようになってくる。授業が始まっても廊下にいる子に「教室に入ろうか」と近づくと、「触るな」「気持ち悪い」「うざい」との声。声をかけても無視する子も増えてきていた。休み時間に教室を離れた際、教室の教師机にビニールテープで「うざい」と貼られていたこともあった。 

これまで学級がここまで崩れた経験がなく、初めてわかったことなのだが、学級崩壊すると一番苦しいのは、給食・掃除の時間だった。当番は集まらない、仕事はしない、声をかければやる子はいるが配膳に20分以上かかる、残食は大量に出る、教室で食べたくないと給食をもって出ていく…指導しなければ、話をしなければと思うものの、どこから手をつけていいかわからないと思ってしまった。

今でも一番申し訳なく思い、辛さを感じるのは、一生懸命やろうとする少数の子の諦めが見えたり、そういう子がやらない子から攻撃を受けてしまったこと。それは何を置いても指導すべきだったし、守るべきだった。そうできなかった自分は本当に情けないと思うし、今でも許せていないところがある。

同僚の先生方は、たくさん声をかけてくれたし助けてくれようとした。
こういう風に話をしてみたらどうか、というアドバイスももらったし、辛いという話も聞いてくれた。SOSを出した所、管理職を含め会議をしてくださったり、手の空いた先生が教室に入ってくれたりした。そして、「あなたのせいではない」とたくさん言ってもらった。また驚くことに、「昨年よりも子どもたちのやる気を感じる」という言葉もあった。
ありがたいと思う反面、ある程度経験がある自分がここまでしてもらって申し訳ない、自分は何の役にも立っていないと思った。そして、去年から大変だったそうなので現状は確かに自分のせいだけではない。それでも、この状況は自分の責任も大きいと思っていた。そして、この状態が去年より良いと言われる他の先生方の感覚に、合わすことができなかった。

最初の頃は”学級の状態=担任の責任”だと感じ、何とかならないか模索し、相談を繰り返していた。
それがだんだん、自分の責任ではあるものの、この状況は辛いしとにかく逃げたいと思うようになってきてしまった。教室にいるのに頭がぼーっとしてしまうこともあった。自分の周りに白いもやのようなものが浮かんでいる感覚になることもあった。子どもたちの前では泣かなかったものの、放課後は勝手に涙があふれてとまらなくなった。
学級がこの状態になったら、担任ではどうしようもできない。しかし去年よりも良い状態なのなら、担任が変わればうまくいくんじゃないかという思いも出てきていた。また、ぼーっとしながらも「学級崩壊って、こうなっていくんだ。」とか「もういいや。無理だ。休職しよう。」などの勝手な考えも出てくるようになっていた。

身体症状は4月の中旬から出ていた。
食事がなかなか喉を通らない。朝食は気持ち悪くて食べられず、おかゆとゼリーを流し込んでいた。夕食はこれまでの半分くらいなら食べられたので、ひとまずは安心していた。
睡眠も乱れ、なかなか寝付けない。23時に布団に入るも、1時間くらい寝られず。また、2時頃・4時頃と度々目を覚ましてしまい、朝を迎えるといった感じだった。5時頃目が覚めて寝られなかったので起きたものの、刻一刻と迫ってくる出勤時刻へのプレッシャーに耐えられず、体力的にしんどいはずなのに、朝から泣きながらランニングに行ったこともあった。
また、涙や動悸がなかなか止まらなくなった。車で出勤していたのだが、行き帰りはずっと泣きながら運転していた。朝学校に近づいた時、教室に上がる時などに動悸がした。帰りは動悸はなく、涙が出るだけだった。よく「うわぁぁぁぁ!!」と叫びながら運転していた。5月に近づく頃には、「今事故すれば出勤しなくてよいのでは…?」という考えも出てくるようになった。今思うと、事故しなくて本当によかったと思う。

そして、授業・生徒指導以外の仕事も負の連鎖でしんどくなるようになった。これまでできていた事務処理などに時間がかかるようになったり、授業のテンポが悪くなったり、頭が働いていない感覚があったりした。なんとかこの連鎖を止めたいが、どうすればいいのか分からなかった。

このように、授業はボロボロ・体もボロボロだったが、どうにかこうにか4月はやりきった。体重も2kg減ったし、表情もおかしかったとは思う。GWは何もせず家にいるのが辛いけれど、結局何をする気力もなくて、寝たり起きたりの繰り返しだった。我が子のお世話はできたので、それくらいの余裕はあったのかなと思う。

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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次は、休職になった詳しいいきさつを書こうと思います。


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