僕にとってMimosaとは
16歳は夢を見る
僕は高校生の頃から、細かく言うのなら中学三年生の頃からバンドというものに大層人生を狂わされてきた。それはもう笑けて来るぐらいに
UNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介に憧れて、高校1年生の頃にアルバイトをし、1万4000円ぐらいのギター初心者セットを買った。
そこからはもう狂ったほどにギターしか弾いていなかった。
学校から帰ってはギター、バイトが終わったあともギター。何も長続きしなかった自分からしたら初めて熱中できるものだった。
16歳から僕は夢を見るようになった。
「バンドマンとして生きて、バンドマンとして死んでいくこと。」
高校2年生、マナトと出会う
高校2年生の確か夏頃に僕のバイト先にマナトが来た。彼は工業高校、僕は専門学校に通っており。最初は囲碁将棋部に入っていると聞いていたが話をしていくうちにドラムをやっているという事実が発覚。
軽音部という概念が存在しない僕の地元では非常に貴重な仲間だった。
直ぐにバンドをやろうと伝え、そこから僕が東京に上京して来ても関係は続いておりMimosaのドラムをやってくれることになった。
マナトくんにはとても感謝している。
彼には助けられてばかりだ。
2023年4月 Syoshi襲来
東京に来てから最初はマナトと2人でバンドをやろうと考えていたが、やはりスタジオに入ると「ベースが欲しいなと…」と考えるようになる。
以前よりTwitterで繋がっていたSyoshiという男に僕はコンタクトを取る事にした。
僕が最初にコンタクトを取った時点で分かっていた事前情報は
・福岡から東京にやってきた
・ベースをやっているぽい
・ユニゾンとXIIXが好き…?
・ジャズもやってるのか…?
ぐらいであった。
3人で初めて顔を合わせる当日
僕は「どんな大男が来るんやろう…。」
「ムキムキでぶん殴られたらどうしよう…。」と最悪の想像をしながらSyoshiを待っていると
コーヒーを持って歩いている細身で高身長の男性が僕の所に近づいてきて一言。
「しょしです。」
それが初めてのSyoshiと僕らとの出会いでした。
そこから現在までMimosaの大事な頭脳であり、ベーシストとして支え続けてくれている。
本当にありがとう。
Mimosaっていうバンドがいるらしい
そして、Twitterでも度々公言しているが
Mimosaというバンド名はカネコアヤノのセゾンという曲の歌詞の一節から貰ってきている。
Mimosa(読み:みもざ)はお花の名前である。
本当は、○○ズ(ビートルズ、毛皮のマリーズetc)など最後に「ズ」がつくバンド名を考えていたが何も思い浮かばず。
諦めた僕はSpotifyで音楽を聴くことにして
シャッフル再生で1発目に流れてきたのが
カネコアヤノのセゾンであった。
初めてのライブは友人から誘ってもらった
大学サークルのイベントで会場は下北沢WAVER
そこから僕らMimosaの活動が始まった。
僕にとってMimosaというバンドは宝物であり。僕はこの3人でバンドを続けていきたいと切に願っている。
僕はマナトとSyoshiのことが大好きなのである。この世の誰よりも。
「Mimosaっていうバンドがいるらしいよ。」
そう、街中で呟かれる日を願って日々活動している。