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元商社マンが450万円の借金を作るまで
こんにちは!
【ジンリセ】です
今回は、自己紹介でも話した
450万円の借金が生まれた経緯を綴っていきます
もし、僕の自己紹介を読まれていない方は
先に読んで頂けると有難いです
1. 学生時代 ~奨学金を私欲のために使う~
僕は関西の私立大学(関関同立)の理工学部を卒業しました
4年間在籍している間の、後半2年間は、奨学金を借りました
3つ下の弟がいて、弟が私立大学に進学する際に
「弟と僕の2人分の大学費用を支払うことは、親にとって大きな負担となる。だから僕は奨学金を借りよう!!」
と思い、自ら親に進言し、3年生からの学費は奨学金を借りることにしました。
理系であったために、年間で約120万円
2年間で合計240万円の奨学金を借りました。
ただ、一見、親思いのようなこの行動、実は大きな過ちを当時から僕は犯しています。
当時、奨学金は親の口座に振り込まれるのではなく、僕の口座に毎月、振り込まれていました。
(確か、年間120万円の奨学金が、月割りされて、毎月10万円が振り込まれていたはずです)
年度が始まる初月に1年間の学費(120万円)を大学に振り込む必要があったので、それは親が先に支払い、その後、僕の口座に振り込まれた奨学金を、何か月分か纏めて親に返すという流れでした。
しかし、当時の僕は何を血迷ったのか、親に渡さなくてはいけない奨学金を渡さずに、自分の遊びに使っていました。(当時付き合っていた彼女とのデート代や、服に使ていました)
今、思い返しても狂気の沙汰ですよね。
人として本当に終わっているなと。
父親には、バチバチに怒鳴られましたが、謝罪をして、何とか状況は改善しました。(結局、親には60万円程の貸しができました)
これが、人生で初めての大きな借金と
不健全なお金の使い方をした経験です。
2. 社会人時代① ~借金で豪遊した商社時代~
新卒で大手商社に入社しました。
「商社」=「高給取り」というイメージを持たれている方が多いかと思いますが、当時、新卒の給与はそこまで高くなかったです。
僕の場合、1年目は毎月の手取が約20万円
ただし、6月に夏の賞与として寸志の10万円
12月に冬の賞与として60万円
この2つの賞与は、比較的、他の同級生と比べても当時は良かった方だと思います。
ですが、この1年目から僕は大きな借金をしました。
まずは9月頃に外車(約320万円)を購入しました。
「商社マンであれば外車に乗れ」
という先輩からの教えを受け、購入しました。
(その先輩が悪いわけでなく、僕がその教えに納得して購入しました)
そして10月頃に、お金がなかったので消費者金融で30万円を借りました。
当時、お金が無く、先輩との飲み(合コン)やゴルフを断りだした時
「冬(12月)になれば賞与が入ってくるから、その時に返せばいい」
という、またしても先輩からの教えを受け
人生で初めて消費者金融でお金を借りました。
当時は、スマホで簡単に借りれるような仕組みはなかったので
駅の近くの無人窓口で、個人情報を登録し、ATMのような機械から
お金を引き出しました。
無人窓口の独特の臭いや雰囲気は今でも覚えています。
よって、1年目の12月には約350万円の借金がある状況
奨学金を合わせると約590万円の借金がある状況でした。
ただし、2年目以降、夏と冬の賞与が合計で150万円以上出たりすることから
社会人4年目が終わる27歳の時には、消費者金融の借金は0円。
自動車の借金が160万円、奨学金が120万円程になり
合計の借金額は280万円程になっていました。
この社会人の若手時代に
「多額(300万円以上)の借金をすること」
「消費者金融を使うこと」
「お金を貯金せずにどんどん使うこと」
この3つの抵抗がなくなった、この癖が僕の人生にとって大きな影響を与えることになったのだと、今は振り返って思います。
3. 社会人時代② ~一発逆転を狙った副業で大失敗~
28歳になった時に、人生の転機がありました。
母親の体調が悪くなり、入退院を繰り返す日々
そして、自営業をしている父親の事業が上手くいかず
家族全体がピンチの状態になりました。
この時から、親と過ごす時間やお金が増えました。
当時、商社マンとして年収は比較的良かったものの
更に、お金と時間が必要になりました。
商社時代は、コロナ前であったこともあり
業務外の付き合い(平日の夜や、土日の接待)が多く
時間が無かった
また、給与水準は高いものの、お金を使う場面も多かったことから
商社マンとしての仕事を続けていくことに限界を感じていました
その時に、考えたのが【副業】です
副業として《競取り》《アフェリエイト》《仮想通貨》をまずは手にしてみました。
各々のセミナー等に参加し、必要な経費(数十万)を初期投資として支払い
副業を始めてみました。
副業を始めると、時間が必要となる為に
その他の要因も含め、会社員の収入は下がるものの
営業コンサルの仕事に転職しました。
「会社員の収入(ベースの収入)は下がるが、空いた時間で
副業で収入を増やしてやる!!!」
当時の僕の気持ちです。
ただし、そこから
・副業が失敗し、初期投資のお金を無駄にしたこと
・転職後、給与が下がったが(700万円→550万円)、生活水準を下げなかったこと
・一方、家庭の事情で支出が更に重なったこと
等などの要因により、気が付けば消費者金融4社から借金をし
クレジットカード2社のリボ払い残高が最大限迄、溜まっていました
そして、32歳になったときには
「お金が借りれない」「クレジットカードが作れない」という
ブラックの状態になっていました(信用調査機関CIC、JICCを使用し、個人で調査しました)。
そして33歳になった現在(2024年12月)、約450万円の借金があります。
毎月、借金の返済で約15万円
また副業が上手くいかなかったときに、こんな僕にお金を貸してくれた友人への返済と、家庭の事業での支出として、毎月約20万円の支出(固定費の支出)があります。
つまり、生活費以外で毎月約35万円の支出がある状態です。
(今回、この記事を書くことに伴って、自分の家計を再度整理したのですが、自分でも呆れるぐらいの支出があるなと思いました、、、笑うしかないです)
4. そして、これから
お話しした通り、毎月35万円の支出があるので、節約でどうにかなる生活ではありません。
また、「債務整理」も考えましたが、債務整理を行うと
・ブラックリストに長期的に乗る
・銀行口座が凍結する
・保証人に請求がいく(奨学金の残額)
のリスクがある為に、債務整理を断念しました
なので、会社以外の仕事、バイトや個人事業の請負等で
自分の使えるリソースを切売りし、お金を生み出すことに日々、努めています。
正直なところ、このnoteを始めたのも「どこかで金になればいいな」という思いもあります。
社会人10年を経て、体感したのが
『楽して長期的にお金を稼ぐことできない』
ということです。
SNSを見ていると「楽してお金を稼ぐコツ」という
投稿や広告をよく見ますが
お金を稼ぐには、必ずリスクや時間を投資してると思います。
仮に、時間をあまり使っていなかったとしても
・少数派の事をするリスク(仮想通貨の黎明期など)
・不明確なことに挑戦する勇気
等が必要になり、心理的なハードルを乗り越えていると思います。
それらは決して楽ではない。
それらを、経験したからこそ
僕は、今は全うに働き、お金を稼ぐことに決めました。
こういう決意は年の始まりに行うことかもしれませんが
それだと遅いと思い、2025年は全うに働き、健全に稼ぐという決意を持ち、この年末からスタートしました。
ひとまず『やるしかない』ので
そんなアラサー男の、人生のリベンジ劇を、届けられたらなと思います。
まずは直近の目標は、借金を半分に減らし、親と奥さんに
2025年内に、夕食をご馳走することです。