恒星系意識と惑星意識と衛星意識
恒星とは太陽系における太陽のように惑星である地球からは恒常的にとどまり輝く星のことを指しますが、そのようにある一定レベルの意識状態においてある領域内での中心として恒常的に光り輝いているような意識のことを恒星系意識と言います。
惑星は地球のように、恒星系上の軌道を周回する遊星の1つですが、まったくの光を放っていないわけではありません。しかし、多くのエネルギーの供給を恒星つまり、地球にとっての太陽のような光に依存しており、また自転や公転による恒星との位置関係によってそのエネルギーバランスも地球でいう季節や地上の各地によって異なります。
衛星は、地球では月に当たる惑星に従属する星のことですが、この衛星の特徴は自身では発光能力を持たず、完全に中心星のエネルギー供給に依存している星です。
これらの名称やその意味は重要ですので覚えておいてほしいと思います。
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次に、アセンションをこの名称を用いながらご説明していきたいと思っています。
私たちの今生きている地球という惑星上の地上においては、その物理的配置と同様に意識の基準となる水準も惑星意識が基準となっており、衛星が付属する惑星ということで、恒星系意識の影響下にありながらも衛星意識の下限意識水準をもつ、広範囲に及ぶ意識水準の範囲が設けられております。
この、惑星意識という基準の意識水準が、恒星系意識へと推移し、物理的にも地球が惑星の配置から将来的に恒星の配置へ推移するプロセス(過程)のことをアセンションと呼んでいます。
この惑星意識において特徴的であった、「迷い」や「誤り」、「光のない物質的な世界観」が恒星系意識の上ではほとんど表現が制約を受けますから、「争い」、「誤解」、迷妄に生きること」等の人間的迷いに関係する人間活動の全般ができなくなります。
このときに、のちの地球に残され、その環境において体験を続ける人々は、意識状態が恒星系意識と調和している人々となるわけですが、恒星系意識が基準となるということや、そこまで行く段階的なプロセスが用意されていることなど、グレーな人々が数多く存在することも確かです。このグレーな人々が新しい恒星系地球へ転生を共にするのかどうかが現在地球圏で転生している個々の魂にとっての選択となっていきます。
簡単に申し上げますと、意識の進化を自ら望み新しい環境での学習をするのか、また継続して同じような環境で学習を続けるのかを選択することになるということです。
もし、同じ環境を望んだ場合、このとき、地球には転生場所がなくなりますので、別の惑星への転生が行われると思われます。
もし、別の惑星への転生をすることとなる場合、そこでは地球とあらゆる状況が同じとは限らないために、また一から惑星適応の段階から学習をやり直し、同じようなまたその環境ならではの体験や魂の計画を歩むことと思われます。
もちろん、そこでは個々の魂のこれまでの経験によって早くから別の環境へ移る魂もいると思われますし、また地球同様の期間を過ごすことも考えられますが、その中でこれまで蓄積していた経験がある種無駄になったり、一から表現の書き換え等を行わなくてはならなくなったりと魂の計画上余計な過程が多分に出てくる可能性が存在しているために、どちらかと言えば、その余計な過程を回避する程度の圧力をかけていきながら、地球人類をできるだけ多く、新しい地球へも連れて行く方針となっています。
宇宙的には、中心に近いほど環境として温和かつ豊かでより精神性が高く自由な活動が許されていますから、そちらに導くことは地球人類としても悪いこととはならないはずです。
ところが、今の地球人類の意識レベルだと、多くの魂が恒星系意識へ期限内に辿り着けないで惑星意識の継続になる可能性が高いために、頭を悩ませる霊的奉仕者たちもいます。
地球人類としては、わざわざ環境など変える必要はない、霊的な導きなど余計なお世話だと思うかもしれませんが、これには深い理由があります。
地球人類というのは現在は1つの集合体となっています。しかし、のちに地球が恒星系意識の星になると、根本的に地球人類の集合体に分離が起き、惑星意識を継続する魂の集合体は別の集合体と合流することになるでしょう。
この状態が、調和世界から観れば、悲しみや怒りといった不幸とも思える感情の支配が現在の地上世界よりも更なる増幅された世界となって、本当の苦しみから解放されないような転生経験となることが解っており、霊的なこれまで指導にあたってきた奉仕者たちの愛とその指導の責任として、なるべく多くそのような環境に入れたくないという神の御意志もはたらきながら意識を恒星系水準へ導いて行く様々な活動が地上に対して展開しています。
ですから、あまり、楽観的に考えられる惑星意識の体験の継続というわけではないのです。
ただ、自身の行いを自身において学び直すということで、地上で利己性によって幸福を得てきた人々が同じ意識環境を選択し、意識の向上を望まないということも本人の自由意志の範囲内であるために、なかなかスムーズな意識の移行ができているとは言い難い現状にある人々も多くいます。
イエスの言葉の中にもこれらのことについての記述が残されているので、よく知りたい人は新約聖書の内容から学ぶことをお勧めしておきます。
終わりの日や人の子の再臨という箇所です。
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