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考えたこと(手放しとは)

またもやゆるく(?)書いていこうと思う。

「必要ない感情を手放す」という言葉をよく目にするようになったが、度々「必要ないとはなんぞや」と疑問に思っていた。
感情に良い悪いもないと言われているものの、いわゆる重いエネルギーの部分は必要ないといわれ早く手放していくことを推奨される。

悪くないものなら持っていても良いのでは?でも、良くもないからどっちでも良いのかも、と何故手放すことを勧められるのか謎だった。苦しいものに囚われ続けたくないのは分かる。苦しいより楽しく生きていたいのは自分も同じだ。断然心地良い方がいいです。
だけど謎に思うのはなぜか、モヤっとするのはどうしてなのか、ふとした時に深堀りしてみた。


そうしたエネルギーを持っている自分、感情を感じた自分、そうしたエネルギーを持ちながらも懸命に生きていた自分を否定されているような気がしてモヤっとしていたわけだ。
なるほど、自己否定感があったため「手放す」というワードが否定的な響きで聞こえていたということか。ここで自己否定感があることに気付けたのは成長だ。


そして色々考えてみた結果、「必要ない感情を手放す」とは「今はもう大事に持っておかなくていい感情が心にずっと錆びついて残っているなら、それに気付いて対処してあげよう」の意味だと解釈するに至った。そんなこと既に分かってるよ!または、えー?違うよ!そういう意味じゃないよ!という方大勢いるだろうけど、あくまで一個人の視点からみた解釈です。今後変わっていくことは十分あり得るのですが、今自分に出来る表現で言葉にするとこうなった。

重たいといわれる感情を感じてはいけないことはないと思う。必要ないと表現されているものの、必要ないものではない。必要ないなら最初から存在しないと思いますけどどうなんだろう…(個人の考え)
今の自分には必要なくなった感情かもしれないけど、過去の自分がその感情を体験することが必要だったのかもしれない。そこから何かを学び、大切なことに気付くため体験していたのだと思う。
ただ、もう必要な時期が終わったのに、ずっと持っていることが当たり前だったから意識しないと見つけられない、手放せない状態になっている感情がある。心に錆びついて離れない、手に持っていることすら気付けないほど、こびりついているのかもしれない。

だから、一旦気付き、対処することで心の掃除をする。心機一転できるきっかけをつくる。心の隙間を作ってこれからのためにスペースをつくる。それが、「必要ない感情の手放し」に関する自分の解釈です。分かりやすい表現 is difficult。


重たいエネルギーと言われる感情を感じるのも人間らしくて生きてるって感じします。人間味あって良いと思う、あくまで自分はね!
それを感じたときに「自分は駄目だ」と責めることなく「今の自分こう感じているな」とあるがままに受け入れることが大事なのかなと。感じたエネルギーの良し悪しを自分でジャッジしないことが大切なのかもしれない…書きながら自分にも特大ブーメランぶっ刺さりました。自分も心掛けていきます。
そんな自分をそのままで素敵だねー、とゆるすことができたらトゲトゲしていた感情も穏やかになると思います(多分)
そして、心地良さを感じるべく美味しいもの食べるもよし、お風呂に入るもよし。
そんなことこんな感情で出来るかよ!という時はとことん落ち込んでみるのも良いと思います。落ち込みすぎたら飽きますし、そのあとは這い上がるだけなので(荒療治か?)


なにより焦らないことが大切だと感じます。重たいエネルギーを感じた、早く手放さないと!と焦っていたら余計に落ち込みそうな気がします、なんで自分はこう感じるんだろう、手放せないんだろうってグルグル悩んで蟻地獄にはまっていくみたいな…自分もそういう時ありましたので!
そうなった時は忘れるが勝ち、手放しなんて考えない、出来なくていいや〜で過ごせば大抵のことはどうでも良くなります。

そんなこんなで焦らず手放していこうと意気込んでいた時、問題が発生した。
色々手放したいことはあるはずなのに違和感を感じる、手放すことに気が引ける、なぜ。
ここでまたもや深堀りタイム。


考えた結果、自分が大事にしたいものまで手放そうとしていたからみたいです。
大事にしたいものとは何か、上手く言葉に出来ているか分かりませんが、今のところ「今まで生きてきた自分、過去の自分」と表現します。「過去の全て」とも言えるかもしれません。
過去の自分を置いてけぼりにしようとしていた。というか、過去の自分ごと捨てようとしていたのかもしれません。過去の自分=重いエネルギーだらけの自分、と無意識に定義づけていたみたいです。楽しさを感じた思い出だけを持って、重いエネルギーを感じた経験を無理矢理良い方へ解釈しようとしていた。

そうしていると急に過去の自分に胸ぐら掴まれて「忘れようとすんじゃねえぞワレ」と喝入れられた気がしました。重いエネルギーを感じていた自分を、自分の解釈で否定し、忘れようとしていたのだと思う。
でも、どうやらそんなことはしなくて良かったみたいです(私の場合は)
後悔や苦しさを抱えていた自分をそのまま受け入れる、それで良かったんだと、そういう感情も自分を作り上げた大切な要素だと受け入れることで少し納得しました。
今の自分がいるのはこれまで毎日を生きてくれた自分がいるから。傷だらけになっていても、重たいエネルギーを感じ、持って生きていたとしても大事な自分。苦しいこともあったからこそ、あの時嬉しかった。辛い思い出も楽しい思い出も折り重なってできたのが過去の自分で今日まで生きてきた自分。それを今の自分が忘れる、変えることなんてできません。現在まで人生を繋いでくれた大切な存在です。

だから、そんな自分も抱えて進んでいきたいと思います。そのままを受け入れて手を繋いで一緒に連れていきます。手放せてないのかもしれませんがそれで良いのです。暗い所に置いていくより、手を放すより晴れやかな気がするので。
何かを得るために大事にしたいものを手放す必要はないはず。
もういいよ、となったら笑顔で送り出せばいいので。タイミングが来るまで共に歩んでいきたいと思っています。

そんな感じで色々考え、手放しに対するイメージを改める必要がありそうだと思った。
そこで、手放しを「これは必要ないねー」と単に捨て去るイメージから、感謝して自分のもとから旅立たせるイメージに変えてみた。放す、より旅立たせるの方がしっくりきた(細かい)
錆びついて解けなかった鎖が綺麗な鳥になって羽ばたいていく、または宝石になって空に昇り花火として咲き誇るみたいな感じ。
そして、手放したはずのものがまたやってきたとしても、気が済むまで自分のもとで休ませ、タイミングが来たら送り出すくらい心にゆとりを持っておけるようになりたいと思っている。
少なくとも今はこういう考えです。
手放しってそういうものじゃなくない…?と思われるかもしれませんが人の数だけ解釈は存在しますので、そのうちの一つってだけかーと軽く流してください!正解なんてないもんな!(自分に言い聞かせてる)

自分の腑に落ちる解釈、イメージを見つけることって大切だな…自分次第で言葉から受ける印象が随分変化するので、疑問を感じた時は一旦立ち止まって考えることをこれからも心掛けたいと思います。
色んな視点から観察することは大事!(これも自分に釘を刺してる)



…全然ゆるくないのだが??
しかも所々かっこつけてるーーーれもんのいれもん。
そもそもテーマが真面目過ぎた、ゆるく出来ませんでした。

とりあえず、
違和感をもとに内観すると発見がある。
手放しって焦らないのが大切だよな。
大事にしたいものは持ってていいよね。
という話でした。

これは、あくまで一個人の視点からみた解釈です。色々な見解があって然るべきです。様々な意見があると思いますのでそういったものに触れながらも、ご自分の視点を大切にされてください。世界で一つの視点ですから!


まとまりのない長い記事が出来上がってしまった…。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。







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