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無数の世界

この世界や宇宙のことについてぼんやり妄想してたので思考整理として書いていきます。


最近思うのが、人は「自分」という一人称による解釈で創り上げた世界を生きている、そのため人の数だけ世界があり宇宙が存在するのだろうなーということ。



生まれた場所、時代、経験、感性、価値観など人によって異なり、全く同じだという人はいないはず。同じ場所で同じことを体験したとしても人により受け取るもの、感じることは異なると思いますし。
それは皆が独自の視点を持っておりその視点から見た世界を生きているからなのかもと考えています。
人間としてこの世に生まれた時点で個人として存在し、その人にしかない視点を持っていると思う…個人的な意見ですが。

同じ花を見たとしても「綺麗だ」と感じる人もいれば「この色好きじゃない」と感じる人もいる。
ミカンを見たとして「ミカン」と答える人もいれば、「せとか」と品種を答える人もいるかもしれない。そしてミカンを好む人はミカンを見て嬉しくなると思うが、ミカンに対し苦い思い出がある人は一歩引いてしまうかもしれない。ミカンはあくまで例です、恨みがあるわけじゃないから悲しげな顔しないでミカン!ミカン好きです。ミカンがゲシュタルト崩壊起こし始めたので例え話終わります。
つまり(?)、同じものを見たとしても感じることやそれに対するイメージは人により千差万別である、そうしたことが起こるのは皆が自分という独自の視点を持ち、独自の世界観をもとに物事を解釈しているからだと考えています。
一人一人異なる世界観で生きているのだと思う。


他人の意見を見ていて違和感やズレを感じたときに、自分には自分の世界があるように相手にも相手独自の世界があるのだと想像することは、冷静に物事を観察するために大切なことかもしれないと考えます。
そうしたズレを感じたときに、自分の世界観にがっつり執着していることは少し危ういと感じている。
「これが全て、これが正解!」と激しく思い込んでしまうことで視野が狭まり窮屈な思いをし、他の人を攻撃することに繋がる可能性があると思うので…自分も肝に銘じておきたいものです…絶対的なものってないもんね…それを忘れそうになるけど思い出すんだよ自分…(自分に言い聞かせてる)


「自分はこの人の世界観とちょっと合わないかも…苦手…」と感じるなと言いたいわけではない、そう感じたことは大切にしていいと思います。その感情を分析することで自己理解に繋がることもあると思いますし、否定しないで受け入れることが大事だと感じます。自分の感覚大切に…!
「そういう世界もあるんだな」と眺める感じで良いかと。その上で良いじゃん!と思った部分は自分の世界に取り入れていいと思いますし、合わないところはそういう世界もあるんだなーくらいで軽く流して大丈夫だと思います。そして見なかったことにして忘れる、自分の心を守るって大事なことなので忘却魔法使いましょうオブリビエイト。


自分の世界を大切に出来るのは自分だけなので大切にして良いと思います。自分の世界を一番大事にされてください。
それに加えて、自分とは異なる視点から見た世界があることを想像できる余白を頭の隅に置いておくことは、色んな存在と共存していくために大事だなと感じています(個人的な考え)
柔軟さを持っている方が自分も自分自身の制限にとらわれにくくなると思います。
私自身、常にそう思うのは難しいと思うので、余裕がある時だけでもそう思えると良いのではと思う…自戒のために言ってる。


そうした視点と世界について考えていると、自分が自分である限り、自分という視点を完全に失くして物事を見ることって難しいのだろうなと思いました。
別の視点から捉えようとしても、その視点に移動することを試み、そこから受け取った情報を処理するのは自分なので今までの経験則や思い込み、自分の考え方が少なからず反映されてしまうのでは?と思う。そのため、100%客観的な視点から見ることは難しいと感じます。
だからと言って、自分の視点にばかり固執していると自分の首を絞めることになると思います。
そのため、意識的に俯瞰して物事を観察することは、視野を狭めないためにも大切になると考えます。
主観で物事を見ていることに自覚的になる、それだけでも自分という枠から少し離れた視点で観察できるようになるのでは?と思っています。


また、「事実」と呼ばれるような実際に起こった事柄をそのまま語ることも、誰かの視点を通してその物事が語られる限り難しいのではと考えています。行き過ぎた考えかもしれませんが、色んな視点から同時に物事を観察し事実を事実として全て語れる人はこの世に存在しないのでは?と今は感じています。哲学…。

そして、嘘偽りのない本当のこととされる「真実」も一つではないのだろうな、と考えています。ある人にとっての真実は別の人にとって真実ではないかもしれない。全員にとって共通の真実は数少ないかもしれませんし、存在しない可能性だってあるなと思います。あくまで可能性の話ですが…。
それくらいフラット(?)に考えている方が私にとっては丁度良いと感じています。


ある人の宇宙には、今の地球とは別の歴史を辿ってきた地球が存在するかもしれない。

またある人の宇宙には、この宇宙とは別の、地球や太陽や月が存在しない宇宙があるかもしれない。

「かもしれない」ばかりですが、案外「かもしれない」で世界は成り立っているのかもしれないですね(?)
ありきたりな言葉ですが、世界や宇宙って広いなと思います。インフィニティワールド。



色々と話が飛んでしまいました。
以上、人の数だけ世界や宇宙はありそうだという妄想の話でした。
自分によって知らぬ間に創り上げた唯一無二の世界を楽しんで生きていけたらと思います。


ここに書いたことは、あくまで現在の私の視点から見て考えたことです。
未来の自分、どうかこれにとらわれないで柔軟な考えを持ってほしいと思います。




最後まで読んでくださりありがとうございました。






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