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矛盾という存在

何か書こうかなーと思いながらも考えがまとまらないことについて記事を書いてみる。何を言ってるか自分でも分からない。

気付いたことや考えたことについて書こうと思っても、文章にしてまとめられないのである。
万人にとっての正解はないに等しいと考えているが、少なくとも自分の中で納得できるまとめ方はあるのでは?ただ、自分の中で矛盾する考えがいくつか存在しているためまとめるにまとめられないわけだ。

そこで私はこう考えた。


自分の考えを一つに絞る必要ないのでは?
うまくまとめようとする必要もなくね?
まとめられないってことも今の答えでは?

人によって価値観は違って同じ考えは1つとしてないように(あるかもしれないが)自分という一人の人間の中でも1つの事柄に対して2つ以上の意見を持つことは全然OKだよなーと思った。
筋を通せと言われるかもしれないが、一つの事柄に対していくつもの答え、気付きを持つこともまた1つのスタイルだと思う。

たとえ、自分の中で浮かび上がったいくつもの考えが矛盾するものに見えたとしても矛盾していることで成り立っているのかもしれないし矛盾していることが答えなのかもしれない。
また違う視点から見れば、それは矛盾していないかもしれない。
そもそも矛盾という概念に当てはめて考えを観察すること自体ナンセンスな可能性もある。何を矛盾とするかは人によって異なりますから。

偉人の名言だって矛盾してる事多いしな。でも私ら後世の人間が並べて見たらこの人とあの人真逆の事言ってるわーと思うけれど、その言葉はその人にとっての真実でありただそれでいい、他人の言葉と比べて周りがどうこう判断するものではないのだなと感じている。人によって渡り歩いてきた場所や人生経験は異なり、そこから導き出される言葉も同じ事柄について述べたとしても違ってくるのは必然かと…自分で書いといてあれだけどこれ何の話だと我に返ったが続けさせてもらう(強行突破)
矛盾というものは人が作り出した概念だとすると、人が矛盾していると捉えてしまう状態が自然なことだってあると思うのです(個人的に)人間の感情や思考だって矛盾が生じることは多々ありますが、それでいいかと。その状態で何ら問題はないと思う。
複雑に思える感情、内観していけば一つの感情から派生したものだと分かるのかもしれないけれど、内観の手前で疼く、矛盾しているようにも思える混沌とした感情や思考ありのままを愛しく尊いものだと思う事もまた趣深いと感じる、あくまで今の自分は。

「美しく愚か」と表現されるものがあるとする。
「美しさ」と「愚かさ」が同時に存在することに矛盾を感じる人もいれば、この二つの言葉で表現されることで腑に落ちる人もいるだろうし、矛盾というのは人の尺度で変化する概念だと感じる。
人によってつじつまが合うと感じること、感じないことは違いますし、概念というものは人の価値観や視点によっていくらでも変化するものだなーと思う、矛盾もその一つかと。そしてその概念も人が作り出したものに過ぎず矛盾に思えるものは同時に成り立つことができる…ものもあると考える、個人の考えなので断定はしませんが。

というわけで、自分の中で導き出した気付きや考えたちが一見対立、矛盾しているように見えたとしてもそれは自分で判断したにすぎず、そういう状態が現在の自分にとっては均衡のとれた最適解かもしれないのだ。
はっきりとした正解なんてものはないに等しいと考えているので、今導き出した考えがさらに分裂する、変化する、もしくは1つにまとまることも将来的にあるだろう。1時間後にはそうなってるかもしれないし10年後かもしれない。
だから今は無理に考えをまとめることはしないで、自分の持つ色んな考えを面白いなと眺めてみたいと思う。


これはあくまで個人的な感覚の話ですが、人間や世界って矛盾の塊で、矛盾しているけれど矛盾していないんだろうなと思いました。
矛盾という概念はもともと存在しないのでは?と言いながら矛盾の存在を前提にして話している、自分も矛盾の塊です。


過去一何言ってるか分からない記事が錬成されてしまった。



最後まで読んでくださりありがとうございました。




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