ピアノの運命
見出し画像に、二人の音楽家の肖像を並べました。
右はご存じベートーヴェン。
1823年といいますから、ベートーヴェンが53歳ころ。
生前の肖像画としては最も晩年のものです。
あれ? ベートーヴェンにしては、ちょっと変?
いや、そうでもないんですよ。
この肖像画は、ベートーヴェンがたまたま不機嫌だった時に訪問した画家によって制作されたもので、その時のエピソードを弟子のシントラーが書いています。
それによりますと、ベートーヴェンはマカロニチーズが大好物で、この肖像画のモデルになった朝、家政婦が作った朝食のマカロニチーズの出来が悪くて、いたく不機嫌になっていたのだそうです。そこに運悪く画家がやってきまして、ベートーヴェンにモデルになってもらったものの、ごく短時間で席を立たれてしまったんだとか。
そのため、画家は顔のスケッチだけしかできず、髪や衣服は思い出しながら後で書き加えたものと言われています。短時間のスケッチとはいえ、面長だったと言われるベートーヴェンの風貌を、この肖像画はたいへんよく捉えているそうです。
ところで、ベートーヴェンの一番有名な肖像画は、楽譜を手にしてこちらを睨みつけているやつで、音楽室にはたいていそれが飾られています。モデルになって長時間すわっていることが嫌いなベートーヴェンが4回も座ってくれたので、画家はそれなりによく観察して制作できたと思いますが、あれはかなり美化されて描かれたもののようです。あんな人間が実在したのか、ある意味不自然でさえある。実際のところ、私はあの肖像画に似た人を見かけたことはありません。でも、こちらの不機嫌な肖像画に似た方ならよく見かけます。というのは、その方は近所で造園業を営んでいらっしゃる方なので。
家内に言わせますと、この不機嫌ベートーヴェンに作業服を着せたら、区別がつかないんじゃないかと。^^
そしてもう一つの肖像画です。
左の美少年は誰だと思いますか?
タカラヅカではありません。^^
こちらはロマン派を代表する作曲家で「ピアノの魔術師」と呼ばれる稀代のピアニストでもあったフランツ・リスト(Franz Liszt, 1811年 - 1886年)が、16歳の頃に描かれた肖像画なんです。
それにしても、なぜこの二人を並べたのか、しかもそれほど出回っていない肖像画を使って、ということですが、そこがこの記事のツボですので、もう少しお付き合いください。
さて、ベートーヴェンが不味いマカロニチーズのせいで不機嫌な顔を描かれた1823年に、この両者の出会いがありました。フランツ・リストが12歳の頃と言いますから、このタカラヅカ風美少年がさらに4つほど若かった頃の話です。その12歳のリストが行なった演奏会で、リストは老ベートーヴェンにおでこキスをしてもらったと、後年述懐しています。
12歳のリストの絵は見つかりませんでしたが、翌年描かれたリストの肖像画が残っていました。
こっちは、少女漫画風ですね。^^
A. X. Leprinceという画家による1824年の作品です。
リストは、ベートヴェンからもらったおでこキスを自分への芸術的な洗礼と見なしていました。リストは、ベートーヴェンの全交響曲をピアノ用に編曲しているのですが、大変な労作です。第9シンフォニーだけは4手、つまりピアノ2台によるものですが、それ以外の8曲はすべてピアノソロ用の編曲です。このような大仕事は、ベートーヴェンのおでこキスを音楽的洗礼と思ったリストだからこそ成し遂げられたこと、なのかもしれません。
☆
こちらで紹介したいのは、ベートーヴェンの交響曲の中で最も有名な第五番をリストがピアノ編曲した作品です。
交響曲第五番は「運命」というあだ名が付けられています。
リストのピアノ編曲版「運命」は、天才的なピアニストのグレン・グールドがレコード録音を残しています。
その第2楽章、たぶんどこかで聴かれたらびっくりすると思います。
グールドのピアノ演奏は超スローテンポなんです。
それこそ、ハエがとまるほど遅い。
その理由が、ジャケットの解説に書いてありました。
要約しますと、次の第3・第4楽章が、グールドの天才をもってしても指定されたテンポで演奏できなかったので、完全主義者のグールドは、やむなくゆっくり演奏することにしたのですが、ついでに第一楽章を少し遅くして、また第2楽章を極端に遅くしてバランスをとったのではないかと。
通して30分程で演奏される「運命」ですが、グールドのピアノ演奏は50分くらいかかります。
ところで、私がその昔買ったグールドのレコードには、「運命」のピアノの楽譜が付いていました。その楽譜は、LPレコードの二つ折りのジャケットに収めるためでしょう、冊子のページ数を少なくするために非常に細かく印刷されたものでした。
レコードを買ったのは私が12歳の時。
実は、私が買ったのではなくて父親が買ってきたものでした。当時、第一次オーディオブームと言われていた頃で、父も当時流行っていた家具調のステレオセットを買って応接間に置いていました。その頃家にあったレコードは、お馬の親子とかいった童謡ばかりだったのですが、応接間に鎮座まします家具調ステレオには、やはり御大ベートーヴェンが似合うと思ったのか、わかりませんが、たぶんそんなところだったのかもしれません。
ただ、父が買ってきた「運命」は、フランツ・リストによるピアノ編曲だった。
しかも、完全主義者グールドが演奏する超スローテンポな「運命」だった。
そっちを最初に聴かせられた私は、本来のオーケストラによる演奏が、ごちゃごちゃしてうるさくて、おまけに急ぎ過ぎていると思えて、長い間好きになれませんでした。
今になっても、やはり「運命」はピアノに限る。
先日テラサの動画配信で観た相棒14の「最終回の奇跡」で、「運命」の第一楽章がBGMで使われていまして、久しぶりにオケの演奏を耳にしたのですが、そこはやっぱりピアノだろうと思って観ていました。^^
12歳の私は、リストのピアノ編曲版「運命」によって、ある意味、音楽的洗礼を受けていたのかもしれません。
☆
次に紹介する音源はリストによるピアノ編曲版「運命」の第2楽章です。
これは、レコードに付いていた楽譜を元にして、と言いたいところですが、細かすぎて老眼の私には無理だったので、国際楽譜ライブラリープロジェクト(IMSLP)から楽譜をダウンロードして、DTMとして制作したものです。
テンポは、それほど遅くしていないです。
やはり、グールドのテンポではみんな眠ってしまうでしょうから。^^
有名な第一楽章ではなくて第2楽章を選んだ理由ですが、こういうベートーヴェン的な力強さと繊細な音楽美が混然一体化したようなピアノ曲は、私が最も好きなものの一つなので。^^