集中治療室から光をつかむ
夫が集中治療室(ICU)で治療をすることになった。抗がん剤治療の副反応が強く出てしまったためだ。夫のがんに対してこれが最後の治療になる、というタイミングでの話だった。
家族という存在の強固さを思い知る。どんなに仲がよくても家族でない限りはICUに入った患者と面会ができない。
自分の人生において、結婚というものについては、正直もう少し熟考の余地があったかもしれないと今でも思うところがあるのだが、やはりこういう時は家族でなければ土俵に立つことすらできないのだと実感する。
ICUへは私物を持ち込むことができず、そもそも寝たきりで治療を続けている夫が何かを発信することはできない。夫の現状を確認する術は、面会に行くか、病院からの電話かの2つだけだ。
こまめに連絡をくれるタイプの医者もいれば、最低限しか連絡をくれない医者もいるようだが、夫の担当医は前者だと思う。以前から有事の際の対応も迅速で、感謝の念が尽きない。
だがそれでも当然ながら、夫の様子を毎日伝えてくれるということはない。よって、面会に行かなければ夫がどんな様子なのかを把握することはできない。
思い返せば、病気がわかるきっかけとなった最初の入院の時もそうだった。意識があってもうまく指が動かせなくて文字入力ができず、連絡が取りづらい時期があった。その時に近い気持ちを味わっている。
逆に言えば、夫が入院している病院にさえ行けば、家族のわたしは面会ができて様子を見ることができる。心配なら、気がかりなら、病院に行けばよい。
それなのにある日ふと、「なんだか今日は面会に行きたくない」と思った。朝の早い時間に目が覚めて寝不足だったのもあり、きっと疲れが抜けきっていないのだろうと思った。だが、ここで行かなければ後悔することはわかっている。わたしはほの暗い億劫さを抱えたまま病院へ向かった。
病室で夫の様子を見た瞬間、自分が面会に行きたくなくなった理由を悟った。良くなるかどうかわからない夫の状態を見ることに、わたしは瞬間的に、ひどく疲れていた。
体の見た目も中身も相当なダメージを受けた夫に、希望を感じていいのだろうか。
既に救えないとわかっている命を無理やり先延ばししているだけではないのだろうか。
医療従事者たちが救おうとしているのなら、まだ可能性があるのだろうか。
このまま生き延びたとして、その先の人生に希望はあるのだろうか。
もし、今やっている治療をすべてやめたいですと言ったらどうなるのだろうか。
命があるだけで尊いのかもしれないが、今の夫を見ているとそれは少し違うんじゃないかと思う。でも、病気になる前のような心身ともに健康な夫でなければ夫ではない、とも思わない。
存在自体を希望にするのは周囲の身勝手に過ぎない。誰かに死んでほしくないと願うことと、その人が死なないような選択をすることは、一見整合性が取れているように見えるが実際は分けて考えなければならないことだと思う。どんなに死んでほしくなくても、人は寿命が尽きれば死ぬものだ。
話は変わるが、著者自身の乳がん治療の体験を綴ったエッセイ『くもをさがす』(著:西加奈子)を今月の頭に読み終えた。その中で紹介されていた、白血病を患ったジャーナリスト・ライターのスレイカ・ジャワードのパートナー、ジョン・バティステの言葉が印象に残った。
夫は、光の方を向いてきた人だ。
彼のすべてを知っているわけではなく、彼しか知り得ない苦しみもあっただろうが、わたしから見た夫はそういう人だった。がんがわかってから、治療の合間にたくさんの友人と連絡を取り、話をしていた。そうしないと気が塞いでしまうところもあったのだろうが、殻にこもることなく外に開けていた。
夫はまだ、光の方を向いているのだろうか。
わたしはまだ、光にしがみつこうとしてもよいのだろうか。
「生きる」とは何か。
夫がICUに入ってから、細く流れる川のようにずっと考え続けている。
これまでの文章をほぼ書き終えた数日後に、夫はこの世から旅立っていった。
夫の死に際して思うことはたくさんあるが、それはまた別の機会に書ければと思う。