どの点は出るんだよ
自分の人生をyとして、何次方程式になるんでしょうか。
めちゃくちゃな曲線をしていそうな気がします。
なんとなくですが、最後は負の方向へ落ちてゆくと思います。
そう思いませんか?
誰か他の人と関わりをもつことを「接点をもつ」と言いますが、それってなんだかその場だけの関わりって印象があります。
グラフのせいでしょうか。
たまたま、そのタイミングだけ、お互いを認識して、おしまい。
その後の互いの人生に影響するかというと、接点よりも交点のほうが結びつきが強く感じます。
一体なんの話をしているんでしょうか?
某予備校の数学講師が「この点は出ねぇよ!!」と黒板にブチ切れるシーンがあります。
三次方程式に対して、指定された点を通る接線の本数を求めるとかなんとか…そんな感じの問題だったと思います。うろ覚え。
接点を仮定して、接点の個数=接線の本数だから答えは○○本、という解き方をしていました。
指定された点を通らない接線はもちろん必要なくて、仮定した接点には「この点は出ねぇよ!!」という点が存在するわけです。
数学のお勉強として見ている人もいれば、講師のインパクト目当てで見ている人もいます。
わたしは何を見たのでしょうか?
小学生の頃の話です。
通信簿で花丸にされた欄には「誰とでも平等に仲良くできている」とか「陰日向関係なく努力ができる」と書かれることか多かったです。
先生は良い意味で書いてくれたのかもしれないですが、実家の人間はその評価をあまり良く思っていませんでした。なので、いつも「クソ真面目すぎる」「手を抜かないと社会でやっていけない」「こんなことで評価されたと思うな」と説教されていました。
私はいつも心の中で反抗していました。
先生が書いた通信簿は間違っていたのでしょうか?
今日まで、たくさんの人と接点をもちました。
加えて、たくさんのことも学びました。
真面目なだけでは何も役に立てないこと。
努力が報われたり評価されたりすることはないこと。(ことこと)
全部、実家の人間が言った通りでした。
思い知らされるたびに悔しくなりました。
彼らが正しかったのでしょうか?
講師の話に戻ります。
接点の個数=接線の本数が成り立たない場合がある、という例を紹介していました。
四次関数のようなWの形をしていると、二重接線が現れるとのこと。ひとつの接線でふたつの接点を持っています。
だから、解き方を変えないといけません。
でも、解き方を変えれば、答えが出るんです。
人生の例外になりつつある私に、解法はあるのでしょうか?
ひとと仲良くなりたい。
ひとと仲良くなるのがこわい。
このふたつの気持ちが、私のグラフをどんどん狂わせています。
接点を持っても、勝手に苦しくなって、勝手に離れて、疎遠になります。
この悩みから開放されるときはくるのでしょうか?
わたしが探している点を通らない接線ばかりが、わたしの人生を通り過ぎてゆきます。
仲が良いと勘違いしていただけで、わたしはただの接点のひとつで、それ以上はなくて。
解き方を変えても、苦労するだけで。
自分が探している点すら、今どこにあるのか分からなくて。
だから、
どの点は出るんだよ。