現代ネット社会における、「よそはよそ、うちはうち」

論文のテーマみたいになってしまった。

短いながらもなんだかんだ生きていく中で、最近合う合わないや好みがはっきりしてきたなと自覚しています。
そういう感覚的な部分を少しつらつらと書き留めておきたいなというが今回のノートの主旨。

まず、結論から言うとテーマにも書いてある「よそはよそ、うちはうち」。
自分は十人十色という意識して過ごしています。みんな違ってみんないい、自分と同じ人間は全くいないのです。
同じ人間はいなくとも、どんなところで笑うのか、どんなことをされると怒るのか、どんな考え方をもっているのかという共通項は必ずあって、そういう意識が似ている人と仲良くなってコミュニティを作っていくのが私たちの営みです。

一昔前は、自分が実際に身を置いている学校や会社なりの組織の中で直接会話をすることでコミュニティが形成されていました。
個人的に自分は、喋りが得意ではなく、心の内を上手に言葉にして伝えるのが苦手です。今でもそれは変わりません。
自分のような人は自己主張が弱く、自己表現が上手い人たちの中に埋もれて、なかったことになるのです。
今でも日常生活でよくあります。個性だと思いますがなかなか辛いなと思って過ごしています。

現代ではインターネットの普及で自分の主張を発信、共有しやすくなりました。
幸いにも自分は喋りはダメでも文字を書くのはいくぶんかできたようなので、ありがたいことに自分の意見に賛同してくれたり、共感できる知見が得らたりしています。

さて、ここで1つ言いたいのは実際の会話の中でうまく主張ができなかった者たちが、ネットの中で自分に合った主張コンテンツを得た時どうなるかということです。
答えは簡単、会話と同じように声が大きい人が目立つ、正しいことのように錯覚するということです。
別に人の意見に良いも悪いもありません、前述するように十人十色、個性ですから様々な意見があるのは当然です。
ただ、人は自分を肯定してもらいたいがために自分のしていることを「正しいこと」として認めてもらいたいのです。
そのために自分はこういうことがいいと思う!と強く主張するのです。

ここがネットのデメリットだと思うのですが、直接的な会話では属している組織という極めて限定的な所属の中でそれらを体験していたかと思いますが、ネットは全世界です。
普段付き合いのないような人たちの意見もひっきりなしに見られるわけです。
根本的な問題として組織に属していれば、その主張をしている人がどんな行動パターンでどんなことを日頃から言っているのかってのが「見える」ので、少しは知っている、交流のある人の意見を聞いているという絆があります。
ですがネットはありません。顔が見えない、相手がどんなことをしているのかなんてわからないので情け容赦なく主張するしその主張が合わなければ不快な気持ちにもなりやすいのは必然です。

今一度、意見を主張したいときは、自分の状況や立場を明確にした上で話すことが大事なのではないかと思いますし、それでもその状況や立場になってみないとわからないことがたくさんあるので、そんな時こそ「よそはよそ、うちはうち」という考えを持つことが大事なのではないかと思うのでした。

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