まちづくり活動の闇〜私的結論〜vol.01
スイの独断と偏見によるもので一般論ではありません。あしからず。
大学生のころ、「まちづくり」という言葉にハマり、地域の活動をしたり
いろんなコミュニティーに顔をだしてみたり、市民活動団体の運営を狂ったようにやっていた時期があった。
「モノが氾濫している今はモノよりコトづくりが大事なんだ!」
と意気込んでまちづくりについて学んでいた。
当時「コミュニティデザイン」という思想に完全に染まっていた。
本も論文もたくさん読んだ。
自助共助、地域コミュニティとの縁、人と人との絆というものは可視化できず、システム化するのも難しい「感情ベースのつながり」だ。
人が生きていくうえで、なくてはならない非常に尊いものであると思う。
コミュニティというものは、ある目的や信念(生活とか趣味、イベント開催の目的とか、ボランティア活動とか)といったものをテーマに、感情ベースのつながりの上に築かれた共同体である、と考えている。
コミュニティ・ビジネスは置いておくとして、一般的にコミュニティ活動は金銭は発生しないことが多い。同等の価値として「モチベーション」とか「能力」と言ったものがほぼ無償で取引されている。
そこがコミュニティの魅力であり、同時に脆さであるとも考えている。
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大学在学中〜社会人3年目くらいまで
教授の進めもあり、大学近くの村の無人古民家を安く借りて住み始めた。
村には何軒かそういった古民家があり、私意外にも何人かの学生や留学生が古民家に住んでいた。
そして、村の祭りや定期的な飲み会、運動会などの行事といったものに参加した。野菜やお米もいただいた。
おじいちゃんおばあちゃんたちは当時若い大学生を受け入れてくれ可愛がってくれたし、楽しかったし非常にいい経験となった。
「居場所」があることの安心感。
自分が居ることを許されている空間。
いわゆる「サードプレイス」に魅了されていた。
大学と実家とバイト先と友達づきあいの他に安心していられる場所。
友達からは「もっと若い人たちと遊ぼうよ!」みたいなことも言われていたが、確かに当時心地は良かったし、今振り返ってみても後悔はしていない。
その後、まちづくりの闇についてだんだん実感していくこととなる…
続きをかきました↓
https://note.com/ricco_1201/n/na303f4c5df23
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