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あんまり人に興味がない。

私はあまり他人に興味がない。

会社の同僚、家族、恋人、友人など自分にとって近しい人や、大事にしたいな、と思ってる人は別だけれど、それから少しでも離れてしまうととたんに興味がなくなる。

近しい人であっても、そんなに興味がもてないこともある。
例えば記念日、誕生日、無頓着だし、SNSの友人お祝い企画も億劫だなって思うこともあるし、同僚でも友人でも会話のネタとして身の回りのことは把握していたりするけど、実はそんなに興味を持てない人がいたりする(笑

好きの反対は無関心派です。
嫌いな人は逆に素性とか今何してるとか何考えてるとか探ってしまうからww

これは前も書いたけど、傷つくのが怖いというヘタレ思考かもしれないし、他人に興味をもつエネルギーがないからかもしれないし、自分が良ければいいや、という隠れ自己中心的な性格に起因しているものかもしれない。

他人に興味がないとどういう弊害があるのかというと
「相手に気を使えなくなる」ということ。
例えばちょっとしたサプライズプレゼントとか、ちょっとした気遣いとか、ちょっとしたお礼とか。

相手の思考を想像する力がないから、気を使えなくなってしまう。
ちょっとしたお礼の言葉がいえなかったり、声かけができなかったり。
それでギクシャクしちゃったり。

そんな中、印象に残ったのが、大学時代の恩師に言われた
「相手の考えをイメージするんだよ」ということば。
そして、学生時代に読み耽った伊坂幸太郎さんの「イメージだよ、イメージ」 という言葉。

私はおもった「そうか、イメージなんだ」と。
それからは、無意識のうちに「今相手はこうしたら、こんな声をかけてあげたらうれしいんだろうな、求めているんだろうな」というのを自分なりに考えて行動できるようになった。

ふとしたはずみで忘れちゃうこともあるし、見当違いになってしまうこともあるけど、大人になりケースを積み上げた私はなんとか破綻せずに社会生活を送ることができている。

今振り返って、昔の私ってめちゃくちゃ薄情じゃん…と内省していたりもする。今も根源はそんなに変わっていない気もするけど。

気遣いが素でできる人って本当にすごい。愛情深いんだろうな、育ちがいいんだろうな、ちゃんと育てられたんだろうなと思う。

逆に、私も両親に育てられたはずなのに…なんでだろう…
両親も祖母もちゃんと私を大学まで育ててくれたのに私はどこで捻くれてしまったのだろう…というのが最近の疑問。

人間という生き物には興味が尽きない

人には興味はないが、人間は好きだ。
ふと見える人間臭さや矛盾、思考や行動を見ているのは好きだ。

我ながら矛盾している…と思いながら今日も暮らしていく。




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