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001:名前

先日、押し入れで見つけた1枚のバスタオル。
 そして、その端っこに油性マジックで書かれた母の文字。こちら「しよう りか」ではなくて「しょう りか」という私の10歳までのフルネーム。
 父の名字が「章」だったため、家族で日本国籍を取得するまで「章 理加(しょう りか)」という氏名を使っていました。
 日本国籍を得ることを決めた当時、日本で帰化するには「日本人らしい氏名に変更する」という決まりがあり、我が家でも今まで使っていた氏名を変更することに。そして、今でも覚えている小学4年時に起きた改名事件。

 最初は、画数的に良いということで「三井姓」が有力候補に上がり、その流れで名前も変えることに。レイカ、チエ、エリ…どれがいいかしら。と、まるで新しく飼ったペットに名前を付ける気分で、赤ちゃんのための名付け辞典を読み漁る当時10歳の私。紙に「三井 ◯◯」と候補名を書いては、名前が変わることで新しい自分になれるような期待感に胸膨らませる毎日。
 しかし、今でも覚えている、改名を申請する1週間前に告げられた母からの決定済みの提案…「やっぱりパパが以前から使っていた「岩崎姓」にして、名前も理加ちゃんはずっと使ってきたし、日本でも通用するからそのままね」

 なんと…。

 そのとき感じたのは、再び人生をともにすることとなった相棒への「またお前か」というウンザリした気持ちと「これからも一生よろしくお願いします」という初々しさ入り交じった妙な覚悟。
 そんな事件が起きてから早16年。相も変わらず、この名前を使い続けていますが、その一件があったおかげか、当時は気づかなかったこの二文字への愛おしさを今ではしっかりと感じられています。それもこれも、今まで「理加◯◯」と私の名前を呼び、愛をもって接してくれた親や友人、社会人になり出会ってきた人たちのおかげで「今の自分」をそれなりに肯定できているからかもしれません。

 親から生まれて初めて与えられる肉体と名前という贈り物。そのどちらも、他者と関わって、ようやく意味を成すもの。その意味を知ることができた26歳の自分と、まだその意味を知らずに名付け辞典を読みあさっていた10歳の自分。そんな二人の「理加」をタオルに残っていた旧名が再会させてくれた気がします。

 いくつになっても、自分の名前に愛おしさを感じられる人でありたいですね。この名を命名してくれた父と改名を阻止してくれた母に感謝を込めて。

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