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003:ピカソ

 京浜東北線で帰宅の最中。電車の座席の前に立つと、目の前にバブロ・ピカソのような薫陶としたオーラを醸し出すおじさまが。ピカソの生まれ変わりじゃないかと思うほど品のある豪傑な雰囲気に、ちらちらまじまじと見蕩れていると、鞄から小型のタブレットを取り出す和製ピカソ。

 何やらタッチペンで、白黒のドットメモリ液晶に、スラスラ、スラスラ、サササっと慣れた手つきで何かを描いていらっしゃる。角度的に内容は見えないものの、まるで馴染みの喫茶店に一人でいるかのように冷静かつ夢中でペンを走らせる姿は、例え何を描いていようと、見ていてとても気持ちが良い光景でした。

 と同時に、関心は和製ピカソから、ピカソが使っている電子ノートへ。学生時代から、何でもできるオールマイティ機器より、POMERAやkindleといった一芸に優れた不器用なプロダクトが大好きで、和製ピカソが使っていらっしゃった無骨な電子ノート的なそれも、一芸萌えの心に深く突き刺さりました。

 頑張って目を凝らし、製造元のヒントがないか見ていると、うっすらと「SHARP」らしき文字面。和製ピカソの佇まいに後ろ髪ひかれながら、川崎駅で降りて、ビックカメラへ直行。そして、ありました。ピカソノート、改め、SHARPの電子ノート「WG-S20」。しかも、展示品も販売されており、定価の5分の1の価格。これはもう運命だと思い、連れて帰ることに。

 駅のホームで電車を待っている間、新たな相棒を取り出し、マイクテストでもないのに、無線局の試験電波よろしく「本日は晴天なり」と初書き。その乗りで、続く言葉をペンで走らせ、ピカソには遠く遠く及ばない「精一杯生きている男の子」の絵を描きました。けれど、精一杯と銘打っている割に、男の子はなぜか、溌剌とした余裕の表情。これじゃ、ちぐはぐだなと思いつつも、見ているうちに段々としっくりとした気分に。

 今まで「精一杯」とは、歯を食いしばり、眉間に力入れて、死ぬ気で頑張ることだと思っていました。気を張りつめ、完璧以上の完璧を目指さねばと。転職という再スタートということもあり、そうして、無意識に張り続けていたこの3ヶ月間。

 けれど先日、1週間ほど台湾に帰省させてもらい、毎日、精一杯に愛してくれる家族といたからでしょうか。仕事や子育てで忙しいのに、毎日、精一杯、遊びに連れて行ってくれる兄。私のために好物の料理を精一杯作ってくれるおばあちゃん。私が台湾に帰ってきたからと、精一杯、持て成してくれる近所のおばちゃんや親戚たち。

 そんな暖かい愛のオンパレードに、本来の「精一杯」とは決して、苦しむほど頑張るということではなく、大切な誰かのために最善を尽くすエネルギーなのだと感じるようになりました。

 誰かのために最善を尽くすなら、自分がその誰かが悲しむような辛い在り方では元も子もなくて、母がいつも私に言ってくれるように「あなたが幸せでいてくれれば、それでいい」。だからこそ、自分をまず精一杯、幸せに導こうと。

そんな「精一杯」でいれるよう、日本でがんばり続けます。
謝謝、台湾。

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