それでもあなたを、愛したい。内なる天使性が開かれるとき。②
①はこちら💁♀️
前回から少し(だいぶ)空いてしまいましたが、
サロンにお越しいただくお客様何名かから、こちらの記事のご感想を頂けて、たいへん嬉しく感じております。
さあ続きです。
信じてたのに。あんなに面倒見たのに。こんなに頑張ってきたのに。
信じた人や愛した人から裏切られ
「もう人信じるのやーめた」
と塞ぎ込んでしまう方も少なくないでしょう。
前回は
全ての現実を通して、自分と他者を愛することを教えられている
ということをお話しました。
その真の意味を、今日はお話します。
パートナーの暴力に困っているというAさん(架空です笑)のご相談を、例に挙げてみましょう。
Aさんは彼氏と付き合って2年が経ちますが、
半年前から彼氏の仕事がうまくいかず、暴力を振われるようになったといいます。
周りの人に相談すると、「別れなよ」「警察に話したほうがいいよ」と言われますが、なぜかそうする気になれません。
別れたほうがいいとはわかりつつも、別れたいとは思えない。むしろ、彼を立ち直らせたいと思っている。彼のために頑張っているのに、彼は言うことを聞かず、なかなか上手くいかない…。
そのような苦しい中、ご相談にいらっしゃいました。
Aさんは、実際に暴力を振われているときは別れてやる!!と強く思うそうですが、
そのあと謝られたり、優しくされると、「まあいいかな」と思ってしまうそうです。
暴力を振われている時だけ我慢すれば、あとは他の人と変わらないし、それに私がそばにいてあげなくちゃ、という強迫観念混じりの典型的な依存です。
こういう場合、だいたい暴力を振るう人も依存しているので、共依存ということになります。
さて、これが形而下、脳みそが納得できるひとつめの理由です。
続いて、形而上、魂が持つ理由を見てみましょう。
ここで、「全ての現実を通して、自分と他者を愛することを教えられている」論が出てきます。
私たちは常日頃から、小さいも大きいも願望が湧いて出てくる生き物ですよね。
もう少し寝ていたい。仕事辞めたい。もっと成果を出したい。恋人が欲しい。美味しいケーキが食べたい。もっとお金が欲しい。親と仲良くしたい。
などなど。
その全ての願望が、最後に、「愛する私のために。」がつくものなのです。
もう少し寝ていたい。愛する私がもっと寝たいというのだから。
仕事を辞めたい。愛する私がこんなにしんどそうなんだもの。
もっと成果を出したい。愛する私の力はこんなものじゃないから。
恋人が欲しい。愛する私が、もっと誰かを愛したいと望むから。
美味しいケーキが食べたい。いつも頑張っている愛する私に、ご褒美をあげたいから。
もっとお金が欲しい。愛する私に、ふさわしいものを与えたいから。
親と仲良くしたい。愛する私が、一番愛したい人だから。
私たちが持つ願望は、決して誰のためでもない、
愛する自分のためにあるものなのです。
では、Aさんの「彼を立ち直らせたい」
というのは、いったい誰のための願望なのでしょう?
紛れもない、Aさん自身のためです。
ろくでなしの彼のためではありません。
彼を立ち直らせたい、という一見"彼のために頑張っている"というような言葉は
実は自分自身の愛を表現したいというひとつの願望です。
これは、苦しい関係性を余儀なくされている全ての人に言えます。
パートナーに暴力を受けている方も
虐待を受けている子供も
乱暴な子供に手を焼いている親御さんも
親のたいへんな介護を担っている方も
なんで私が!!と思うような状況にある方全てが、そんな状況だからこそ、そんな人をこそ、愛せるようになりたいという願望があるのです。
だからこそ、そこから抜け出さずに、文句を言いながらも同じ苦しみの中にい続けます。
それでも愛したいから。
それでも愛せるのか、知りたいから。
①で、人は自らの愛を知るために何度も生まれ変わるとお話しました。
これが人生の目的ならば、私たちが苦しむことも
悲しむことも、楽しみも喜びも、生死の儚さも。
すべて愛を知るために、私たちは経験していくんです。
綺麗事だと唾棄する方もいるかもしれません。
けれど、綺麗事にしては、ある程度汚れないと辿りつけない真理だと思います。
私は、被虐待者の友達や知り合いが多くいますが
苦しみを乗り越えたほとんどの方が、「あんな親だったけど、愛している」「好きだと思う」と笑いまじりに話します。😌
どうしようもない人を愛して、
どうしようもない自分を愛してくれる者を通じて
私たちは、初めて愛の大きさを実感します。
そして、愛とはなんなのかを考えます。
嫌になるくらいポンコツな自分も、
なんじゃその態度っていう店員も。(笑)
そこから愛を見出したいから、目の前に現れます。
※勘違いされがちですが※
自分と他者を愛する=愛を表現するというのは、
ひと口にただ優しくする、相手の好きにさせるといったことではありません。
自分のありのままの願望に従うということです。
やめてほしければ、断固やめてと言うし、
逃げ出したければ、逃げ出す。
向き合いたければ、どんな形でも向き合うことです。
それが、ありのままの自分を愛しながら、ありのままの他者を愛することにもなり得るのです。
以上、長くなりましたが
それでも、あなたを愛したい。内なる天使性が開かれるとき。以上になります。
愛の奥深さを私なりに綴ったつもりですが、私もまだまだ学ぶ身なので、全てを上手く書ききれず申し訳ありません😓
回収できてない部分もあるかと思いますが、ご指摘いただければまた書きます。
また補足を書くかもしれません。
ただ、この2編で書いたことが腑に落ちると
人間関係の悩みや、自分に対する悩みも多くは消えます。もしくは、構造がシンプルになるので、簡単に解決できるようになるはずです👆
お読みいただきありがとうございました🧡
この記事にふれたみなさんに、大きな愛と光がもたされますように。
ぽち、誰でも出来るそう。お待ちしてます♡
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