詠みたい理由がありまして。
noteをご覧のみなさま、こんにちは。 りぼんです。
この記事『詠みたい理由がありまして。』と出合ってくださり、ありがとうございます。
ちなみに、画像は夕方、何気なく撮った空です。
はじめに
前回の投稿(初投稿でした)、「自己紹介――はじめてのnote」から、少しの時間が経ちました。
その投稿が、こちらです。
初投稿をとおして、noteの魅力に引き込まれました。
とはいえ、SNSが苦手な私。
それでも”発信したい”という思いから、はじめたnote。
何を投稿しようか。
どんなことを書こうか。
・・・迷っていました。
迷い、悩んだ末に
今日は、俳句やことば、創作への想いを
『詠みたい理由がありまして。』と題し、
綴ってみたいと思います。
「等身大のことば」で
俳句を詠む上で、「ことば」の使い方に繊細になるよう、心がけてきました。
誰かを傷つけないように、誰も傷つかないように。
自分の言葉で、等身大の表現で詠んでいます。
俳句創作を続けて、10年。
最近、想ったり感じたりすることがあります。
それは、
”誰かの背中を押せる、少しの力になれる句”を詠みたい
ということです。
時々、
「この一曲が、私の人生を変えてくれました!」
「この音楽に、影響を受けました!」
というようなエピソードを見聞きします。
私には、力強い応援ソングみたいな句を詠む
自信も
活力も
無い。
それでも、
どなたかを癒やせるような句を詠みたい。
ことばの力、俳句の可能性を諦めたくない。
誰も傷つかないように、
願わくは、誰かを癒やせるような。
そんな小さな力を秘めた句を詠みたい、詠めるようになりたい…。
ずっと心に留めている想いです。
(ふと気づけば)詠みたい理由って、何だろう
ここまで書いてきて、ふと気づきました。
詠みたい理由って、何だろう
それぞれの作者が、いろんな想いを持って、創作されている。そう感じると、私の「詠みたい理由」も、かなり多いことに気づきました。
詠みたい理由って、一つじゃないのかも。
今後、俳句やことば、創作への想いを
引き続き、noteに綴っていこうと思います。
いつまでも続きそうなテーマですが、少しずつ、投稿していこうと考えています。
次回以降も、ゆっくり投稿します。
もしよければ、これからもよろしくお願いいたします。