感受性マイノリティ
自分は現代日本社会において感受性マイノリティだと思う。
例えば、「電車通勤できない(したくない)」「スーツ着たくない」「就活時だけ黒染めしたりスーツ着たりする文化に賛同できないから就活しない」「新卒一括採用ではなく個人が最適な時期に就活できるべき」「当たり前に使われる『お疲れ様です』に違和感しかない」「長期休暇年に2ヶ月は欲しいから正社員にならない」「結婚式の必要性が分からない」などなど、誰しも少なからず疑問は抱くとは思うが、殆どの場合自分を納得させて適応しようとすることに対して、鬼のように反発してきた。自分にとって違和感のある事に対して、自分がどう感じるかを無視できない。気に入らない社会通念や固定観念はガン無視してしまう。
だから社会に対しては片足を突っ込む程度にしか関われない。その事にひどく悩むこともあるが、一体なぜ自分が悩まなければいけないのかとも思う。自分の感受性が、たまたまこの時代の社会のマジョリティ的感受性と違うだけの話だ。履歴書がいくら空欄になろうと、就職や転職に役立つ経歴がなかろうと、そんなもの知らんがな。そもそも履歴書が必要ない人生にすれば良いだけの話。履歴書に傷がつくことを恐れる人生なんて、一体何のために生きてるんだ?そんなに社会にとって都合のいいシステムの一部として生きたいか?そんなに優秀な労働者になりたいか?優秀な労働者になるために生まれてきたのか?優秀な労働者になって、税金をきちんと納めて、結婚して、家を買って子供を産んで再生産して、その子がまた将来優秀なシステムの一部になるよう育てて、また再生産するよう(教育)洗脳して、、
まぁこんな感じで、自分の感受性は多分にマジョリティからズレている。マジョリティに合わせにいくこともない。むしろ、マイノリティだからこそ、同じくマイノリティの人々に共感できる。自分は自分の感受性のまま生き、当然のように幸福に生きる。
だから感受性マイノリティの諸君、所詮普遍的でもない時代性のある社会のマジョリティに適応し過ぎる必要はない。自分の感受性を信じて、むしろマイノリティであることを誇りながら、自分の好きなやり方で幸福になっていけ。