可愛げのない僕が書く、令和になって、Mr.Childrenと音楽のこと。
Mr.Childrenは日本の誰もが知るポップモンスターだ。J-POPの代名詞と言っても過言ではないほど、平成を時代の寵児として一気に駆け抜けた。
自分も、ミスチル批判されたら自分批判されたと感じるくらい(大袈裟じゃなく)、多感な思春期から大人に至るまで、たぶん思考の基盤や人格形成にまで、多大な影響を受けてきた一人だ。たぶんこんな人、同世代でたくさん居るんだろう。
「Against All Gravity」。昨年行われたミスチルのドームツアー。九州在住の自分は、福岡公演の日は仕事の都合があったが参戦を諦められず、大阪公演に足を伸ばすほどだったが、そのこと、全く後悔はない。新生Mr.Childrenを証明する、昨今でも特に素晴らしいライブだったから。
その映像化。Blu-rayをようやく観た。とにかく桜井さんが若い。50手前にして何度目の全盛期だろうというくらい、全身のバネを使い、跳び回り、表情豊かに、歌声は伸びやかだ。
自分もこの年齢(アラフォー)になって、人並みに酸いも甘いも知ったつもり。目に見えないもの、光の裏にある影。努力や葛藤。至らないなりに、たくさん想像する。誰もが羨むほど順風満帆に見える彼らには、きっと凡人の自分には想像できないほど、表の眩しさに比例して、壮絶な、それこそうっかりクスリに手を染めてしまいそうなくらいの弱さと戦ったり、抱えた孤独やプレッシャーと向き合って、抗ってきたのだろうと。
もう一回書く。「誰もが羨むほど順風満帆に見える彼ら」だけれど、このBlu-rayの中でのMCで、「令和になって、変わったほうがいいもの。変わらないほうがいいもの。僕たちは一体どっちだろう」と自問自答していることを告げる。(そのあとに演奏される『名もなき詩』。過ぎ去った時代の寵児と揶揄されることを皮肉ったようにも聴こえた。)
そのあとも何度も触れられる「新しい時代の中での自分たちの立ち位置」。まだずっと探り続けているかのような印象を受ける。
ここから⬇️特に、個人的感想。
平成の時代は、戦後の暮らしから、日本が駆け上がった時代。生活水準の安定や、経済、文化の飽和。それを支えたのは、身を粉にして会社や企業に人生を捧げてきた多くのサラリーマンがいたから。まさに世のため人のため。人生の最大の幸福は、人の役に立つこと。人生の成功とは、豊かな財力を持ち、家庭を持ち、安定した生活を送ること。それが疑いなく信じられた時代だったと言える。
その「身を粉にすること」を美しいこととして、社会的成功や幸福を手に入れるため、苦しみや苦悩すら美学だと。避けては通れない道だと。時には戦う自分に「酔い」ながら。つまり、苦悩や葛藤の大きさに比例して、成功や達成感は得られるといったような方程式を、僕らは知らず知らず、刷り込まれてきた。
昭和の時代の、高校球児で言うなら「汗水流す姿こそが美しい」「坊主であることが美学」といったような流れが、集大成したのがバブル崩壊前までの平成。ただ、景気や経済がどんどん不安定になり始めると、それまで信じられてきた美学や右向け右の幸福論などは、疑われ始める。そこで徐々に人々は「自分にとっての幸福とは」を考え始める。そんな時に登場した「No. 1にならなくてもいい」と歌われた唄は、そんな時代にハマり、多くの共感を呼び、大ヒットする。
その曲以降、「がんばれ」「明日があるさ」と励まし続けてきたJ-POPの主軸は、「君は君でいい」「色々あっていいんだよ」にシフトチェンジする。
それら時代背景に合わせて、姿形を変え、時には戦うサラリーマンの応援歌、時には「自分探し」の自問自答を繰り返す人生賛歌を奏で、27年という目を見張るような年月の間、トップを走り続けてきたMr.Children。偶然ブレイクした年などの運はあったにせよ、その生存競争を勝ち抜く手腕は相当なもの。
そして新時代・令和を迎える。
かつての「世のため人のため」に汗水流して苦難を糧に成功を掴み取る時代は終わった。大企業にしがみつき、一生を捧げ身を粉にして働く盲目的な「終身雇用」が讃えられたのも今は昔。
この世にオギャーと生まれた時から「元々特別なオンリーワン」な教育を受けてきた現代の若者たちを相手に、「君は君だよ」と歌ってもきっと、「言われなくても最初からわかってる」となるだろう。
そんな「新世代」がつくる音楽を、「Spotify」で聴くことができる。
感じるのは、いい意味で「バラバラな個性」。
その時代時代にカリスマと呼ばれる人は居て、今はきっと「米津玄師」だろう。「米津玄師っぽい」は今ひとつの評価基準の分かれ目になる。
正直、意図してか知らずか、「それっぽい」人は結構居る。が、評価基準はそれくらいで、各々がそれぞれに鳴らしたい曲を鳴らしている印象。
ネットを通じて多様な文化が一気になだれ込んでくる時代。音楽との触れかたも、ライブ、CD、サブスク、YouTubeと様々。テレビ主導の時代は終わり、影響力を持つメディアの形も変化している。「こうすればヒットする」といったような方程式は簡単には見つからない。
だからこその面白さがあると思っている。サブスクの台頭によって、メジャーもインディーズもベテランも新人も、スタートラインはほぼ同等になった。これからは、より「突出した個性」を提示できるかどうかが、強みとなってくるように思う。
90年代から続いたメディアとのタイアップによって、現在の地位を築いてきたMr.Childrenは、ある意味、時に「個性を打ち消しながら」、自分たちの「節」を持たないことに注意を払いながら、時代ごとに上手く溶け込み、成功してきた。
しかしどんなに時代に溶け込もうとしても、やはり本物以外は支持されないのが世の常。時代のニーズを掴み、誰も突いていない箇所をスターダムに託し上げ、圧倒的なソングライティング力があるからこそ、現在の位置に居ることは言うまでもないだろう。(2007年の、『平凡な当たり前こそが幸福』をシンプルなサウンドで奏でた『HOME』は、まさに当時のカウンターカルチャー(=ロック!)として象徴的だった。)
そんな彼らが、次に鳴らす音とは。そんなこと考えながら、ツアーBlu-rayを観ていた。
平成をざっと振り返ったようなセットリストと、最新アルバムを盛り込んだ構成は、今このタイミングで観るに相応しいライブショーだったと、振り返りながら思う。
来月、Mr.Childrenの令和最初に届けられる新曲のタイトルは「Birthday」。意図してのタイトルなのだろうか。新しく「生まれる」その姿は、一体どんな景色を見せてくれるのだろう。
平成の世に信じられてきた幻想はもう通用しない。「Birthday」の中で「いつだって It's your birthday」と歌う彼らは、新時代にどんな個性を示してくれるだろう。そんな期待をまた膨らませてしまうところが尽きない魅力だと、いちファンとしては思うところ。
とまぁ、ここまで好き放題にこんなこと書いてしまう可愛げのない自分にも、それと似た人も、きっとゴマンといるのだろう。
それでも、「可愛げのないあなたにも きっと世界は会いたがっているよ」なんて歌ってくれてしまうMr.Childrenが、ああ〜、やっぱり誰より愛しく、誰よりニクイ。
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