TALEnt【新しくつくったzineの序章】
「どこからどう見ても、楽しく生きているようには見えない」
初対面、会って1時間もしないほどの人にそう強く言い放たれてさすがに泣いた、初夏の午後。
結局、面白いも楽しいも遊びも美味しいも、あるようで無いようなものだと感じるときがたくさんある。
そんな私の本当の感覚、正直な思考をそのままに話せば、私がどれだけ悲観がなくフラットな気持ちを持っていようと、そのときの私は目の前の相手にとってまたたく間に繊細で生きづらく、悩みを抱く少し面倒な人となり、なんだか雑に励まされたり憐れまれたりする。
私はただ、哲学したいだけ、なのに。
だからもう、適当に明るい表現をしていればいいと思って過ごしていると、そんな向こう見ずで楽観的に見える、地に足のつかない私の在り様に対し、「現実を見ていない」「そんな夢のようなことばかり言っていると生きていけない」「社会はそんなに甘くない」という趣旨の批判が始まり、私は疲れた首をおそるおそるかしげることとなる。
冒頭のひとことは、そんな虚実入り混じる今の私の多面性の中に現れてしまうそのほころびを、ふいに鋭く突かれたようなものだった。
じゃあ一体どうしたらいいのか。
君は努力や忍耐というものをしていない、という指摘に対し私は、うなずくしかない。そんな変な我慢や無駄遣いをしてまで生きたくない、と思ってしまう。それが甘えや怠惰でもあるという自覚はある。
とはいえ本当にそうか?
こんな私にだってできている努力や忍耐もある。
すべてがごっこ遊びのようなこの世の中、あなたのしていることが全うな忍耐で、私のしていることが、然るべき役割を果たさないままに行うどうでもいい稚拙な自己満足であるとするその根拠はどこにあるのか?ごっこ遊びに過ぎないと、気付いた方が負けなのか?
生活の全ては各々の表現である。自らの思考とたましいが込められたそれをこそ、清く尊い営みと思いたい。
現実というものに対して本当に正直でまっさらな自分の心をひらいて接していると、あまりに多い棘に触れた指のささくれはどんどん増えてゆき、それを派手にめくり続けてしまう癖がある私はいつだって指先がひどくさかむけ、全体がほんのり赤くなっている。
人目につくその指は、隠せば済むし見た目ほど痛くないからいいのだが、指の皮をめくるという行為に執着することによって蝕まれる時間は多く、そんなことに集中している間に自分の感覚や思考はどんどん鈍くなっていくような気がする。そのことが残念だ。
現実が厳しいことなんてわかっているし、むしろそれによる不安にどれだけ苛まれていることか、と思う。
だからこそこの現実の上にもうひとつの衣を被せた物語の中に自分を置いている。
何度も何度も辿っているこの思考をまた繰り広げたこの日の夜、すきなバンドのライブに行った。
この人は、太陽を、風を、涙を、人を、音楽にしてうたうことで生活を立ち上げ、その生活の中でまた太陽や風や涙や人に対して動く自分の心を摑まえてうたにするような日々を送っているのかもしれない、と思った。
なんていいんだろう。もちろんいろんなやるせなさはあるのかもしれないけれど、私にはその生活の主たる循環の中で巡ってゆくものがうつくしくやさしいものであるように見えて、とてもきらきらとした憧れの気持ちを抱いた。
そうだ、全然、こういう人だって十分に存在している。私だって、この命、この生活の流れを、絶対にこういうものによって維持しよう、と決めた。
この人たちを素敵だと思う私の気持ちは本当だと思った。
瞳からあふれ出すほどの感動も、真っ当な”普通”があたかも存在するかのように見えてしまうこの街での日々の中ではすぐに霞がかってしまう。どうすれば、自分の努力で守れるか。
ライブ終わりにドリンクチケットで一気に飲んだアルコールによって少し浮ついた私が、その浮つきを撫でながらひとり歩く元町の夜にふと思いついたのが、花を買うことだった。
ライブの会場から家までの帰り、生活圏内の街路に、シュッとしたおじいちゃんが夜遅くまで店番をしている花屋がある。
一体を飲み屋に囲まれた薄暗い高架下で、粛々としたやわらかいオレンジの灯りに吸い寄せられるようにして花を買った。
花瓶は花を飾ろうとしない限りは人の部屋に存在し得ないであろうものだ。2か月前に移ってきた神戸の私の部屋にも花瓶はなかった。
雑貨屋なんて閉まってしまった遅い夜。かろうじて開いている小洒落たスーパーに陳列された瓶ビールの群れを時間をかけて吟味し、その空き瓶に花を差すことにした。
茶色いワックスペーパーにその全体を包まれた花束を身体の前で抱きかかえ、瓶ビールを呷りながら海まで歩いた。
翌朝、お気に入りの赤いワンピースを着て巾着袋をぶらぶらさせながら、近くの喫茶店にモーニングを食べに行った。
一番寒い席なんだけどごめんね、と案内された席で、天井にへばりつく空調から流れる冷気は何故か真っ白だった。カウンターの向こうのキッチンにあるポットから湧く湯気も白く、客席それぞれに置かれたコーヒーカップからも、白々とした湯気がのびている。
この広くはない空間で、いろんなものが白い息を発しているのに、目の前に漂う空気はずっと透明なまま。人間たちは相も変わらずその空気を吸っては吐いてを繰り返していた。
(つづく)