時間と距離なく 近くなるひとびと (チェンナイ→ティルパティ)
チェンナイの朝。
ハンピの宿をとるか迷って結局とらなかった。
その後無事に旅程が大変更することになるから、やっぱりほんとにインドの旅は全く事前準備がないほうがいいんだなと思った。
途中から合流したありまりさんがあまりにも上手に計画を立てたり移動手段を確保したりするから、旅の計画がこんなにも苦手なのは私くらいのものかと思ってたが、割とみんなそういうものみたい。
ザビエルゲストハウスに無事荷物を置かせてもらい、沸かされてそうなものと揚げられてるものは大丈夫だろうと、チャイとなんか揚げ物のお菓子を食べた。
その後近くの動物園へ。
保育園児の遠足みたいなのがいっぱいいた。
お腹の調子がよくなかったありまりさんが、ダメージのちいさそうな朝ごはんとして買ってたバナナをそこにいた猿に目ざとく見つけられ、ものすごい囲まれてた。猿見てるの楽しい。
珍しい動物はいなかった。
道端ではお葬式が行われている。
テントの下、透明なガラスケースの中に人が入れられ、花で飾られている。その周りに人がほんとバケーション中の市民プールにいる市民かなっていうテンションでだらっとゆるっと集って座ってて、だれかが歌を歌っている。
チェンナイにMarina beachっていうのがあるのもあって、まりなという名前は伝わりやすい。それに比べてみゆはちょっと伝わりにくい。
動物園がそんなにだったから、その近くにあるガンディー博物館というのに行こうとした。
でも開園まで30分で、諦めた。
門の近くにいたさとうきびジュースを売っている夫婦、夫はすごくしつこく話しかけてくる中、一緒に商売をしてて夫と同じ側にいるはずの妻が、ほんとこいつしつこくてうんざりするよね、というテンションで同じ側に立って追い払ってくれる。
こういうところがほんとにインドのシスターフッドというか....女性が”こちら側”にいる感じ、と思った。
(日本とかにおいて”若い女性”として存在していると、私は、男の人のほうがなにかしら助けてくれる機会が多いと感じる。
で、結局その背景にある下心や、若い女性である私を”弱い存在”として見てるからこその行動である、ということを認識し、その状況にも、自分が女性であるということにも、そしてその境遇に甘んじていた自分にも嫌気がさす、ということがしばしば起こる私としては、なんだかすごくびっくりというか、南インドでの、老いも若きもとにかく女性たちから私への、厚いまなざしや心遣いに、ある意味で日々癒されていくような感覚があった。)
ガンディーはたぶん岩手にとっての賢治みたいなかんじで、そこらじゅうにミュージアムとかがありそう。
アンナ大学という大学に潜り込んだりもした。
男女比率は体感半々くらい。結構女学生がいる。
ほとんどの学部は工学や理学。
学生とは全然話せなかった。
外のインドの人々のぐいぐいくる感じと比べると、向こうからは絶対に来ない感じというか、なんか全然違うと思った。
出ようとしたところでチャイが売ってたから買って飲んだ。
周りの人に話しかけたら、全然大学関係者じゃなく、近くで働いている人だった。
大学関係者に限らずこうして関わる場があるのはいいなあと思ったりした。
なんか豆や食物繊維がいっぱい入ってる揚げ物(?)もあったので食べてみた。やはりカレーの味がした。
その後電車に乗ってみようと、メトロの駅まで歩いた。
途中でまたチャイが売ってて、なんか裁判官みたいな人達がいたので興味を持ち、チャイを買って話しかけた。
近くに裁判所があるっぽく、こちら側には裁判官が、あちら側にはそのへんの兄ちゃんって感じの人たちがいるというのが面白いと思った。
チャイ屋さんってのは、貴賎を気にせずみんなが集う社交の場なんだな〜とかってはじめ感心したが、見た感じどこのチャイ屋においても、いろんな人はたしかにいてもその人々が交わりあって話すというのはなさそうなかんじ。
階級、みたいなのを感じた。
その階級にはいま、固定的に決められたものだけではなく(もちろん親がどういう人かとかによる影響は大きそうなので完全に平等な競争的っていう印象ではないが)、自分たちで勝ち取ったみたいな感覚が強い人もいそうだからこそ、その人ら自身の誇り みたいなものを盾に、その差別や抑圧の正当化が強くなるみたいなのもあるのかなと思うと、どうなんだかなあという気持ちになった。
でも、英語喋れないオートリキシャの運転手とかは、その人らなりに結構ノリノリに楽しく超幸せって感じで生きてそうなのとかを見ると、別にすごそうな仕事に就くことが唯一の幸せ、ではもちろんないよなあ、とも思ったりした。
メトロはとても綺麗だった。なぜこれをみんなそんなに使わないのだろう、と思った。
時間も正確で、綺麗で、早くて、安くて、安全そう。
その後ホテルに荷物を取りに行き、Uberにのってメトロの駅に戻り、チェンナイ駅に。
サモサを買ったりしつつ、無事に乗れた。荷台がぱんぱんになって大変だった。ここは寝台じゃなく、ふつうの椅子。
隣に座ってたおじさんは不動産会社の社長という人物だった。
そのむこう、通路をはさんだ先にいる女性も話しかけてくれて、なんかファミリーで電車に乗ってて、今からティルパティで結婚式をあげるとのことで参加しない?と誘ってくれた。
楽しそう!サリー着たい!と思い、ムンバイ→チェンナイの飛行機を既にとってたけどキャンセルし、この後の目的地であるハンピからもすぐ戻ってくるように予定を変更して参加することに。
電車の中でその結婚式に誘ってくれた人、花嫁のお姉さんとずーっと喋ってた。
4時間くらいの電車の旅だったけど、気づいたら到着していた。
その人はとても英語を流暢に話す。
一緒に来ていたのは、お母さんと、花嫁(妹)と、その相手。
学校卒業後に先生をやって、その後海軍で働いている人らしい。
女の子がいちばんできないと思われてるようなことをやろう、という負けん気の精神で海軍に入ったとか。職場で唯一の女性らしい。
インドの人々の、自分たちの文化への誇りがすごく素敵。
装うのはやっぱり好きそう。
他の地域ののドレスを着るのもオッケーらしい。
でも自分たちの文化のも、日常の中では着る。自分の文化を守るために、と。
そういうやわらかくしなやかな部分、女性らしいと言われやすいような部分(文化を守るとか、装うことを楽しむとか)と、男性らしいと言われやすいような現実的で進歩的?な部分(勝気に仕事をする、ちゃんと主張する、とか)とが、表面的にはそこまで多くの葛藤がなさそうな状態で共存しているのがすごい、と思った。
私はそういう葛藤の中で、自分の本当の欲望や理想と、戦ったり勝つためにつくっている自分の建前と、どれがリアルでどれが戦略だったのかがもうわからなくなった、みたいな状況にあった、し、今も正直自分の本当の望みや気持ちがどこにあるのかわからない、みたいなところがある。
女性の枠組みに囚われず自由に強く生きたいという気持ちを持てば持つほど、そういうしなやかなものを大事にしようとする人をなにか軽蔑するような視線で見ようとしてしまう。
ただ、なかなかにやっぱり伝統的な価値観みたいなものは強いらしく、今回の結婚式も両家の父親はそれを認めてないから不参加らしい。色々と複雑そうではある。
ティルパティでの乗り換えの数時間に、歩いて15分くらいのとこにある寺院に行った。
着いたら丁度 1時間の休憩タイム?で、待った。
その間に、ホスペット→ティルパティの電車のチケットをありまりさんが取ってくれた。
15回くらいやってやっと予約が成功したのを見て、ああこの感じで進んでいくにはこれくらいの根性がいるんだなあ、と思った。
寺院のクロークみたいなとこに荷物と携帯を預けないと入れない仕組み。
そこのスタッフの人らもやっぱりなんか親切。
ここの参拝の仕組みが全くわからんかったから、現地の若者っぽい女の子に聞いたら、その後、アメリカ出身という男の子が話しかけてきて、ものすごいテンション高く世間話をする人やなあと思ってたら別れ際急に真剣に静かになって、「何かわからないことがあっても現地の奴には聞くな。聞くなら住職に聞け。」と言われた。
だれも結局何者かはわからんが、ティルパティにいる人らは忠告しがち。
他にもなんかインド人学生6人くらいに囲まれて、インドの歩き方をすごいレクチャーされたりもした。
このときは特に女の子の圧がすごかった。
後でwhatsappでも同じ子たちから同じ忠告が来た。
髪を切って神にドネーションするというようなのをやってる寺院が近くにあるらしく、駅からの道には坊主姿の人々が老若男女問わずたくさんいた。
そんなにもみんなそれぞれ願いたいことがあるんだな、と思い、なんだか気持ちがキュッとなった。
なんか寺院のえらい像たちをみんなでぐるぐる回るやつがあった。
20ルピー払えばファストパスみたいなのをもらえて早く回れるのと、時間かかるけど並べばフリーみたいなのがあって、
後者のほうを選んだらめちゃめちゃインド人旅行客にサンドイッチにされた。
ただのサンドイッチじゃなく、ホットサンドみたいにすんごいぎゅうぎゅうに押される感じ。
とにかくインド人は距離感が近くて、ほぼ抱きついてるかのようにくっつく。
男も女も、ちびっこも思春期っぽい少年も大人もおばあちゃんも。
ボディラインがくっきりわかるくらいにくっつく。
こっちには押し付けタイプのセクハラみたいなのはないのかも。
私は人と物理的に接触するのが大好きで落ち着くので、これは気持ち悪いというよりは結構満たされた。
自分の性質的に ハグ文化がある欧米とかは生きやすいのかもなあ、と(かなりてきとーに)思っていたけど、こういうのもありかも、と思った。w
並んでる途中に、前後のファミリーとめちゃ喋った。
人はみんなやっぱりにこにこしていて興味津々でやさしい。
ゴーヴィンダというのがここの神らしく?、ゴーヴィンダーコールが鳴り響く。
後ろにいたそのファミリーたちも、ゴーヴィンダコールのかけ声側をめちゃめちゃやってた。
アイドルオタクの私としてはなんだかこのコロナ禍でコールは禁止され、ライブにも行かない中、とても懐かしいような気持ちになった。
そのあと色んな人たちによる、写真撮ってという声かけがもう膨大にあり、スターのようだった。
スターじゃなくてもこうなると結構とまどったり、なんだかんだ最後の方疲れたりするから、スターはきっともっと大変だろうなと思った。
なんか、参拝したひとの慰労みたいなかんじで軽食を配る文化があるらしく、ドーサが配られていた。
せっかくだからもらいたいけど2枚は多いから2人で1枚をもらおうと、列にふたりで並びながら最後一人抜けて私だけ残るというのにしたが、なんかその配ってくれてる住職みたいなひとがすごい歓迎してくれて、別のところに用意していたらしい、バナナの皮に包んだ大量のドーサをくれた。
結構どうしよう....となった(ていうか普通にどうしろって感じなんだろう)。
列の後ろに並んでいた人々は、なんであいつらだけ、みたいな感じでちょっともめてるし、目立つし。
というか、人を貴賎なく平等に扱う、というイメージのあった住職が、私たちのような他と違って目立っていて、経済的に豊かな国からの旅行客に対してそうやって特別なものをあげる、というのがなんだかちょっと残念だった。
この国において寺院でこんなかんじならば、結構この世の中ってハードモード、と思った。
貰ったあと戸惑っていたら、その住職が近づいてきて、あなたたちはそれを誰にもあげる必要はないよ、と言われた。
いやあ、そういうことじゃないんだよなあ、と思った。
たくさんのを貰うのも嫌だし、あげるのも嫌だし、あげないのも嫌、と思った。
でもどうしてもそんな膨大な量は食べられないので、路上生活者の人にあげた。
ものをあげる というのはどういうことなんだろうなあ。
道ばたのこどもにお金とかをあげるのは、そうやってお金稼いでるほうがいいやってなってその子が学校に行くことを妨げるからやめましょう、とかはわかる。
でも働くことは難しそうな高齢の路上生活者とかは?どうなんだろうなあ、
その後寝台列車にのりホスペットへ。
なんか電車の端っこの、一部屋?が2人のシートで、清潔で、とても居心地が良かった。
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