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タイトル『花瓶の淵で波を追う』によせて【新しいZine】

今年3つ目のZineをつくりました。

岩手で知り合った煙山美帆さんとの共同制作です。
私が美帆さんを撮った写真と、美帆さんの詩をまとめて本にしました。
なので言葉はすべて美帆さんのものなのですが、冒頭に、手紙のように少し、私の文章を差し込みました。
その文章をここに載せます。

12月2日時点ではまだ注文受付用の特設サイトを制作していないのですが、注文も受け付けています。
私または美帆さんのインスタグラムのDMでご連絡頂くか、suikanoyuge@gmail.comまでメールでご連絡ください。

煙山 美帆さん インスタ
坂田 美優 インスタ

 2023年の夏のよく晴れた日に、みほさんの写真を撮った。
時間にしておよそ1~2時間ほど、短くも鮮やかな、透き通る海と光の記憶。
撮影をする中で、みほさんは今、別な世界を見たいんだ、という印象が強く残った。

 この冊子に文章を載せ、その中の写真に写っている煙山美帆(けむやま みほ)さんは現在、岩手県のとある漁師町で暮らしている。東京で生まれ育ち、東日本大震災のボランティアをきっかけにその町に移住した。

小高いところに位置する、3人の娘を含む家族と住む家からは、三陸の海が見える。ふるくからの住民にならって、夏には雲丹を、冬には鮑を獲りに船に乗る。地域住民と比較すると格段に若い世代の移住者たちが集まる環境で仕事を持っている。その中でみほさんは早い段階で移住をした人の1人だ。家族を持って子どもを育てている人も、そんなに多いわけでは無い。

みほさんとは合計8か月ほどをその地で共に過ごした。当時大学を休学して岩手にいた私にとってみほさんは、いつも素敵なおねえさん、という認識だった。

 写真を撮らせてもらうことになったきっかけは、岩手を離れて少ししたときに、みほさんが書いた文章をたまたま目にしたことだった。
『肌寒くなったから、もういくね』という題のその文章を読んで、私は咄嗟に悔しい、と思った。

それなりに近いところで暮らしていたつもりだったのに、みほさんの中にこのような言葉があることを知らなかった自分が悔しい。様々な面があるうち、SNSに投稿しているほどには外的な一面であるかもしれないのに、そのようなみほさんにすら新鮮さを感じている自分の、その想像力の浅はかさが悔しい。みほさんがこんなに素晴らしい文章を書けることが悔しい。この文章への感動をどうしたらいいのかわからなくて悔しい。

それでも私はまっすぐであることが取り柄なので、即座にみほさんにその感動を伝え、いつか一緒に何かをつくりたい、と伝えた。私はそのときものをつくって売ることの楽しみを知り始めていて、つくることが自分にとって大切なことであることに改めて気付いたりしていた。文章を書くことと写真を撮ることが今の自分の表現の手段として結構いいんだと感じる中で、すぐ近くのみほさんから出てくる言葉が、自分にこんなにもあたらしく響くことが嬉しかった。

 その後みほさんのいろいろな表現に触れる中ですぐに、「みほさんのことを知らなかった」という気持ちは、何も自分の観察力の不足によって生じているのではないことに気付き始めた。みほさん自身が他者にそう思われることを望んでいるのか、と。

わからないことだらけだ、ということがみほさんの五感の、思考の、感性の、全てのその表皮みたいなところにひろがっている。その主張を自分の存在によって為すかのごとく、みほさんはなんだかちぐはぐしている。

みほさんは自分の書くものを当たり前のように「ポエム」と呼ぶが、その内容は時にそのファンシーでロマンティックな響きには収まらないような、身を切るようなみほさんの心が透けて見えるものだったりする。ポエムという言葉に抱く私のイメージこそが、根拠もなく凝り固まった未知ゆえに可能な、無意味な想定なのかもしれないが。

かといってそこでわかったような気になっていると、突如ポエムとしか言いようのないようなポップな表現によってまたも翻されていく。

 そんなことを表現したかった。誰もかも、何もかもが、いつまでたってもわからないこと。今見えているのは、その物事のごく一部に過ぎないということ。
わかるような気がして全然わからないひととしてのみほさんを写すことで、それができるんじゃないかと思った。

 そんなことを考えながら再び夏の岩手に赴き、久しぶりのみほさんとの再会に向けて私の中に浮かんだみほさんのイメージこそが、この冊子のタイトルである『花瓶の淵で波を追う』というものだった。

イメージなんてものは勝手で刹那的なものに過ぎない、という前提についての話をしようとしているこの場で、こんなものを定めてみることはなんだかその恥ずべき不遜に結局盲目になっているような気がしなくもないが。

でもむしろこうして私なりの一面的なイメージをまず定めた上で覗くみほさんに現れるさまざまな表情から、それが覆される楽しさみたいなものが浮き出てくるのではないかと思う。貴方はどう思うかな。ぜひ自由に捉えてください。

 絶えず押し引きを繰り返す波ぎわを、地面に手を伸ばしかがんだ姿勢で追う。
地面から水や養分を吸収するための管をあっけなく切り離されてしまった花たちは、その切り口を水につけていなければ、あっという間に萎れてしまう。
今、手に持ってしまっている花たちを、この波でいい。少しでも長くかざしておかないと。
塩を含んだ水は、真水につけるよりも切り花が長持ちするという説がある。塩分が菌を殺すからだそう。
みほさんに見える世界では、花たちが差されている花瓶はこの海なのかもしれない。
境界や壁があるものではなく、どこまでも果てなくひろがる水。


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