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Zine「大船渡 ハウルの船」販売開始します。【はじめの章を公開】

岩手県の三陸沿岸に位置する、大船渡市三陸町、越喜来。
ギザギザとしたリアス式海岸の、吉浜湾と越喜来湾に挟まれ飛び出た先のところに、「ハウルの船」の愛称で呼ばれる建物があります。

今回、ハウルの船で住んでいたときのことを写真と文章でまとめたZine(手作りの冊子)をつくりました。
そのZineのいちばん初めにある文章を、ここで公開します(写真の差し込みに関しては実際の冊子とは異なります)。
購入を検討していただく際の材料になったらいいなと思います。

*ご購入はこちらのフォームで受け付けています。

一番近くの民家までは木々の中を歩いて10分というちょっぴり人里離れたこの場所で、約2か月というみじかい期間、私がひとりで住んでいたときの記録がつまった一冊です。

2022年10月、山上に着くリフトに乗ろうと移動する車の後部座席にいるときに、メールが来た。
 
ものすごく入りたい、きっとすごく自分に合っていると感じ、だからこそ合格の自信も強く持っていた会社の採用直結インターンの、不合格を伝えるメールだった。
 

私はその時3日間ほど長野にいて、一緒に来ていた大好きな人たちの中でいちばんの年下としてのびのび過ごしていた。

さみしくて苦手だった秋のことを、この年私は好きになった。
海街diaryならぬ山中日記だ、私はすずだ!など、何の気なしに溢れ出た万能感に浸りながら甘やかな気持ちでいたのも束の間、絶壁の谷底に突き落とされたような気分だった。

でもそれはあくまでひっそりと隠し、見なかったふりをしながらどうにか目の前の楽しい時間にしがみついた。
 


インターンの開始予定日の約2週間前になっても結果が来なかったから、参加できないんだということはうっすらわかっていたような気もする。けど。

それでもなぜかやたらと自信と確信があったからこそ、その不合格の通知ひとつで自分の今後半年の計画が一気に変わることの不思議さというか、不自然さ、不都合さに戸惑った。
 
「選ばれる」という立場にいることはもううんざり。
自分が選ぶ、自分でつくる、そういう人間でいたいよなあ、と、精一杯踏ん反り返った。

けどまずはただただ悔しかった。
 

とどまることなくなめらかに山の斜面を滑り上がっていくリフトに乗せられながら、私たちと対向するリフトに乗る人たちの姿が、なんだかとってもまぬけでかわいいという話をして笑った。

脚をぶらぶらさせながら空に浮かぶ椅子に座る人びとは、知らず知らずどこかに運ばれていく無邪気なテディベアのようだった。

それでも、私たちも向かいから見たらきっと同じように無防備な人形である。
いつかは絶対、リフトに乗る人びとを写した写真集をつくるぞという決意をしたりしながら、スマホのインカメで自分たちの写真を撮った。この人たちのことがとても好きだと改めて思った。
 

そんな中でもずっと、せっかくこの私がはたらきたいと思ったのに、その意欲をうまく発揮する場にアクセスすることを世の中に阻まれたんだ、そんなことするならこっちだってもうどこでだって働いてやんないぞ、と、心の中の私はしきりに拗ねていた。
 

でも少し経って、いや、だからこそやっぱり自分でつくろう、何もかもは与えてもらうんじゃなく、自分でつくるものなんだ、それこそ私が得意で楽しめることじゃないか、そのためのまずはトライアル、そういうのをやろう、と思った。
 

私はリフトに乗っている間じゅう、ぶらぶらさせた足から靴が離れて落ちていってしまいそうなことが心配で、上りも下りも、靴をわざわざ脱いでは手に握りしめていた。

大学3年生 コロナ禍中の就活に、指先、いや爪の先の白い部分ぐらい ごくわずかに自分自身を突っ込み、その難しさを鈍く感知して即座に逃げ、もうすこし時間が欲しいなどと言って休学した。
 
大学生の就活の先にあるような仕事というのは恐らく案外バリエーションとして狭い、と今はまあ思うが、その時の私には特に、世の中の企業の殆どが ほんとうは必要じゃないような事物を生み出すことを仕事としているように見えた。

このままとりあえずどこかに就職して働くというには社会の中のいろんな営みに対して自分の目と心は冷静すぎたし、かといってそうじゃない生き方をすぐに選ぶには 当時の私の世界はあまりに狭すぎた。

学校を出る前に、自分はもっと人と関わるべき、もっといろんなものを知るべきだ、と思った。
 
正直に言うと、サマーインターンなどに応募してみても書類審査ですら全然受からなかった。そこで自信を失ってしまった。

それはきっと準備と迎合の圧倒的な不足が原因で、努力によってその結果は変えられたはずだと思うが、その努力をする気が全くもって起きなかった。シンプルに怠惰だった、ともいえる。

みんな同じような難しさ苦しさ痛さを抱えながらも努力して仕事に就いてるんだ、と言われたら、ほんとにそうだと思いますと謝まるしか私にはない。
非ばかりがあります、こんなのでごめんなさい、ぬるくてすみません、という気持ち。

このままじゃどこでも働けない。選ばれない。今のままの私は選ばれない状態では到底楽しくはやってけない。
私の心情はそんなものだった。
 
大学生というのがそもそも圧倒的に自由なものなのに、それ以上の、溢れかえって溺れてしまいそうな程のさらなる自由を手にして、実際にちょっと溺れたりもしながら、でも確実に良い一年を過ごした。

私の大学は休学にお金がかからないのをいいことに、あと一歩感がある、次はもう少し根詰めてやってみたら掴めそうだから、とかなんとか、根拠も何もないようなことを言ったり言わなかったりしながらさらに1年休学し、迎えた2022年の夏。

私は2年間を通して、合計約8か月を過ごした岩手を出た。
 
そして冒頭の、長野の旅につづく。
 

すべての仕事もすべてのお金も、単に邪なるものではない。

自給することの楽しさ・自由さも十分に魅力的だしそれを失くしたくはないが、自分がつくったものをいいと思ってくれる人からお金を貰い、自分じゃつくれないもの、人が想いを込めてつくったものをお金で買うこと、そこに込められた愛情や工夫を慈しみながら生活すること、そんな生活の一部に関わることも、とっても幸せなことである。
 
約1年半(当時)の休学の期間を過ごす中で私は、「はたらく」ということについて、そんなさわやかな解釈ができるようになっていた。
 
それと同時に、田舎の穏やかさやあたたかさにはかなり癒された一方で、人がたくさんいる都市だからこそ、ネットではなく物理的な場に集まれる境遇で、多数の選択肢からほんとに自分が好きなものをそれぞれが選べてつくれるということの持つ推進力みたいなものがあるということも感じ取った。
今自分のセンスを磨く上で、人がつくったものについての膨大なインプットができる都会というのはやっぱりまだまだ良いんじゃないか、と思った。
 
自由を求める気持ちと、柄にも無く芽生えた若者っぽい向上心。

少なくとも若いうちは都会とも多く接点を持ちつづけるのが、自分にとって気持ちのいい生き方なのかもしれない、と思った。
 
自分でつくってずっと気に入っている「ポジティブなしがらみ」という表現に込められたような田舎の近さや遠さや甘さや厳しさどれもが、今の私にとっては過剰で、かつ物足りなかった。
 
そんなこもごもの変化の中で、つくっているものに共感でき、大切にしたいと思うものが似ていて、憧れを抱くことができる人がいるところでなら働きたい、そんなところで生きたい、と思った。

そんなときに、東京にある、前から好きだった会社が新卒採用へのステップとして長期のインターンを募集していたので、満を持して応募した。
はたらきたい、自分の力を試してみたいと心から思えたので、できる限りの努力をした。

大船渡・越喜来の「ハウルの船」に出会ったのは、岩手を出るほんの少し前だった。
 
2022年の夏の狩猟免許取得をきっかけに色々と気にかけてくれていた大船渡の猟師さんが、先述したような理由で岩手を出ることにしていた私のお別れ会を、ハウルの船で開催してくれた。
 
ハウルの船のことはこれまでに友人からうっすらとは聞いていたけれど、その想像をはるかに上回るようなメルヘンチックな空間が、港を横目に集落を抜け、森のほうへ車で10分ほど進んだ先にある、まわりからかけ離された場所に存在していた。
 
はじめて足を踏み入れたときの驚きは大きく、こんなおとぎ話のような場所がすぐそこに存在してしまうんだ…と、全身全霊でときめいていた。
 
ハウルで開催された私のお別れ会は、猟師の「修(おさむ)さん」と私、私の友人の他に、ハウルのオーナー「わいちさん」も来ていた。
 
ハウルの近くの土で作ったという手作りのピザ窯でおさむさんが作ってくれた最高に美味しいピザを頬張りながら、ハウルの船に対する自分の心の高まりを伝えていると、わいちさんが「こんなにもいい建物なのに、今誰にも使われていないのが勿体ない。そんなに気に入ったんならあんたが住めばぃんだ」と言った。

とはいえこの時私はもう東京でインターンをする気満々だったので、その選考にもしも落ちたらここ住みます! と言い、わいちさんは、みんな気に入りはするけどほんとうに何かをするわけではねぇんだよな(あんたも一緒か)、みたいなことを言っていた。おさむさんには、もうここで住んだほうが楽しいんでねぇ? などと言われつつ、いやでも私はついにばりばり働くので、と言っていた。

ハウルと私とのロマンスはこのようにして始まったのである。
 
わいちさんが宿直室として作ったという一階の薄暗くコンパクトな土間のようなところで、あつあつの薪ストーブを囲みながらの口約束。

「ハウルに住む」という選択肢が私の中で様々に妄想を膨らませていたからこそ、少しの間私を呆然とさせたあの不合格通知も、その妄想をほんとうのものに、私をこの物語のヒロインにするための、ただ1つの出来事となった。
 

長野を出た翌日、本当にハウルに住みたいということをわいちさんに伝えると、「了解です。(スマイル)良いねー♫大歓迎‼️」というメッセージが直ぐに返ってきた。

長野を出て数日は東京に居て、その後岩手・野田村の猟師さんが、大阪にある私の親の家に松茸を送ってくれたとのことでそれを食べに関西に戻って何日かを過ごし、また東京に戻り、11月からインターンをするつもりでいた会社が主催するイベントのボランティアをしに群馬へ行って3日間を過ごし、その後一旦東京に戻り、バスで再び仙台の地に舞い戻ってきた。
 
舞い戻ってきたという言葉が私史上一番に似合うくらいに、仙台からの出発と仙台への到着に挟まれたこの3週間は、感傷的な気持ちと楽しい気持ちをひらひらひらひらさせて、自分が迷い彷徨っていることは確かながらもあくまで私は踊っていますと自分にも他人にも主張しているような期間だった。

ついこないだ同じ道を辿ったJRの電車に乗って石巻まで行き、そこからは友達が迎えに来てくれて 車で大船渡まで移動した。
 
10月12日、約半年間を過ごした岩手・陸前高田での仲間たちに 自分としては大層な気分で別れを告げ、これから私は一旦街で、憧れの人たちの中で「はたらく」ということを試してみるぞ、と意気込みわくわくしていたので、11月1日、1か月も経っていないうちにまた東北に戻ってきたことは正直ものすごく悔しかった。
でも、楽しみという気持ちになるしかなかった。
 
それくらい私の心をときめかしたハウルの船だった。

(つづく)

文章を書くだけでなくいろんなデザインにもこだわっているので、実際の冊子を手にとっていただけたらとっても嬉しいです。

*以下の書店またはON READINGさんのオンラインショップにてご購入いただけます。
<神戸>
・古本屋 ワールドエンズガーデン(摩耶)
・1003(元町)
・本の栞(元町)
・mochi books(六甲・私設図書館での貸出し)
<奈良>
・ほんの入り口(奈良)
・人文系私設図書館 Lucha Libro(東吉野)
<名古屋>
・ON READING(東山公園)
<福岡>
・taramu books & cafe(大牟田)
<徳島>
・泊まれる本屋 まるとしかく(美馬)
<東京>
・百年(吉祥寺)
・バックパックブックス(代田橋)

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