桃太郎
昨日のこと。
今一緒に生活をさせてもらっているご夫婦と、外で飲んで3人ともかなり酔っぱらって24時近く。
家への帰路、坂道をぴよぴよと歩きながらの冗談の中で、 その夫婦にとって私は桃太郎のようなものだ、という話がなされた。
分かれ道で家とはちがう方に行って、「うちの桃太郎さんはまだ道がわかってないみたい」と言われたのが発端。
次いで、「もう鬼退治は自分たちがしっかりしといたからね!」と。
「だからもう美優ちゃんは、きびだんごじゃなくて、これはきみのための団子だよ~と言いながら”きみだんご”を配り歩けばいい」と、笑いながら言われた。
お酒の回った最中のこんなのを切り取られるのは心外なのかもしれないけど、私にはあの言葉あの雰囲気が、酔っぱらっているとはいえどうしてもふわふわと飛んでいってはしまわなかった。こっそりしっかり摑まえて、しみじみと身体に染み込ませている。
贈与だ、
見返りを求められず、出会いのようなものを根拠に存在をただただ肯定され、自由をものすごく認められている。
けれどもたしかに期待もしてもらっている。でもその期待が実ることありきの愛ではない。
なんてこった。
ほんとうに自由だ。
私を縛っているのはもう正味、自分自身くらいかもしれない。
変に制限したり諦めたりするのではなくて、こういう自由を与えられているからこそ自分で自分に順当なストイックさを課していきたいもんだなあ。楽しんでいること、明るい知的好奇心を外の世界に対して持ち続けるということにストイックでいたい。
身体と思考をしっかりと動かしていく。