学校行こう

「ネコだ、ネコ好き?」
と近づいてきたのも覚えてる。

学校帰りだったのか、制服だったNに、私はネコの質問には答えずに、「家、近いの?」と聞いた。近い、と言ってNは、ネコをなでた。

なんで学校来ないのとか、私がめんどくさいと思う質問はなにもされなくて、その代わりに、「東京ってどんなとこ?」と聞かれた。
なんて答えたんだったかな。東京には本屋とCDショップがある、でもここにはない、みたいなことを言った気がする。そして、何言ってんだろ…と後悔した気がする。
「なんで?東京行きたいの?」
「あー俺こんど行くんだよ」
「そうなんだ、いいなー」

いいなーなんて言っちゃダメか、ここをバカにしてるように聞こえたかな、と思ってまた後悔したけど、Nは気にしている様子はなかった。

「じゃあなー」と言って去っていったNの後ろ姿を見て、あれ私、ここにきて何か月もたったけど、こんなふうに話しできるのNだけだなと気づいて、3年になったら学校行こう、と思った。なんでかわからないけどそう思った。


3年になった私は、学校に行くようになった。
最初はつらかったけど、2年のときのクラスメイトがほとんどいないクラスだったこともあって、ふつうに話しかけてくれる女の子たちがいて、私は彼女たちによってようやく学校になじみ始めた。

Nはまた同じクラスだった。
親しげに話しかけてくるのは変わらなかったけど、2年のときのように、それを非難めいた眼で見る女子はいなかった。私が変わったからかもしれない。できるだけ、自分なりの親しみやすさを出してクラスメイトに接したのだ。最初からそうすればよかったのにね。こんな田舎、と思っていた私に問題があったんだろうと今は思う。

Nが東京に行ったのかは気になっていたけど、それを話す機会もなく、日々は過ぎて、私は2年の不登校期間がうそのように、毎日楽しく学校に通った。

いつか東京に帰る、というのは、父の仕事の都合であの田舎町に引っ越したときから言われていたことだったけど、「いつ」なのかは知らず。いつかわからないので、夏が過ぎ秋が来て、高校受験の季節になった。
県立の高校を第一志望に、私立の高校を滑り止めにして、私立の受験を終えたあたりだった。帰宅したら母に、「お父さん、転勤だって」と言われたのだ。

ショックのような、待っていたような、よくわからない感情のなか、母が、「大阪ね」といった。

大阪?東京じゃなくて?

思いがけない行先に、どうしようもないのはわかっているけど、なんで、やだよ…と言ってひとしきり文句を言い、でも母はそれをほとんど聞かずに学校に電話して私の担任につないでもらい、さっそく転勤のことを相談し始めたのだった。

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