西日が入る窓

それほど、いや全然好きじゃないHくんと、深く考えずに付き合ったことを後悔した私は、淡路島日帰りのつもりが一泊旅行から帰って間もなくHくんにお別れを告げた。
俺何か悪いことした?と聞くHくんに、いや悪いのは私…と、ひたすら別れたいことだけを伝え、呆れられて無事お友達に戻ったのだった。

大学3年になる直前に、父が東京に戻ることになった。関西が肌に合わない母は喜んで荷造りをはじめ、私はもう、ついていくという選択肢はなく、棚ぼたのような1人暮らしが始まった。

親が決めたアパートは古くて小さく、大家さんが一階にすんでいるという物件だった。親切な人たちだったが、いつもなんとなく見られている感じがして気が休まらず、私はそこから引っ越したい一心でバイトに明け暮れた。

難波駅の地下街にあった本屋で、夕方17時から閉店する21時までのバイトを始めたのはその頃だ。大きな本屋だったので客が多く、とくに夕方の時間帯は殺人的な忙しさだったが、時給がよく、ほぼ毎日入れば月に10万近くは稼げた。

夕方は社員は一人だけで学生バイトしかおらず、みんなほとんど毎日会うのでとても仲が良かった。居心地の良い仲間の中で働くのが好きで、バイトに行くのは楽しみだったが、もうひとつ、楽しみがあった。本屋と同じ地下街にある、カフェのお兄さんだ。

お兄さんはJさんといった。手ぶらにエプロン姿で立ち読みする姿は本屋の学生バイトの中では有名で、そのうちだれかが声をかけて仲良くなり、私も会えば立ち話をする仲になった。

Jさんは3歳年上で、神戸の大学を休学中だと言っていた。しっかりしているのか、そうでないのかわからない人で、寡黙なのかと思えば、よくしゃべることもあり、立ち読みする本はバイク雑誌から純文学まで、つかみどころない人だった。それでも、話しかけるとちゃんと目を見て答えてくれて、たまににこっと笑ったりするものだから、学生バイトの女の子たちの中には、けっこう本気でJさんを落とそうとしていた子もいたほどだ。

Jさんは、どことなくNに似ていた。顔は似ていないのに、たたずまいだろうか。存在感が似ている。もちろん触れたことはなかったが、ゴツゴツした手に気づいて、それも似ていると思った。

大学からはちょっと距離があるけれど、オートロックつきで8階建てのワンルームマンションを見つけ、引っ越せる目処がたったのは、1人暮らしを始めて半年後のことだ。

両親には、仕送りはこれまでと同じ額でいいこと、足りない分はバイト代でなんとかすると伝えた。

とてもいい部屋だった。ワンルームの割に広いベランダがあり、台所にも小さな窓がついていた。そこからちょうど西日がさして、夕方、暗くなる前の部屋をオレンジ色に染めた。

そんなある日、大型の台風が近づいているので、地下街がいつもより早く閉まることになり、本屋も閉店するので、早く帰りなさい、となった。仲間たちと別れてJRの改札に向かう途中で、Jさんに会った。

Jさんと同じ方面に住んでいることは知っていたが、駅で会うのは初めてだった。同じ電車に乗り込み、隣に座って他愛もない話をしながら、あと数駅で私が降りる駅、というとき、電車が止まった。人身事故だという。
台風が近づく中、電車はしばらく動きそうにない。
Jさんが、「歩く?」と言った。


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