帰国編2
~コバンザメのシチリア滞在記~
帰国を決めた3月の4週目。29日のアリタリアのローマ~羽田便を予約。しかしキャンセルされそうだとの在伊日本大使館からの情報を得て27日の成田便に変更。後日案の定キャンセルされた(しかも10月現在まだ日本便は再開していない)ので、このときは全身冷や汗が出るくらいほっとしたのを覚えている。
航空券は確保、しかし2日ほどで部屋を空にしなければならず、後ろ髪をひかれながらモノを捨てる作業に没頭した。
外出制限下で部屋に“籠城”するつもりだったためストックしたたくさんの食品やワインなど。開封したばかりの“美味しい”食品を捨てなければならないことはかなり苦痛だったし、片付けながらシチリアでのいろいろなエピソードが次々と蘇ってきて、とてもセンチメンタルになっていたなあ。
一人ひとつの特大スーツケースでシチリアへ渡ったが、帰りは夫婦それぞれ小さいキャリーケース分が増えて帰国準備完了。部屋は友人のお兄さん夫婦の持ち物ということで、事務的な手続きが必要なかったのは本当に助かった。
デパート等店舗が閉まっていて、あとでお土産に買おうと思っていたものが全然買えなかったのはとても残念。
3月27日。出発の日。最後のゴミ捨てに行ったついでに、閉鎖されてがらんとしたメルカートの広場の写真撮影。その前の5日間、カターニアにしてはめずらしくずっと雨だったので、出発当日は晴れ間が出て良かった。
以前あまりよくない野菜を売りつけたからもう二度とそこでは買わないと決めた野菜売りのおじさんが街かどに立っていたので、最後だからと「Buon giorno」と挨拶したら、思いのほかにこやかに「Buon giorno!」と返されて、なんだ、もう1回くらい買っても良かったなと思ったり。そのおじさんもオープンメルカートの閉鎖のあおりで屋台が出せず、でも毎日いつも自分が出していた場所に来て立っていたのだ。
空港バスは運休だったので、友人が車で2往復してくれた。自家用車の乗車人数制限も出ていたし大きな荷物もあり3人一緒には乗れなかったからだ。タクシーの手配も難しかったあのとき、友人の好意がなかったらいったいどうなっていただろうと今でもしみじみ思う。
外出制限のせいで空港への道はすいていた。スピードを出して空港へ向かう友人の車から、静かすぎるカターニアの街を見るのは胸が痛かった。そして握手もハグもできずにマスクと手袋をしてのお別れ。私たち夫婦はマスク不足で買えなくて髪ゴムとキッチンペーパーの即席マスクをしていたのだけれど、彼がそれではあんまりだろうといくつかちゃんとしたマスクを持ってきてくれていた(搭乗にはマスク着用が義務づけられていたのである)。加えて携帯用除菌スプレーも。いかにもコロナ禍らしいがタイムリーな嬉しいお餞別だった。日本ではあまり見ない紫色の不織布マスク。今でも1枚記念にとってある。
空港も人が少なくゴーストタウンのようだった。冠雪したエトナ山を見ながらチェックインへ。
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