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胡蝶之夢

はじめに。


おはようございます、こんにちは、こんばんは!りあんと申します!
だいぶ久々な気がいたしますが、前回・前々回に引き続き、四字熟語シリーズより胡蝶之夢を解釈していきたいなと思います。毎度ながら、1おたくの個人的な解釈ですので、それを踏まえてご覧いただきたいなと思います。

YouTubeの概要欄に、『君を思う最後の歌』という表記がありますので、それに沿って、男性…天夢が亡くなる直前あたりにフォーカスしてみたいと思います。
人物名や設定は前回、前々回と同じです。それでは!

胡蝶之夢とは?

まず、胡蝶之夢、という説話があるらしく、少しだけ調べてみました!
昔の中国である宋の思想家、荘子による説話で、めちゃくちゃ簡単に意味を説明すると、「夢と現実の区別がつかなくなってしまうこと」らしいです。
ここ最近では、歳をとるともの忘れが酷くなったり、記憶力が薄れてしまったり、、というのは当たり前だと捉えられていますよね。この時代はどうだったのか分かりませんが、歳を重ねるにつれて記憶力が薄れてしまうことはあったはずです。そんなふうに今と夢の区別がつかなくなっていくなかで、華のことだけはずーっと想い続ける天夢の健気さが伺える歌と解釈してみましょう!

それでは歌詞に入っていきます。

本編

風鈴のような 君の声が 響く 
夢の合間に 朧に霞む 君の姿
伸ばす手は 空を切る

胡蝶之夢

風鈴のような声って素敵な表現ですよね。綺麗で爽やかで、でもどこか儚い風鈴の音と、同じく儚く天夢の前から消えてしまった華が重なります。
朧げにふわっと華が現れても、それは夢の中でしかない。
手を取りたくて伸ばした手は空振りしてしまいます。
華が消えた空に向かって幾度も手を伸ばしたんだろうなと思うと、初っ端から切ない気持ちになりますね。
また、MVはメンバーさんのイラストが浮かんでは消え、浮かんではまた消えていきます。儚さがプラスされていますよね。

水面映る月を 何度救い上げて
叶わぬこの思いを ただ希う

胡蝶之夢

月夜に消えた華を想い、本物ではない、水面に映る月をすくう天夢。あなたに会いたいという叶わない願いをひたすらに願います。
水面に映った、いわゆる偽物の月を夢と捉えると、現実から夢に手を伸ばす天夢が思い浮かびます。
また、ここでひとつ気になるところがありました。
水面に映る月は水ですよね。水をすくう、というのを漢字で表すと『掬う』と書くんです。なぜ『救う』なんでしょう?
ここがいろんな解釈ができるポイントなのかな?と思います。
わたしの考察としては、月を救う≒月にいる華を救う、または救いようのない悲しみを持つ自分を憂うシーンなのかなと、、
薄っぺらい考察なのでぜひぜひみなさんの考察聞きたいですお願いします!!!
この直後、MVでは涙とみられる水滴が落ちる様子が描かれていて、より一層虚しさが深まります、、

君の君の最初で 最後の願い事だった
僕の僕の幸せ願う 手紙に花を添えて

胡蝶之夢

天夢の幸せを願う華の言葉は、月白風清のMVにある言葉『幸せになってね』、清風明月の歌詞にある『どうか幸せになってね』と同じだと解釈していいのかなと思います。
MVでは紅葉が描かれているのですが、花言葉を調べてみると「大切な思い出」、なんかぴったりですね。

だけどだけどただ寂しいよ 君のいない現世
君がいなきゃ君の願いも叶わないことくらい
わかってたはずでしょう

胡蝶之夢

華がいることが天夢の幸せ…ということは、結果的に華の願いは叶わないという悲しさ、寂しさが歌われています。
また、サビに入ってから、「君の君の」「僕の僕の」「だけどだけど」といった繰り返しが多用されています。
その言葉を強調させるとともに、言葉に詰まってしまっているかのような苦しさも含ませている気がしました。

夏風のような 君の髪と 似てる 後ろ姿に
絆されてまた 夕暮れ響く 集く ひぐらしの夏

胡蝶之夢

夏の風ってどんなイメージがありますか?
わたしはなんとなく明るくて、でも少し重みがあるような感じがします。
そんな風に似た髪、きっとつややかで綺麗なんだろうな、、、
後ろ姿、というか顔でなく佇まいが綺麗な人って素敵ですよね。剣道部の方とか弓道部の方、特に姿勢が美しい印象があるんですが共感して貰えますかね…???
それは置いといて、そんな後ろ姿からいい女オーラが出まくりの華、完璧人間すぎて泣きそうです。
また、ひぐらしを調べてみたところ、どうやらセミとのこと。秋の季語らしいです。鳴き声が夏の終わりを連想させるんだとか。夏の終わり、夕暮れ頃に華の後ろ姿を眺める天夢はどんな想いを抱いていたのでしょうね。
もう少しでいなくなってしまうことが分かっていたのなら、触れて抱きとめてあげたい気持ちと、美しくも儚い華の姿に締め付けられるような気持ちでいっぱいなのかなあと感じます。(あくまで個人の意見ですので脚色しかありません。ご容赦ください。)

朝も昼も夜も 君を思っているよ
何度月が消えても 色鮮やかで

胡蝶之夢

この部分は時間の流れとは裏腹に、華への想いを募らせているみたいで素敵ですよね。

僕の僕の最後で 最後の願い事だった
君の君の未来を思う 四つ葉に願い込めて

胡蝶之夢

四つ葉の花言葉は「私のものになって」「約束」「幸運」。
また、四つ葉の葉1枚1枚にもメッセージがあるそうです。「希望」「誠実」「愛情」「幸運」これでもかと幸せを願いまくっている天夢、健気でかわいらしいですよね。
一方、華が居なくなってしまうかもしれない未来で一緒にもっと幸せになりたい、と少しでもその未来が続くように、近づくように必死で願う天夢は少し子供らしいような、現実を受け入れたくないような複雑な感情を抱いているようにも思えます。

いつかいつか忘れられたら
なんて思えないよ 千の秋をいくつ重ねて 
君を思っている 今も夢の中で

胡蝶之夢

つらいことって一刻も早く忘れてしまいたい人もいますよね。でも、大好きな人を忘れてしまうことは、もっと辛いことなのかなと。天夢にはそんな選択肢ないんだろうな。
一日千秋、という言葉があるように、生きる糧のひとつあるいは全てであった華がいなくなった日々は退屈で寂しさに満ちていて、とても長く感じてしまうものですよね。そんな一日を何週間、何ヶ月、何年何十年重ねて自らも老いていきます。
夢の中でくらい、毎日会わせてほしいなと思いますが、きっとそんなに甘くないですよね。

君の君の 最初で最後の 願い事だった
君の願い事 一つくらい 叶えてあげたかった

胡蝶之夢

一つくらい、ってことはいくつか願いがあったのでしょうか?でも、お互いをこれでもかと想い合うふたりはきっと何につけても相手に絡んだ願いを残すんだと思います。
それは同時に、自分もそこにいる事で成り立つ、当たり前だけど尊さに溢れたものでないといけません。
そんな当たり前が消えてしまった2人は、願いをたったひとつ叶えることさえも難しかったのかなと感じました。

何十年経って君を忘れず 恋思えることが 僕の僕だけの幸せで 僕のすべてだった
今 瞼を閉じる

胡蝶之夢

ここで曲は転調し、私の言葉ではうまく表せませんが、ラスサビに相応しい、がっと引き込まれる歌声が響きます。

さて、結局忘れることは無いまま、歳を重ねた天夢。舞台となっているはずの平安時代は、たくさんの恋愛をするほど名が知れていく時代なのですが、果たしてこんなふうに1人を好きで居続ける人って存在したのでしょうか?そんな時代だからこそ、想い続けてくれる天夢を華も悲しい運命を背負いながらも想ったのかなと思います。
愛を伝え続けることができなくても、ずっと恋思うことが幸せだった天夢は、寂しさと儚い幸せを抱き続けながらも恋に生きた人だったのでしょう。ある意味全てをかけて恋愛をし続けた人なのかもしれませんね。
今瞼を閉じる、という表現を曲の最後にいれることで、夢の中へ誘われるような感覚へ陥ります。
亡くなってしまったのか、はたまた夢の中で会いに行っているのかは想像次第ですね。

おわりに。 

またまた長くなってしまいました、、、
もう少しで四字熟語シリーズ終わります!!!長い!!!!胡蝶之夢のコメント欄にあるメンバーさんの言葉には「最後」という言葉、「~完~」という表現があります。
次回書く予定でいる「花鳥風月」をどう解釈すればしっくりくるか頭を抱えています、、

さて、長話はこのへんにして…
今回も長文お読みいただきありがとうございました!
みなさんの解釈をぜひ!!!お聞かせください!待ってます!!!!

↓↓↓胡蝶之夢↓↓↓
https://youtu.be/aWRW0Xq7MtY


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