やっぱり君が1番なんだ
はじめに。
こんにちは、こんばんは!りあんと申します。今回は初めて、歌ってみたのlyricについて考えてみたいな~と思い、たくさんの作品の中でも「ハイドアンド・シーク」について書いていきたいと思います。
(今年のお誕生日をお祝いできず、なにか出来るものはないかな~~~と思った末の結果でもあります)(ほぼ3ヶ月)
優しい声色で紡がれる言葉が大好きな1曲です。
例のごとく配信で言及していたとしてもお邪魔していないため、1オタクの自己満として、少しでも読んでいただけたら幸いです。
本編の前に
オリジナル曲と違い、他の方の原曲があるうえでのlyricですので、原曲の方の歌詞を引用させていただいたり、若干の考察を含む可能性があります。原曲ももちろん大好きな曲なのですが、考察しすぎるのもなんか違うな~…と思い、悩んだあげく絶妙に薄っぺらい解釈となっています。解釈違いだな、薄いな、、となったらブラウザバックを推奨します。
また、概要欄に上記の言葉があります。ハイドアンド・シークを生み出した19's Sound Factoryさんが手がけた作品からの引用またはリンクしたlyricがありますのでそこも絡めながらお話できたらと思います!今回も長い文章となりますので、お時間ある際に気軽に読んでいただけたら嬉しいです!
本編
まず、ハイドアンドシークとは『かくれんぼ』のこと。歌詞にも僕と君、という言葉が多く出てきます。
今回は主に
①本当の僕=君とする(1人で心の中で戦ってるみたいなイメージ)
②登場人物は2人で、僕≠君だと考えて読み解く(初兎さんが「僕」目線、聞き手が「君」)
の2つを意識しながら書いていきたいなと思います!
この解釈が正しいんじゃないかな?という明確なものが思いつかず、①寄りのlyric、②寄りのlyricの考察が混在しますので、いつも以上に読みにくいと思いますがご容赦を。
また、②の初兎さんの「僕」はあくまで目線であって=僕ではないとします!
主観なんですが、初兎さんは自分のことを書く、っていうのが少ない気がしていて。ただlyricを通じて曲の中に入り込むのが上手なんですよね。lyricについて考える中で何度も初兎さん=僕になってしまいそうになるくらい、リンクしていく表現でいっぱいなんです。ということで、lyricに入っていきます。
「押し殺す」という表現。プラスイメージには使われないですよね。だから出てきたらだめな部分を押し込んで固めたのが「君」。
または自分なんて、と暗い思考に落ちている「君」。
愛想が尽きる…極端に言い換えてしまえば嫌い、という表現でしょうか。
もしも嫌いになってしまっても気にしない!
自分が愛されたいからまずは自分から!
すっごく寛容というか、でも初手が自己犠牲的というか、言葉にうまく表せないですが。なかなか実行に移すのが難しいマインドだなぁ、と思っています。返ってくるかも分からないものをずっと与え続けて見返りを求めない感じ。普通の人間にはきつくないですか?
「振り返る」「もういいかい?」はかくれんぼの要素が詰まってますよね。そういう言葉選びも素敵だな~と思います。
振り返る、つまり後ろを見る、過去を見る。
振り返って自分と、相手と向き合うにはまだ早いのかもしれないけど、「君」を見つけて迎えに行きたい。
探す、ということは今は逃げてる状態なのかな、と思います。心の傷や暗闇みたいに先の見えない暗さに侵されている部分がまたえぐられる可能性もあるけど、「だめな部分も古傷も全部愛してあげたい」と言っているような、あまりにも眩しくて全肯定な部分ですね。
【キミとボク、まわるセカイ。】には『不器用なボクを愛してくれたこと』『不器用なボクが君に渡せるもの』などの歌詞があります。
自分は不器用であり、相手はボクにとって眩しい存在、というものが感じられる楽曲です。でもこのlyricでは、2人とも不器用であるような書き方。キミ=ボクだとするとそれが成り立つような気もします。でもまあ、個人的にはボクもキミも不器用、と捉えても試練をヒイヒイ言いながら乗り越える感じがして好きです。……個人の好みで解釈すべきではないですが。
話を戻します。
希望論という言葉自体はない、というか理想論、に近いものを感じます。
希うと望むで希望って書くんですが(素敵ですよね)、そう考えると理想より希望の方が明るくて柔らかくて神秘的な感じがしませんか?そんな希望を抱えながら不器用でも愛を目指す。愛が見つかれば押し殺してしまった自分を認められる。逆に相手のことは褒められるのに自分のことを褒めるのは難しい。でもほんとは大切にしたい。うーーん、相反するように見えて結構あるあるです、めちゃくちゃ不器用。その自覚もあるんですよね。でも諦める材料にはしないんです。アクションを起こすのは自分を、相手を変えたいという意志が強くないとできない。不器用だけどまっすぐで愛おしい。
「元気でいてね、ずっと好きだよ」に対し「元気でいるよ、僕も好きだよ」。
【トワイライト急行】との対比のlyricです。この会話だけでも、互いの幸せや平穏を祈るような、さらにずっと好きでいるからね、というようなニュアンスで安心させてくれるような、甘くて優しくて、でもなんとなく儚いイメージです。
暗闇の中でもがいたとしても、やっぱりそんなに簡単に救われるわけではなくて。苦しくて手が悴むような感覚になったり、しんどくなったり……そんな中でも話した記憶や大切な人の言葉をお守りとして握りしめているみたいであったかさを感じます。
でも握りたかった→暖めることができたかはわからないんですよね。自分とイコールの存在なら(自分が自分を否定してるから)暖められないし、そうじゃなくても言葉が届かないかもしれない。
【リマインダー】は相手が亡くなることを示唆する表現があり、人生を手帳に例えて、最後まで君といられた思い出を書き残していくような楽曲です。
「挟んでいたい」は願望形。リマインダーとは少しちがって、まだ人生は終わらないし終わりは見えないけど、最後の最後まで君といたい。人生の最後に横にいて欲しい人、君だよって言われたら、「こいつ重………」って思う人も少なくないはず。でもそれを口にできるってことは、それを受け入れてくれる自信があり、覚悟もあるんだな~と。
そして、挟むという表現。恐らく栞の代わりですよね。初兎さん、周年などの歌ってみたに「栞」という言葉を入れることがあるんですが。栞はここまで読んだ!進んだ!という目印です。もっとエモいというか、事実と感想の中間みたいな(伝われ)言葉の表し方を調べてみたところ、「道標」という表し方が。
「君」との思い出を道標に進んでいくの、めちゃくちゃいいなと……(小並感)
途中で出会う人は数え切れないけど、最後はこの人といたい、と思える人は多くないと思うんです。
他とは比べ物にならないくらい君が1番!
自分と大切な人の繋がり、想いの深さが詰まってますよね。眩しいくらいの好き!が溢れていてとても大好きなlyricです。
「君」は「押し殺した僕」でもあり、大切な人を思い浮かべても意味が通る部分かな~と思います。
つらい時、どうにか笑ってそれを隠そうとしても、限界を超えたらどう頑張っても笑顔にはならない。心がどうしてもズキズキとして、溢れてくる涙を止められない。
その要因は1つではなくって、自分の思い通りにならない悔しさによる痛みや自分はつらかったんだと自覚した痛み。その自覚によって今まで無意識に抑えられていたものが溢れてきてしまう。
そんな苦しさを抱えて孤独を感じているような「君」を「僕」が包む
がんばってるね、えらいね、大丈夫だよ、大好きだよ。そんな言葉で包んでくれる。
「〜の」っていう語尾、「」がないから喋ってはいないと思うんですが、話し言葉っぽくて心の中の言葉みたいなんですよね。
そんな心から出てくるストレートな言葉を歌に乗せて届けてくれることで、丸ごと全部肯定されている気分にさせてくれる。
あと、「伝えたい」「からこそ」「歌いたいの」
他のlyricと違って区切りが目立つような歌い方なんです。
苦しさを受け止めながら、なんなら受け止めたら苦しくなってしまって、救いたい側も泣くのを堪えながら抱きしめてくれるような感覚になります。
止まらなかった君の涙が落ち着いたら、歩幅を揃えて、今日を一緒に歩む。
別れの言葉である「さよなら」を君に言わせないために、毎日君が「またね」って言えるように。いつまでも変わらず続くような繋がりを持ち続けるような、優しさと一緒に強い決意も伝わるlyricです。
『笑顔も涙も抱えながら僕らは今日をまた歩いていくんだ
忘れないよ君の言葉も声も』
…トワイライト急行
MVのここの部分には【トワイライト急行】の文字はありませんが、少しリンクしているlyricですね。君の楽しかったことはもちろん、悲しかったことも全部忘れず、それさえも思い出として残していく。
このlyricが好きなところ、僕が正解ではないってところです。…ちょっと説明が難しいんですが、こういう応援っぽい励ますような詞って、「俺についてこい!!」とか、アラジンの「僕を信じて」みたいな圧倒的に光属性な詞があることも珍しくはないと思うんです。
でもこのlyricは、「僕と君だから正解へ歩いていける」ような、君だけでも僕だけでも辿り着けない場所、あくまで僕が導くけど、2人で行こう!というニュアンスが含まれている気がして。
苦しくて闇の中にいるようなlyricから一転、笑顔で手を差し伸べてくれる雰囲気を纏うような、そんな部分だなと思います。
唄う→音程や調子をつけて発声する
君のために紡いだ言葉を伝えるイメージでしょうか。もちろん僕自身も怖いけど、君の笑顔が見つかるなら向き合い続ける。不器用って言ってたけど、男気というか、ヒーローみたいですよね。
そして「ひとりじゃないよ」「2人で行こう」を再度繰り返していくところ、相手にも自分にも言い聞かせているみたいで素敵です。
少し長くなります。(手遅れ感)
嘘を重ね続けていくと、何が本当なのかさえ分からなくなって、自分の中で分かっていたはずの境界線がぼやけていく。
ハイドアンド・シークの歌詞冒頭にあるように「嫌われることが怖くて」「誰かの陰口が痛くて」自分を隠してしまった僕は、嘘と同じように自分を騙し、隠し続けたことで自分の本当のものが見えなくなったのかな、と思います。
そしてこの部分、lyricのなかでも珍しいセリフ部分ですよね。
まあ厳密にはそんなセリフではないかもしれないんですが、自分の気持ちが分からないって、他の人が救うことってほぼ不可能じゃないですか。もうわかんないからほっといてよ…そうやっていっそのこと、すべてシャットアウトして拒絶してしまいたい。自分も周りも傷つけてしまうならば、ずっと暗闇でもいい…とでも言うような、後ろ向きで寂しさを感じるセリフに感じます。
でももう1人の僕が、または大切な人が、わかんなくてもいい、と全肯定する。どうしたって手を引っ張られて光に照らされてしまう。押し殺した自分も、隠された自分も、全部全部ほんとの姿だから。それでも本当の自分を見つけたいなら一緒に行くから、もう強がらなくていいよ、と手を取って暖めてくれる。
「もういいよ」って救うにしては単純で、というかなんなら少し呆れているような言葉で。でも、まっすぐな言葉どうしって、ぶつかり合って折れてしまうことも多くって。だからこそ、呆れ笑いのような「もういいって!笑」の言葉で、全部どうでもよくなって包まれたくなってしまう。
愛されたいから僕から愛してあげるんだ、それが行動に出ている場面でとっても好きです。優しい言葉で包んでくれる一方で「僕が見つけ出す」という強い意志がある、いい意味での二面性です。
ここの部分だけは、初兎さん自身のことも混じっているのかな?と思います。
急に君=音楽を結びつけているので、初兎さんと音楽なのかな、と感じます。ここまで書いて、散々世界観を持ったlyric!!!と言ってきたのに初兎くんと音楽のお話だった可能性も0ではないのですが、オタクの解釈なのでこのまま突っ切ります。
話を戻します。この「僕」は「君」目線でも「僕」目線でもある気がしていて。となりの芝生は青く見える、ということわざがあるように、自分とは違うものや自分が持ってないものはやっぱり羨ましいんですよね。近くにいるからこそ、勝手に比べて傷ついて、相手ばっかり見ていたせいで自分がどこにいるのか、なんなのかわかんなくなる。離れたいな、嫌いになってしまいそうだな…とネガティブになることもあります。でも、やっぱり大好きな君と一緒にいると、自分も少し救われる気がする。楽になれる気がする。隠している本当の自分が少し顔を出して楽しそうにしている。小さな苦しいことばかり思い出していたけど、相手と過ごした時間、自分を見つめた時間は無駄じゃなくて、なんなら幸せを見つける過程だったはずの2人で歩いて来た道そのものがたくさんの幸せで溢れている。
ずーっと続いていたかくれんぼ。もういいよ、の声が聞こえた気がして。早く「君」を見つけたい!と思ってはいたけれど、いざ聞こえるとすぐに探す!!というわけではなく…不器用で優しさの塊のようなここが好きなんですけど。
じゃあもういいかな、念の為もう1回聞こうかな、幻聴じゃないよね?
そんな気持ちを含みつつ胸の高鳴りが感じられるlyricです。
やっぱり幻聴じゃなかった「もういいよ」は「君」への道標となり、「君」が声をあげてくれたことで愛に、「君」にたどり着く
塞ぎ込んできただめだめな部分、認めてあげられない自分を急には肯定することはできないけど、1歩踏み出すごとに笑い合える未来が開けていく。自分ってなんのために生きているんだろう、20年間(これはおそらく初兎さん自身)考えてきたことがやっと。
君に会うために、君と笑い合うために生まれてきた。【君のために生まれてきた】の親戚みたいになってしまいましたが。
何のために生きてるの?って聞かれてぱっと答えられる人はどれくらいいるんでしょうか。少なくとも私は答えられないな、と思います。でも、すぐに正解を出す必要なんてなくて、それを探すために生きてるんだよ…そうやってもう1人の自分が答えてくれるような、隠し続けて逃げてきた「君」を丸ごと包んで「生きる理由だよ」とでもいうような、ほんとにほんとにスケールの大きい愛のlyricで締めくくります。
最初の方に「僕」が「君」を救うようなlyricだというニュアンスをお話したと思うんですが、こう読み返すと「僕」自身が「君」といることで救われ、「君」と一緒に自分自身も認めてあげられるようになったlyricにも見えてくる気がします。というか、そう考えると「愛されたいから自分から」のマインド、自己犠牲というよりは自己満足なのかも。自分を押し殺した「君」の横にいて手を差し伸べてくれた「僕」も、「君」がいたから自己満足している自分に落ち込み、同時に救われたのかもしれません。……話し続けると無限ループですね。でも人の繋がりって単純じゃないから、きっとそういうしがらみもあるんだろうな、、と思います。複雑な人との繋がりのなかで、小さなたくさんの幸せに気づけた2人がもっともっと幸せになれていたらいいな。
おわりに。(追記)
いかがでしたでしょうか、、書いている途中で自分が何を言っているか分からないところがありました。うまく言語化できなかったのか、または解釈が本人の想定とズレすぎてカバーしきれなかったのか……(最悪)
毎度長文読んでくださる方に感謝感謝です。
さて、追記といってはなんですが、MV中には花束が登場します。
何人かに聞いてみたら、7本の薔薇の花束に見えまして。少し調べたところ、花言葉は「ひそかな愛」。この花が薔薇かも、本数が7本かも定かではありませんが、もしそうだったらぴったりだなと。「君」をひっそりと見つめ続け、変わりたいと思えた「君」に手を差し伸べつつも自らも成長する。密かな想いが届いて、不器用な2人が愛のかけらを拾い始めたようなlyricがぎゅっと詰まった花束みたいでとっても好きです!
長々とお話させていただきましたが、今回も例のごとく、というかいつも以上に分かりにくく…笑
私の好きなように解釈してますので、こんな考察はどうかな!?!とかあればぜひぜひマシュマロに投げてくださったら嬉しいです!
こんなに長文読んでくださりありがとうございました!近いうちにSummerDiaryか花鳥風月を出せたらいいな〜とは思っていますがいつになるかは未定です、、
YouTubeリンク貼っておきますので、ぜひぜひハイドアンド・シーク聴いてみてください!
リンクは記載しませんが19's Sound Factoryさんの曲もぜひぜひ聴いてみてくださいね。
それでは!!
聴きながらでもぜひ!(今更感)
https://x.com/Rianlhsniy11121?t=5Bs-BfkqriqI2CFZdo7Qog&s=09
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