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幕間2 選挙

選挙が行われましたね。
結果や投票率の低さや諸々の不備など
思うところが山のように押し寄せる
一大行事となりました。

投票に行くたびに思うのですが
会場の雰囲気もシステムもなにもかも

「早く過去の(負の)遺産にならないかな…」

数年後には、これまでの選挙が
「遠い昔話」という感覚に
なっていて欲しいものです。


「選挙」とはパフォーマンスです。

なんか急に総理大臣が変わって
なんか急に解散して
選挙選挙の動きがバタバタ始まり
各政党が公約を掲げて
今国民が関心を持つべき「日本の問題」は
これですよね!ってわざわざデカデカと掲げて
多岐にわたるような風を装いながら
狭い範囲でうすーく示して
根本のところはどこも提示しない。
そうこうしている間に「選挙」が行われる。
面白おかしく攻めた感じで
「結果」を視聴してもらい
早々に不備も露見するし
辞任だ何だと色々表は騒がしく……


一連のことを「見せる」ことが
大きな目的だったのでしょう。
結果に憤ったり嘆いたりしている人も
いるかもしれませんが
そもそも表に出ている「結果」が
本当の「結果」かは分からないですし

「当選させたくない人」に×を付けることが
できない上に、まともな対抗馬がいないという
状況があちこちで起こる今の選挙において
「民意が率直に反映される公正な選挙」
など不可能です。

予めある程度の操作は出来る
いわば出来レースという仕組みは否めない。
この仕組みは
「今後の展開」のシナリオの布石になるので
良くも悪くも活用するしかありませんが。。。

それにしても
今までの選挙以上に
パフォーマンス色が濃い選挙でしたね。


さて
以前こんなことがありました。
その日、Aさんと
お昼頃に待ち合わせをしました。
会った瞬間、Aさんの持つバッグが
かなり劣化していることに気付きました。
おそらく合皮製のそのバッグの持ち手部分が
ポロポロと剥げてきてしまっていたのです。

そのことを指摘するとAさんも認知していて
「このくらいならまだ大丈夫」とのことでした。
どうやらその日の朝、仕舞い込んでいた
このバッグを久しぶりに使おうと準備し
その時皮が捲れていたり
ひび割れてきているのをなんとなく察した
ようなのですが、お気に入りだしまだいける!と
思って持ってきたそうです。

でもそのお昼の時点で
朝、準備している時に見たよりも
明らかに剥げが広がっていたようで…。。。

私は正直、そのバッグを見た瞬間に
「これ、もう劣化してどうにもならなくて
 捨てていいやつじゃ…」
と思ったのですが
自分の結論を押し付けるわけにも
いきませんから
なんとなく見守ることにしました。

しかしAさんの思いとは裏腹に
バッグの見た目の劣化は時間を追うごとに
どんどんひどくなっていきます。
ずっと仕舞われていた状況から一変
急に外に出され、日差しを受け
風に吹かれたためでしょうか
ほんの数時間で、剥げの箇所が増え
面積が拡大し、何もしていないのに
皮がどんどん捲れていきます。

どうにか修復できないか?

劣化したバッグの修復方法を検索します。
自力で出来そうなものもありましたが
たぶん箇所が多すぎて
やってみたところで…
という結末になりそうです。

今度はバッグの修理を行っているお店を
検索します。
帰り道に寄ることが出来そうでしたが
それなりに料金がかかるし
ちょっと特殊な色のバッグだったので
「元通り」になるかは難しそうでした。

夕方には
バッグの見た目はより一層
可哀そうなことになっていました。
でもこの時点でもAさんはまだ
「どうにかできないかな」と考えていました。
しかしながら修理屋さんに立ち寄ることを
控えたので
「直すべきものなのか…?」と
迷いが芽生えつつあった模様。

後日、結局あのバッグは捨てたと
Aさんから聞きました。
「うん。だよね…」と内心深く頷きましたが
同時に
「人が変化を受け入れるのって
 けっこう大変なことなんだな」と
妙に興味深く感じました。

私は転換期の只中の頃だったので
自分のそれまでの現実が悉く壊され
変化の波に翻弄され続けたために
もう何か「変化」があっても
動じることが出来なくなって久しかったので
それがとても新鮮に感じたのです。


流れをまとめてみます。

①朝、バッグの劣化に気付く
 でもまだまだ大丈夫と思い込む。

②昼、他者からも指摘を受け、さらに朝より
 劣化が広がっていることになんとなく
 気付くがまだ大丈夫!

③みるみる劣化の箇所が露見していくが
 寿命(捨てる)という判断はまだない。
 修復できるかなと色々試みようと考える。

④夕方、いよいよ寿命を突き付けられるが
 まだいけるんじゃないか…
 でももうダメなのかもしれない…
 そんな迷いが生じ始める。
 (変化を認めだして葛藤する。向き合う)

⑤後日、お別れ(寿命を認める)

何かの変化の始まりに気付いても
それを認めず、考えないようにする。
でもその時点で他者の目にそれは
「もう終わっているもの」として映っていた。
変化を見ないように、気付かないように
それを受け入れないように努めていたけれど
どんどん変化を眼前に突き付けられ
嫌でも向き合わせれる。
認めたくないけど
受け入れなければならないのかも
しれないと葛藤する。

そして受け入れる。


長々と書きましたが
当たり前にそこにあると思っていた不変なものが
変化していくとき
人はこういうプロセスを辿るのでしょう。

以前回想録の「幕引きから夜明けへ」で
書きましたが
世界の変化に向けて促されている
統合の期間がまさにこれです。

①~②辺りは変化に気付く
 (なんらかの違和感に気付く)けど
 受け入れない状態(現状への依存、執着)

③は目をそらし続けることが難しくなったけど
 まだなんとか出来るかもしれないと
 足掻こうとする状態(現状への依存がまだある)

④でやっと変化を受け入れだすが、戸惑いも大きい。
 (自分はどうしたいのか、最善はなにか
 判断しなければならない状態)

⑤変化を受け入れる(執着を手放す)


日本だけを切り取っても
このわずか数年だけで「嫌なこと」が
かなり色々表に現れました。
小児性愛、移民、貧困、凶悪な犯罪……
挙げればキリがないし、あんまり書きたくない
言葉が多いです。

これらはなにも
「一昔前までは全くなかったのに」
なんてものでもないのです。
あるものはあった。
ずっとあった。
ただ表に引っ張ってきて騒ぎ出したのが
最近であるということ。
最近になって特に増えてきたというものも
あるかもしれませんが
いずれにせよ、これらは

「劣化した合皮がポロポロと剥がれてくる様」

と同じです。

とうに寿命が尽きて『終わっている』ものを
なんとか取り繕おうと抗ったりしてないで
しっかり受け止めて、受け入れて
どうすべきか最善を考えてくださいねという
事象の現れです。


今回の選挙の一連の流れ
一連のパフォーマンスは
このプロセスでもあり
合図でもあるのでしょう。
段階としては現状④辺りにある感じでしょうか。
⑤に向かうための合図。
選挙の表向きの結果から見ても
そんな気がします。

①から⑤を一気に行うと
大衆はパニックになります。
逆にゆっくりやりすぎると
要らぬ犠牲が増えそうです。。。

さじ加減が難しいところだと思いますが
選挙に行った人も行かなかった人も
政治を何とかしたい人も、政治に興味が
持てなくて諦めている人も
それぞれ全員の集合意識によって
それなりにベクトルは
定まっているように感じます。

⑤に向かうための合図
とは書きましたが
たぶんこの選挙も煙幕の側面があり
水面下ではもっともっと
先に進んでいるでしょう。

パフォーマンスとして「表に見せる」
段階まで来たことは面白いことだと思います。

見せられているのは一般人(大衆)と

解りやすく書くとDS(上の方じゃない)と
言われるような人々と

DSの手下になっている自覚が
あんまりないような人と

そして多次元的な視点をお持ちで
現状静観していらっしゃる方々

といったところでしょうか。

壊すためのプロセスであり
壊れていることを認めさせるための
プロセスでもある。
きれいに捨てて白紙にするべきか
別の形に変化させるべきかを問うものであり
あらゆる変化を受け入れさせていく
準備でもある。

これからますます忙しくなるんだろうなぁ。

バタバタと選挙を行う前に
「政府ってそもそも要りますか?」って投票を
行ったら面白かったのにね。

という私のひとりごとでした。

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