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応援はつまらない
マラソンは小学校でやらされて大嫌いになった。走ることを嫌いにさせる昔の体育。理不尽な指導。嫌な時代。中学も高校もマラソン大会なかったので一生走らないはずだった。
大人になって最初に走ったのは青梅で開催されたトレランの大会だろうか。RUNNETの出場大会結果には古すぎるのか記録がなく何年前かわからないけど。2002年~2004年ぐらいに2回か3回。記憶が曖昧だ。走るの嫌いなのに大会に出た理由は自分を変えたいとかそういう前向きな理由ではなく、夫(当時はまだ結婚前)の応援に行ってもつまらないからだ。
トレランの大会はスタートしたら選手は山に走って行く。ロードレースと違って次の応援できる地点に移動ができない。がんばれーなどと見送ると後は帰ってくるまで待つだけになる。何時間かして帰ってくるやつのために、早起きして電車や車で自宅から遠いスタート地点まで行き、あとは一人で待つのが暇で辛すぎた。
特に長谷川恒男カップ24時間耐久レースの応援が大変で、深夜に本部に貼り出される関門通過の速報を見るのだ。スマホもない時代、紙だから名前検索もできない。ずらりと並んだ名前の中からひたすら目で探し出す。今どの辺にいるかを予想し、寒い中ひたすら待つ。仮眠のつもりが寝過ごしてしまいゴールした夫(結婚前)に起こされたこともある。ゴールを見るためだけに来たのにゴールを見られない。申し訳ないとはみじんも思わないけど、なんのためここにいたのかと虚無を感じた。
応援は待つだけでつまらない。ゴールの瞬間にいればいいからそれまで自由にってわけにいかない。ならば走ろう。待つんじゃなくて待たせてやろう。
まずは青梅のトレラン。これの5kmだか10kmだか忘れちゃったけど短い距離のに出てみようと思い、こっそりとエントリーした。当日、いきなり私が走ったらビックリするだろうなと企んだのだが、なんでか忘れたけどばれた。
夫(結婚前)は嬉しがった。
私は走るの疲れるし苦しかっけど、応援で待ってるだけより楽しいといっても過言ではなかったかもしれない。(楽しいと断言はしたくない)
そして次の年は夫と同じ距離を走った。確か練習も一緒にしたと思う。練習すると夫はさらに喜んでた。
大会では登りは苦手だけど下りは得意だったため思いっきり駆け下りた。ペース配分とか足への負担なんて何も考えずに走った。そのせいか最後足がつってしまった。
足がつったという状況がわからず、ひょこひょこ歩いてたら後ろから来た人に心配され声を掛けられた。
「どうしたんですか?足つったんですか?」
「これ、足つってるんですか?登りはいいけど下りが痛いんですけど…」
「…多分つってますね。屈伸したりのばすとどうですか」
「少し楽になります…ありがとうございます」
そして何度も屈伸しながら、下りでは後ろ向きに歩いたりしながらゴールしたときには制限時間を数分過ぎていた。
でも、ゴールで夫が待っていた。待たせてやった。完走したけど時間過ぎてて記録残らないからくぅぅって感じだけど、よくやった感に満ちていた。
これが最初。最初はトレイルランニングから始めたのだった。