交流では無く一貫した言葉上の理解力による「適応と正当化」。その運動を自分内で継続しているだけで、狡猾なひとには、その間が無いのです。そのようなひとには、私の観点も問題にする点も主張も通じないのは当然です。たとえ著名人であっても無関係。一人の人間の、「人間性」の問題に尽きる話です。