「教養教育」という個人的な仕事の目的ためには特定のひとをターゲットにして執拗な嫌がらせを行っても悪くはない(なかった)というような正当化と自己顕示と承認欲求を世に続けるだけの独善的で閉じた自分世界を生きている暴力的な者の思想にも存在にも一貫して興味も関心も無いという感想しか無い。