間違い探しをしない「自分」で生きる
【間違い探しをしない「自分」で生きる】
どことなく「しあわせそう」に見える
あの人、なんか「たのしそう」に見えるあの人は、「自分」で生きる覚悟をした人
なのだろう。
「自分」で生きる覚悟というのは
生きている間に経験するさまざまな出来事、
例えば
自分の置かれた環境ごとの役割を果たすときに遭遇するいくつもの選択に
自分の中に基準を持っていることかなと。
〇〇をやればいいの?〇〇しなきゃだめ?
ひとつひとつに
誰かの基準に選択をあてはめていけば
大勢の中の一人にはまり
安心していられるのかもしれないな。
でも、もしかすると
安心していられると思っていたのはまやかしで
ほんとは「安心なんだと思い込んでいる」だけなのかもしれないよな。
実際に
事あるごとに、誰かの基準を見つける必要がでてくるし、
その基準だって人によって違うだろう。
「あの人はこう言ってるけど、この人はこうだと言う。
あの時はこう言ってたのに、今は違うこと言ってる。
じゃあどっち?どうなの?」と
迷い続けなきゃいけなくなるし、
基準にしてる誰かのせいだと感じたくなるしな。
迷い続ける自分や
誰かのせいにしている自分のことを
心から好きでいられるか?といえば
どちらかというとイヤになりそう。
自分のことを自分で否定してしまうことほど苦しいことってない。
自分の中に基準があると
「正解」を探して
自分を否定してしまうことは減るよね。
あれをやったからOK
これをしなかったからOKだと、
何かと「間違い探し」をするかのように
「間違い」じゃないかどうかジャッジして
自分を否定し続けることもいらないよな。
自分で自分のことを否定する機会を
極力減らしていくことが
一番大事なことじゃないかと、私は思っている。
誰かから見て「しあわせそう」「たのしそう」と思われるよりも
自分が「しあわせだ」「たのしめている」と思える方がいい。
だとしたら
自分の中に基準を持って
自分が一番その基準を信じていく
これって最高に
自分にとってのよろこびなんだと思う。
子どもとの関わりだって
同じだなぁ
と感じています。