ドラムマシンと音楽ジャンルの関係性と考察 前編 (黎明期~TR-808の登場まで)
何故自分はドラムマシンを集めだしたのかのきっかけの一つに、聴いてきた音楽の中に多くの特徴的なドラムマシンの音が存在していたという事があります。
気になるドラム音があるとそのミュージシャンがどのマシンを使っているかなどを調べていた時期がありました。
ドラムマシンが数々の音楽ジャンルを生み出した!
って、そんな大げさな事は思いませんし、実際そのジャンルのオリジネーターが偶然そのマシンを用いて音楽を作り始めただけって事もあるので声高に言える事では無いかなとは考えています...がしかし
いくつかの音楽のジャンルとドラムマシンとの関係性は否定できないですし、そのジャンルを印象付ける音は特定のドラムマシンの響きだったりすることは実際はあります。
特にダンスミュージック以降の電子音楽はリズムが主体になる事が多く、特にドラムの音色がそのジャンルを表す要素として大きく存在してるのも確かです。
ここではドラムマシンの歴史(あくまで音楽ジャンルと密接したマシン)と音楽ジャンルについて自分なりの考察を入れつつ紹介していきたいなと思ってます。
説明の中に時間軸が重なっている部分がありますが、確実な年の区切りが無いものは多少あいまいに表現してだいたいの時期ぐらいがわかるようにしてあります。
あとは言い訳になるんですが、音楽機材の歴史に詳しい方から見ると知ってて当然な内容ですし、アンダーグラウンドでは早い時期からドラムマシンを使用していたミュージシャンも少ないながら存在していたりするのですが、あくまで大きい流れとして紹介できればなと思っています。
あくまで自分のドラムマシン知識の中での解釈なので、間違いなどあると思いますので笑って読み過ごしてください(笑)。
電子音のリズムの始まり
60年代初頭...まだドラムマシン、というかリズムボックス...(実はこのリズムボックスやリズムマシンって言葉は日本では一般的ですがあまり海外では使用されていない)が一般に発売されていない頃の電子音のリズムといえば、やはり電子オルガン(エレクトーン)のオートリズム機能だろうと思われます。
これはあくまで演奏する補助のとしてのリズムガイド的な役割で、これを用いて楽曲を制作するようなものではありませんが、当時のエレクトーン奏者のレコードでちょっとだけ使われたりもします。
音もドラム音のシュミレーションというよりも、ピコピコという電子音やホワイトノイズを利用したリズムで決して音楽的とは言えませんが今聴くとなかなか味わいがありますが、当時はやはりチープでこれを利用して音楽を作るのは少なかったと考えられます。
自分の家にも昔古いエレクトーンがありまして(70年代ですが)、このピコピコいうリズム音を幼いころに聴いていて面白いなぁって感じてた記憶があります。
60年代前にも実験音楽などで電子音をリズムに使ったりするのも拝見しますが、ここではあくまでリズムを出すマシンということでの考察なので省略したいと思います。
単体リズムボックスへ
海外の情報は勉強不足でちょっとわかりませんが、日本では1963年に国産初のリズムボックス、京王技術研究所(現KORG)のドンカマチックDA-20が発売されました。ガイドクリックの事をドンカマっていうのはこのマシンから来ているのも有名な話です。
もちろんこれもあくまで演奏のガイド的に使われてたもので、積極的にドラム音として音楽制作に用いられるものではなかったと聞いてます。
これからTR-808が誕生する1980年まで、国内外のメーカーがプリセットタイプ(数種類のリズムパターンが最初から決まっている)のリズムボックスを販売してました。基本これらもオルガン奏者やバンド演奏の補助として発売されたと想像しますが、それらを楽曲に用いるミュージシャンも後々増えてきました。
あとは特にソウル、ファンク系のミュージシャンが使い始めた事が多い気がします。
基本繰り返しループでグルーヴを作るこれら音楽には一定のビートを刻むリズムボックスが合ってたということでしょうか。こういう新しいテクノロジーをいち早く利用して音楽を作り出すのは黒人ミュージシャンが多いのは何故なんでしょう?。80年代にエレクトロヒップホップの黒人DJがクラフトワークをファンキーだと解釈して使用してたりするのを聞くと、ジャストのマシンビートにファンキーさを見出すという、持って生まれた感覚が優れているとしか言いようありませんが。
ちなみにクラフトワークは「music non stop」まではシンセで作ったドラム音を使用していてドラムマシンが制作の影響下には無かったと解釈しております。
また70年後半からエレポップ、ニューウェーブバンドもリズムボックスを多用しています。
ちなみに自分は5台ほどリズムボックス保有してます。
ユーザーパターンが作れるリズムボックス ROLAND CR-78の登場
78年、リズムボックス界の王様(自分が勝手に思ってる)ROLAND CR-78の登場。
リズムボックスでありながらユーザーパターンが打ち込めるという画期的なマシン(以前にもROLAND FR-15というパターンを打ち込めるマシンも存在しましたが)。
のちにこれがTR-808の開発に繋がって行くのは既知な話です。
このCR-78は日本ではテクノポップというジャンルの初期の代名詞的なマシンになりました(前機種CR-68も使われていたそうです)。
テクノ御三家といわれるP-MODEL、ヒカシュー、プラスチックスの多くの楽曲で使われています。
海外でも、フィルコリンズなどのミュージシャン、ニューウェーブのバンドなどがCR-78を使っています。
フィルコリンズなどの元々バンドのメンバーでソロで出すミュージシャンは、あえてリズムボックスを用いる事によって従来のバンドサウンドとの違いを表現としたのではないかと推測してます。
80年代のニューウェーブバンドもリズムボックス、ドラムマシンを用いて新しさを表現しているように感じます。
シンセサイザーの音はもちろんですが、70年代までのバンドサウンドと80年代からのニューウェーブバンドのサウンドの決定的な違いはここにあるように思えてなりません。
このあたりからガイドリズムであったリズムボックスが生ドラム、パーカッションの代用(といっても程遠いですが)を意識する様になってきてます。例えばCR-78にはキック、スネア、リム、ハイハット、シンバルの他にも、キギロ、カウベルなどの音色も搭載され、より複雑なパターンが入ってました。
70年代後半から徐々に積極的にリズムボックスの音を使うミュージシャンが増えてます。
これまで実験的に使っていたアーティストもいたと聞いてますが、いわゆるポップミュージックにリズムボックスが使われ始めたのはこの頃で間違いないと思います。
また、ファンクとかではあくまで一要素であったリズムボックスのマシンビートが、ちゃんとドラムとしての役割に変更されはじめたバンドも出てきた時代だと思います。
自分はCR-78は保有してません....。いずれは手に入れたいマシンです。
そして、ROLAND TR-808
アナログドラムマシンの代名詞にもなったTR-808が発売されたのが1980年。日本ではヤオヤの愛称で有名です。
下は八百屋の前でTR-808を持って撮った写真です(笑)。
前年にBOSSブランドでのフルプログラムマシンDR-55を開発したROLANDが満を持して発表した本格的フルプログラムドラムマシン。
開発者は後に様々なマシンを生み出したレジェンドとなる菊本忠男氏。
余談ですが、菊本氏の入社最初の仕事がDR-55の設計だったそうです(ROLANDの社員の方からその際の裏話をちょこっとお聞きしましたがいずれ書く機会があればと)。
今ではよく聴かれる808サウンドですが開発の時はデモ音源を作る際のマシンを作るっていう従来のリズムボックスに似たコンセプトもあったそうです。
まぁ、もう有名ですので自分がこのマシンについて詳しく解説する必要も無いと思います。
ここでは、TR-808が発売当時音楽に及ぼした影響などを考察したいと思います。
まずは日本ではやはりプラスチックスがいち早く(808のプロトタイプといわれる)使用したのはよく知られています。以前もCR-78を使用していたのでフルプログラミングでソング機能もある808に飛びつくのもよくわかります。しかし808によって大きく音楽性が変わったって訳でもなさそうです(メンバーがリズムボックスにつきっきりじゃなくなってパートが増えたとも言われてますが)。
YMOも使用してたそうですが、やはり高橋幸宏氏のドラムが印象的でそれほど808ってイメージは無いです(個人的にですが)。後に細野氏坂本氏のソロでは808が使われる楽曲が多々あります。
しかし、日本では当時はまだ積極的にポップミュージックに利用された例はそれほど多くないと考えられます。年代は広いですが808が使われた日本の楽曲をまとめてらっしゃる方がいらっしゃいますのでご参考に。
しかし808は最初は海外での評価はそれほど高くなく、次項で取り上げるリンドラムに代表されるPCMデジタルドラムマシンの登場と共に端に追いやられることとなります....
が、やはり黒人のミュージシャンが使い始めました。
やはり最初に浮かぶのは82年のマーヴィン・ゲイのセクシャルヒーリング
やはりソウル、R&Bの方は新しいテクノロジーを楽曲に取り入れるのが早いと感じさせられます。
今でもR&Bの多くの楽曲で聴かれる808の音色の源流はここから始まったと感じます。
また、現代のTRAPなどで808の音色が使われるのもルーツをたどればこのあたりになると思います。
そしてやはりエレクトロヒップホップ、エレクトロファンクのオリジネーター
アフリカ・バンバータ&ソウルソニック・フォースのプラネットロック
それまで、ソウル、ファンクなどのレコードからドラム部分(いわゆるブレイクビーツ)を用いるのがヒップホップの主流だったのが、打ち込みのビートの進出によって新しい息吹を吹き込みました。
808使いで有名なエジプシャンラバーもこの頃から使いだして西海岸のヒップホップなどに大きな影響を与えてます。後のマイアミベース、ゲットーベースなどもその影響の典型的な例ではないでしょうか。
この時代のエレクトロファンクヒップホップの808の音は実機をそのまま使ってる荒々しさがかっこよく、そこにヴォコーダーボイスやラップが乗り、宇宙とか未来を感じさせます。どんな宇宙かはよくわかりませんが(笑)。
これまでのリズムボックスでは味わえない深いキックの音、抜けのいいスネア、刻み良いハイハットが新鮮でしかも心地よく、しかもそれらを自由にリズムプログラミングできるとなると、当時積極的に楽曲に使用するミュージシャンもいたのも頷けます。
音色がツマミで変更できたりパラアウトがあったりと制作にも十分対応でき、最初からドラムマシンとして完成形に近いのも今でも重宝される理由の一つだと思います。
80年代前半のニューウェーブ、エレポップでももちろん808の音は良く聴かれます。
しかし、その808でさえ、83年生産中止、この後に来る80年代のめまぐるしい機材の進化の中で影が薄くなる事になります。特に日本での80年代中~後半の評価はあまり良いものではないと聞いています(実際中古価格は底値と言えるぐらいだったそうです)。
その数年後の、再評価の波が来るまでですが....。
ここまで簡単に前編としてまとめました。
もちろん他の細かいドラムマシンと音楽に関する流れもあったようですが、大きい流れとしてはこんなものでしょうか。
次回は後編、
デジタルドラムマシンの登場から、リアルを追及するPCMドラムマシン、ハウス・テクノ以降のアナログドラムマシンの復権
などなどを書いていきたいと思います。