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二面性における葛藤~『Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde』~
記念すべき再スタートなのにアルコールが抜けない状態でお届けしています(角ハイ悪酔いしゅりゅ…)
突然ですが、みなさんは「もう1人の自分」が自分の中にいると思いますか?
もちろん表裏がないという人もいるかとは思います。しかし突然それまではまったく異なった思考に駆られ、ふと冷静になって「あれ、何でこんなことを考えていたんだろう…」という経験をしたことがある人が殆どだと思います。
例えば学校で先生に理不尽な扱いを受けた時、仕事の時に謂れのないクレームを顧客から受けた時…「あーイライラする…」とか何ならもっとバイオレンスな考えがふと浮かんだ事、ありませんか?(私はポンコツで定期的にやらかす上、結構気分の起伏が激しいので日常茶飯事です)
普段はその人のことを信頼していたり友好的な関係を築こうとしているのに、何かトリガーがあるとその前提が決壊してしまうのです。
人との付き合いについて触れましたが、「もう1人の自分」が顔を出すのはそれだけでなく他者が関わらない瞬間や自分の特性が影響するという場面もあるでしょう。
優等生な人物が、周囲からの信頼や期待に圧力を感じ人知れないところで非行に走り外面を保とうとする…こういうキャラ多いですよね、自分は真っ先に暗殺教室の神崎さんを思い出しました。確かマンガ全巻揃えたの、暗殺教室が初めてでした。あとトリコもバイブルですね。
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似たような内容にはなりますが、人間は生まれながらに持っているピュアな一面を保とうとするものの、周囲の環境に影響を受けるにつれて別の一面が勝手に顔を出してくる生き物であると思っています。
人間は1人では生きていけません、誰かと関係を持って生きていく必要があります。生きていくためにはお金が必要で、そのお金は誰かに貢献すること、言い換えれば
誰かのことを考えて活動する
ことで手に入れることが出来るのだから。当然誰かのことを考えるということは「その人のことを深く理解する」という過程を踏むのだから、その中で何かしら影響は受けるはずです。
(誰かのヒモ、株や投資などの不労所得がある、といった特殊な状況の人もいるとは思いますが、そこにも誰かしら人との関わりがあって辿り着いているはずなので例外ではないと思います)
ちょっと脱線しつつあるので本筋に戻すと…その二面性の裏面が、表面と同様の正の側面が強いのであれば問題ないと思います。誰にも迷惑は掛けないですし。
でも裏面は、大抵は神崎さんのような「何らかの形で周囲に迷惑を掛ける」というものが殆んどだと思います。なぜかなら裏面は
自分の表面で処理しきれない感情が全く別の形で勝手に出てくる
ものだからです。周囲からの抑圧に応えることに疲れ、解放されたいがために非行に走るのです。
現代人はここまでのような自分の性格も勿論ではありますが、どちらかと言うと周囲の環境に影響されてという側面が強いと思います。
しかし作中のジキル博士は作中の記述だと誠実な人柄を重んじながらも「もう1人の自分」である快楽主義的な裏の性格に依存しています。
内容のネタバレになるので深追いは避けますが、ジキル博士に対する一般的な見解とされている「多重人格障害」や「解離性同一性障害」という二つがぴったりだと自分も思います。
解離性同一性症候群について Wikipedia
周囲の影響が大きな要因となると一時的なものとして解決する可能性がありますが、生来からの性格となると切っても切り離せず生涯苦しめられることも考えられます。そうなると
「誠実な外面を保ちたい」という気持ちと「思うがままに欲望を解放したい」という気持ちの葛藤
が起きてしまうことも致し方ないのかな…と思います。博士かわいそうに…
しかし二面性の問題は、
日々数えきれないほどの新たなもの・概念が生まれ、それに対応して社会や生き方が多様化・複雑化している私たちにもあてはまる
と思っています。
これに関しては簡単に解決できない問題となりつつありますが、どちらかに偏りすぎず自分のペースでゆったりと生きていくことを何より大切にしていきたいですね…