タイヤも栄華も摩耗する ~『フェラーリ(Ferrari)』鑑賞レポ~
⚠️このnoteには2024年7月5日公開『フェラーリ』のネタバレを含む内容が掲載されています。公開から半年ほど経過していますが、まだ鑑賞されていない方は予めご注意ください。⚠️
みなさんおはようございますこんにちはこんばんわ。
「歌の」・「声優の」・「映画の」、全ての枕詞が似合う稗田寧々さんをリスペクトするkamuiと申します。
まぁまだ一度も稗田劇場見たことないんですけどね。
映画と僕と
普段僕と絡みがある人であれば「小倉唯とDIALOGUE +のオタクが何か変な所に手を出し始めたぞ」って思ってるかもしれません。いつもしっかり見てくれてありがとうございます、半分正解半分間違いです(冷徹)
というのも、僕は元来かなりの映画好きで学生時代は同じく映画付きの同級生と視聴本数勝負今となって見れば馬鹿馬鹿しい勝負ですねをしたり、『スパイダーマン ノーウェイホーム』を地元のIMAX劇場で一緒に見よう!!と↑の友達に誘われてMARVEL作品26作品(?)を2週間で一気見したりと、学生時代はかなりはっちゃけていました。
とはいえそんな過去も今は昔、社畜生活に苛まれて当時ほど「色んな作品に出会いたい!」という熱意は薄れてしまっていました。
(一応好きな映画や興味の惹かれる映画は見に行っていました。↓意外だと『エスター ファースト・キル』なんかは『エスター』を初めて見た時同様の鮮烈さを感じたのを今でも覚えています。なんとなんと、前作から数十年経過しても主役の女優さん変わってないんですよ、奥さん。)
その他ツイートしてない初出し映画たち
他はここ2年だとサブスクでたまに摘むぐらいでしたが、DIALOGUE+の「歌のねーね」の愛称で知られ映画を約200本鑑賞する大の映画マニアである稗田寧々さんと出会うことで「ねーねを追いかけつつ自分も沢山の映画体験をする一年にしよう!」と考えることとなりました。
本当はやかん推しでもあるので読書も謳歌したいけど、如何せん社畜とブラックを極めているので両立できるだけの時間は錬成できそうに無いので映画に真剣に、時折読書もぐらいのノリで行きます。
今年は200本鑑賞を目掛けており、現時点(2025/01/22)で16本を鑑賞しています。
「月末に月次レポートとしてその月見た映画のサマリーぐらいはレポで投稿するか」と漠然と考えていたのですが、丁度昨日の朝に見た映画が「おぉ…語りたいな」とさせてくれる魅力を持っていたので急遽筆を取った次第です。今後も反響(いいね数)次第で単作ピックアップレポートを書くかも?
ということでやっと本題です、みなさんお待たせいたしました。
今回紹介するのは『フェラーリ(Ferrari)』です。
あらすじ
俳優アダム・ドライバー
この映画を見るきっかけとなったのが「主演 アダム・ドライバー」の文字でした。
多分世間的には一番の当たり役は『スター・ウォーズ』シリーズのカイロ・レンかとは思いますが、僕は履修していません(????)
僕が彼を意識したきっかけが『ハウス・オブ・グッチ』(以下グッチ)でした。
僕も当時の映画の予告で知ったレベルなので前々からチェックしていたという程ではありませんでしたが、出演者の豪華さに当時は度肝を抜かれました。確か日本版の告知映像も「アカデミー賞受賞」とか「アカデミー賞ノミネート」などの謳い文句を使っていましたね。日本の映画は割とこうゆう告知で興味を惹こうとしますよね。まぁ僕もそれにまんまと引っかかった1人なんですが。
主演がレディー・ガガ、グッチの家系にアダム・ドライバー、ジャレット・レト(『モービウス』、世間的には酷評だけど僕はMARVEL作品内でも屈指のお気に入りです)、ジェレミー・アイアンズ、アル・パチーノ……なんじゃこりゃ、ギャラだけで『RRR』の制作費超えちゃうんじゃないの????????
洋画をある程度齧っている人であればこのキャスティングのヤバさが伝わると思います。脚本がどうとかって評価は僕はできないので割愛しますが、これだけ映画界の重鎮を揃えてグッチ家の栄華なんて描いたらそりゃそれなりのものになっちまうでしょうが…って感想でした。
実はグッチに出会うまでガガ様出演作品を見たことがありませんでした。正直グッチを見ようと思った最初のきっかけはここでした。
ガガ様の全て飲み込む演技は豪勢に着飾ったグッチ一家さえも圧倒する存在感を放っていたし、彼女のグッチ家に取り入ろうとする執念が最後まで緊迫感を持続させつつグッチという血筋の有り様を鮮明に映し出す舞台装置として働いていたと思っています。
しかしそれと同時に、グッチ3代目社長でありガガ様の夫となる「アダム・ドライバーの演技」にも作品の質を底上げする縁の下の力持ちのような役割があったように感じたのです。
率直に言うと、前述のジャレット・レトらをはじめとした出演陣ほどのキャラクター性はアダム・ドライバーからは感じられませんでした。言ってしまえばマウリツィオ(アダム・ドライバー)がしっかりしていればパトリツィア(レディー・ガガ)の毒牙にグッチ家が苛まれることもなかったはずです。
しかし作中で彼は時折業界を席巻するファッションブランドの社長らしいリアリズムかつ厳格な一面を見せます。その緩急とガガ様との親和性の高さがグッチの根幹だと感じました。
その後に、より平凡な(たまに得体の知れない何かになる)しがない工場勤務で詩作が好きな男の1週間を描いた『パターソン』という映画も鑑賞しましたが、総称して俳優アダム・ドライバーには「整い過ぎた顔に似合わないやるせなさと、整い過ぎた顔がピッタリな迫真の演技の二面性」という魅力があるのだと思っていました。
それを踏まえた上で『フェラーリ』に話を戻すと、今作のアダム・ドライバーは完全後者のみの役どころ、しかも関わる全ての人々(ピエロなどは除く)に対して厳格に接する特性を持った人物と来ました。
「これはどうなんだ…?」と最初は訝しげに考えていましたが、二面性が無くとも彼の演技には変わらぬ説得力がありました。
いや、正確には前者の側面(やるせなさというよりはピエロに向ける優しさのようなもの)があまり前面に出てこない2:8ぐらいの二面性でも彼は冗長に感じさせることなく演じることができるということなのかも知れません。彼の深淵を覗いた訳ではないため確証はありませんが、数作味わっただけでもこれだけ考察が捗るのは非常に面白いです…とりあえず他作品を漁るところから始めますか(また積まれていく未鑑賞ストック)
安定か勝負か、正解は誰にも分からない
グッチ同様、『フェラーリ』もアダム・ドライバーの稀有な才に支えられていることは前述の通りですが、展開の巧さと伝えたいメッセージ性の高さにも目を見張る所があります。(むしろ僕が今回筆を取りたいと思った理由の大半はアダム・ドライバーの演技を賞賛することというよりかはこちらの方でした)
作中でエンツォは様々な苦難に苛まれます。
フェラーリ社の存続
レース部門での競合他社の脅威
二重生活の崩壊
三つの地雷を抱えながら「どこかで一発当てて逆転してやる」という意気込みのエンツォ、辛うじて現状を保てているもののいつかその均衡は崩れてしまうのは明確です。
何かを犠牲にして進むことは考えなかった余波は、次第に彼の周囲に影響を及ぼすようになります。
物語でそれが鮮明に描かれているのが、愛人リナとの間に授かった息子ピエロへの家庭外からの視線です。
エンツォの子だと知られてはいけないため「フェラーリ」の名を名乗ることもできず、周知されないように隠れた生活を余儀なくされています。作中では父エンツォとの交流が多く描かれているので一見幸せそうに見えますが…リナの「早く今の生活をなんとかして!!」という叫びを見ている限り、ピエロにスポットが当たった場合、彼の人生は全く別の見え方になるのだろうと思います。
健やかに成長して思い切り自分のしたいことを存分に楽しめるようになった時期に、父のスリリングな人生のせいで慎ましやかに過ごすしかないピエロの人生はなんと報われないのでしょう…
その他にも前述の2つのフェラーリ社を巡るアンバランスさも相まって、どんどんと均衡が崩れていきます。そこで私が考えたのが「何かを犠牲はせずとも、立ち止まったり方向転換することは出来なかったのか」ということです。
タイヤを履き替えていれば…?
打開策があったのではと思う場面自体は沢山ありますが、ここでは実際に作中で触れられており考察の余地を直接的に受け手に残している「ミッレミリア」終盤でのデ・ポルターゴのマシンのアクシデントについて見ていきます。
レースも終盤、競合他社の有力マシンが軒並みリタイアして順当に行けば冒険をせずともフェラーリ社のいずれかのマシンの勝利は確定というところで迎えた給油ポイントでの出来事です。
メカニックの「タイヤが摩耗しているから、最後まで走り切るためにもタイヤを交換しておいた方がいい」という意見を振り切り、エンツォは「このまま駆け抜けろ」とポルターゴに指示を出します。
ポルターゴも「エンツォに認められたい」「モデルの彼女に良いところを見せたい」という野望があってか、その判断に賛同して早々にレースに復帰していきます。
その道中、不幸なことに「ミッレミリア」を見物しようと観衆が集まる沿道にて道端の金属片を轢いてしまい、マシンは大破。ドライバーだったポルターゴは勿論のことながら、応援していた子ども4人を含む計9人もクラッシュしたマシンに巻き込まれる形で死亡する大事故が発生してしまいます。(ここのシーン割とグロかったので鑑賞される方は要注意です)
安全管理を怠ったエンツォは一時刑事責任を問われることとなりましたが、タイヤを交換していたとしても避けられなかった事故であるという現場検証の結果、難を逃れます。
しかしもしタイヤを替えていたらこの惨劇は起きなかったのではないでしょうか?
自動車メーカーの製品とはいえ、ボディーもタイヤも普通車と比べて頑丈に作られているはずです。とはいえ1000マイル近くの悪路をライバルたちと鎬を削って走ってきたともすれば、その耐久性は普通車のタイヤのそれに近いものとなっているのではないかと想像できます。
少なくとも衝動的なプライドや完全勝利に固執せず、安定択を取っていれば「全員にとってのハッピーエンドの実現可能性」は少しでも上がったはず。
それをエンツォやポルターゴも頭では分かっていたはずです。それを指し置いても「名声や栄華」という形容し難い得体の知れない何かに人間は魅了されることがあるのです。
勝負を制していれば…?
打って変わって、もし作中のストーリーライン通りのエンツォとポルターゴが思い描いた「完全勝利」が沿道の金属片やそれ以降の起こり得るアクシデントに邪魔されず成就されていたとしたら…その後のストーリーはどのようになっていたでしょうか?
エンツォは、レース部門で立場を脅かされていた競合他社を「自社のマシンが上位を独占」という有終の美を飾ることで見返すと共に、その名声が世界に轟き本来振るわなかった自動車販売部門も息を吹き返すこととなったでしょう。(フェラーリとしての名がより一層強まっていくため残念ながらリナとピエロが報われる世界線は訪れなさそうですが…)
ポルターゴは、「ミッレミリア」という過酷なロードレースで優勝という華々しい功績を得ることで、エンツォからの評価を確実にしフェラーリ社での有力ドライバーとしての地位を確立するとともに、世界的にポルターゴの名を知らしめる契機となったことでしょう。
各々の「切望する姿」が明確にあり、そこにひた走っていた彼ら。その可能性を秘めた「勝負」という甘美な響きが目の前にあると分かれば、それに飛びついてしまうのはある種仕方のないことだとも言えてしまいます。
エンツォはフェラーリ社のドライバーに対して
といったように、死ぬ覚悟でレースに臨むことを求めていました。これは普段フェラーリ社の経営に携わる(ラウラと共に夫婦経営を行う)エンツォが、自社の経営となぞらえて「次に失敗したらその次はないぞ」という運命共同体のような意識をドライバーにも求めていたからこその一言だと考察しています。
自動車販売部門で業績が悪化していた彼にとって、レース部門での敗北は言わば自分の存在証明の失敗、死を意味していたはずです。後に引けない立場だからこそ、自身(自社)の切り札と共に生死を賭けて「勝負」を成し遂げるために決意を共にしたかったのでしょう。
ポルターゴに関しては明確に彼の中に秘める「命を賭しても成し遂げたい何か」は言及されていませんでしたが、冒頭エンツォをストーキングしてでもフェラーリ社のドライバーになろうとしている場面などから、彼も命を賭けて自分の存在証明をしようと命を燃やしていたに違いありません。
命を賭ける覚悟は両者一緒、だからこそノータイムで「勝負」に打って出る決断が出来たとも言えます。
切迫さは人の全てを変えてしまう
タイヤを履き替えなかったことによって「勝負」に惜敗することとなり後味の悪い形式上の勝利を得ることとなり、言ってしまえば真の勝者は作中に居ない結末を迎えています。
これが『ハウス・オブ・グッチ』や『パターソン』のアダム・ドライバーだったら、きっとタイヤを履き替えて堅実な勝利を取りに行ったでしょう。
上記二作の人柄をエンツォに求めずとも、自動車販売部門が順風満帆だったり家庭環境が安定していたりすれば、きっとレース部門で競合他社に数秒の記録を塗り替え変えられたり、たった一回のロードレースで競合他社を打ち負かす完全勝利ができないとしても、そんなことには動じず「確実な勝利」を取りに行く選択ができたと思います。
どとのつまり、どうにもしようのない状況に追い込まれると人間は本性とは全く異なる一面が顔を出すことがあるということなのだと思います。
理屈で考えると「そんなことしても結局失敗するんだから意味ないじゃん」となる所ですが、当事者たちからするとごく僅かでも勝算があれば賭ける価値があるという発想になるのです。
むしろ「勝率の高い方にベットし続けても結局現状が好転することがないなら決死の覚悟で行くべきじゃない??」という返しをされるかも知れません。
こう見るとどちらも筋は通っている気はしてきませんか??やはりこの世は表裏一体で溢れていると僕は思いますね。
映画レポは今回が初めての放流でしたが、いやーやっぱり自分の語りたいことをのびのびと語れるのは最高ですね…多分今後もタイムリーとか関係なく語りたい映画を鑑賞した時にはぬるっと筆を取ろうと思います。
月次レポートは来週末に執筆予定です。今回ほど深く掘り下げませんが、20作品↑の個人的ポイント(美味いも不味いもひっくるめて)をまとめるので是非日頃の映画鑑賞の参考にしてもらえればと思います。
(最後に『TREASURE!』でのカンナムねーねさんを添えてお別れです(⁇))