Still log (2)
この前、大学病院の前の横断歩行で救急車がサイレンを鳴らしながら通って行ったとき、向こう側の人が十字架を切って祈っている姿を見て本当に心が打たれました。私も、見返りなど存在しない世界で、顔も名前も知らない誰かのために余白を開けてある人になりたいと思います。
「やらされているから」でも「やってあげている」でもなく、「やりたいからやっている」という世界を因数分解した時に見えてくる、ある意味で静寂で周りの音がすっと聞こえなくなっていくような、そんな人生を生きていきたい思うなどしました。
例えうまくいかないことがあっても、全ての選択が自分の選択によって成り立っていることを理解することで、お陰さまと口に出して伝えられるような人になりたいと決意するなどしました。
この前、アルバイト先で急に先輩から「声が素敵ですよね」と言われたことが、本当に信じられなかったです。今まで自分に自分でかけていた淡い呪いのようなものを、周りの人から伝えてもらった言葉を通してひとつづつ解いていくことで、今の私があると思っていたのですが、10代の最後に唯一残っていた呪いのようなものを、こんなにもかろやかに、唐突に解いてもらえるものなのかと思いました。行く言葉が美しければ、帰る言葉も美しいという韓国の諺があると思うのですが、私も受け取った美しい言葉を誰かに渡せるような人になりたいと思います。
今まで、ずっと自分を過度に大きく見せないというところを取り組んで、たくさん失敗したり情けない気持ちになり続けていましたが、段々とこの問題に対する答えを見つけられたような気がします。ひとつ大きい発見は、人生は競争ではないということであり、これを意識し続けるのはとても難しいということです。
結局、思い出すのは一人旅の淋しい風景なのだと思います。オスロの夜の街並み、ソウルの風が凍えるほど冷たかった朝5時を、歩いていて不意に反芻することがあります。
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