Still log 1
密やかな過去との話しあい
世界で一番好きな場所は?と聞かれたら「豊島美術館」と答えるぐらい、豊島美術館が大好きなんだけど、内藤礼について調べたら「密やかな造形作家
」って出てきてびっくりした。「耳の裏に香水をつけるのは、そこが身体の中で一番密やかな場所だから」と書いた小川洋子、全く売れないし認められないのに悲しみや喜びを昇華しながら絵を描き続けたヴィンセント・ファン・ゴッホ、妹を亡くしたかなしみを人知れず直視し続けた宮沢賢治、地道に探し続けたツタンカーメンの墓を見つけてもなお人知れずなくなったハワード・カーター。好きな人たちは、みんな密やかに生きていたのかもしれない
Listen
今まで聴くということが何よりも大事だと思っていた。聴くことは知性だと思っていたし、聴くことで深く繋がれたり相手の気づきを促せると傲慢にも思っていた気がする。実際にきくという行為を通して、多くの知見を得たり成功体験が重なって、自分のきく力に誇りを持っていたけどそうではない気がする。自分の話をすることで、相手に自分について知ってもえるのかもしれない。「安易な共感は楽だけど、実は人との違いから目を逸らして自分を守っているだけだ。私たちは安易な共感に甘んじるのではなくて人との違いを認めて理解するべきであり、そのために自分について話すのである」って文章を読んだ気もするし
伝える視力
伝えるということがとても難しい!伝えるタイミングも、伝え方も、自分の話をどれだけかろやかに入れるかみたいなところの感覚が全体的に鈍ってしまった。でも、やっぱり書いた言葉や言った言葉などが全てで、自分の中に持っている言葉や気持ちが相手に伝わることはほとんどないのだと思う。そういえば、「全ての物事には本来価値がある。でもその価値を伝えるからこそ、初めて価値が表れるのだと思います。だからこそ、物事を見る視力とそれを伝える力を磨くことが重要なのではないでしょうか」ってこの前インタビューした人が言ってたし
사영
韓国に行って、今までの集大成とも言えるようなことがたくさんあったのだけれども、ここまでに至る道のりを説明することが、もったいないような、そもそも説明できないような気がしてきた。全てのものごと、できごとがお互いをゆるやかに干渉しあっていて、過去のどの出来事ひとつ欠けても、今ここにはいないのだなあと思っていた。でも、説明できなくても、この感覚を持ちながら、これらの사영(事縁)が深まっていくのかもしれないという期待を持ちながら、自分の人生の舵を決して離さないように新しい環境に飛び込んでいくのは、とても豊かだなと思うなどする。「私が考える「良さ」とは、衣装、映像、写真など一つの要素から成立する概念ではありません。どうして好きなのかも分からない、要素をあげられないくらい複雑な魅力を感じる何かに出会えることが大事なのだと思います」ってミン・ヒジンも言ってたし
nebulous periphery
「不安定な人生と安定した人生、どっちがいいと思いますか?」ってシドニーのカフェで80歳の哲学の先生に聞いたら「それは分別の考え方だね。定義づけしか存在しない世界で生き続けるのではなくて、もう少し分別や定義づけから離れた場所から見てみなさい」って言われた。確かに、不安定と安定なんて誰が定義づけたんだろう?って思うし、どちらしか選んではいけないなんて言われたこともないし、そもそも不安定も安定も存在しないかも知れない。わたしたちの感覚は、想像以上に誰かが定義した物事の周縁を歩き続けているだけなのかも知れない。
ロニ・ホーンも
When you say water, what do you mean?
When you say water, are you talking about the weather or your self?
When You See Your Reflection in Water, Do You Recognize the Water in You?
って言ってたし
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