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【短編小説】フィリピン無情

拝啓筒井康隆先生 宿霧(セブ)的超虚構小説 フィリピン無情

99年8月末日起稿

筒井康隆の「虚構船団」これはすごかった。順番で言えば「朝ガス」(ちなみにこれは「朝のガスパール」のこと)より先に読むのが正しいといえる。朝ガスに登場する各種設定(虚構)がしばしば登場する。賢明な読者諸君の誤解を恐れずに言うならば、「虚構」という言葉は筒井文学の一つのキーワードである。誤解を恐れずに、とあえてことわったのは筆者がまだ筒井作品を「二冊」しか読んでいないという背景にあることを筆者はあえてここで否定するものではない。

 「虚構船団」が如何なる作品であるかといえば、これは北緯十何度かそこらのお気楽な島のお気楽なビーチでのお気楽なデッキチェアで暇つぶしに読むような文学作品ではあきらかに無い。でへへ、てめえ俺の本をビーチで読んでるな、許さん。俺が血と汗と涙で書いた文学を、おまえも血と汗と涙を流して飲みやがれ、いや読みやがれ、と迫るのである。今思わず、飲みやがれ、と書いてしまった今私の斜め前に座っている乗客が香港の免税店で買ったヘネシーを頭上の荷物入れからまさに落下させたからである。あーいやいや。エコノミーはつらいし狭い。


  で、話を戻すが、「虚構船団」のあまりの完成度、枚数の多さにはじめは適当に読み飛ばしていた筆者もついには作家の意図を知るに到り、そこは餅は餅屋、作家は作家屋、開き直って筒井文学からの宣戦布告に敢然と応じることに相成ったのである。従って、お気楽なビーチに居たにも関わらず、筆者に残された記憶の断片はすべてがすべて虚構船団」と、我が作品への執筆活動であったといってもこれ過言ではあるまい。ここで電話が鳴る。




第二話


ちりちりちり。部屋の電話が鳴っている。白い電話だ。「あ、巨匠。わたしです。ハヤカワJA担当の聖山で、はい。もうちょっとそちらの部屋を描写してくれませんかねぇ。全くわかりません」「うむ、そうだな。まず白い電話があった。南海の小島のせこいバンガローの電話だから、いい加減な電話を想像するかもしれないが否、さうではない。プッシュ式の電話で、0発信すればフロントまでつながる。側面には呼び出しベルを消音にするダイアルまであるぞ。まあ、のちにこのダイアルを操作してわたしは着信を拒否することになるのだ。そのわけはここでは書かない。とにかく電話があった。部屋そのものは広く、こざっぱりしてベッドメークも行き届いている。ホテルのマネージメントの並々ならぬ意気込みが末端の従業員まで行き渡っていると言える。歩けば10秒で海に出る。しかし窓からは直接海は見えない。それはバンガロー特有の屋根のせいだ。茅葺き風の屋根はポーチへ多い被さるように外に突き出している。これはスコール対策のためと思われる。南国のスコールはすさまじい。まさにバケツでもひっくり返したような具合だから、いい加減な屋根では持たない。大きく突きだした屋根によって、屋根を伝った雨水は家屋から遠い地面に注がれて、きわめて具合がよい。どうだ聖山。こんなので」「まあいいでしょう。くれぐれも描写力は鍛えてください。芥川龍之介などはこう言っています。『風呂にはいるという行為は簡単だが、これを描写するのは難しい』。「いわれんでもわかっとる。で話は何だ」「進捗確認です。執筆の方は進んでおりますか。万事順調、とあい存じ上げますが。。。」「うむ、いっとるよ。ちゃあんと朝から時間を決めて書いておる。2時からはプールで小一時間ほどバタフライの練習をしてまた書いておるぞ」「して如何程まで」「うむ、7、8割がたは書いたかな」「え、巨匠。締め切りは9月13日、そんな速度でよろしいのでしょうかいやよろしくないキー」「よいではないか。わたしも今はサラリーマンに身をやつしているもののよの、この作品が発表される頃には、これ町中大騒ぎ。紀ノ国屋の平積みブックランキングでも上位入賞は堅いと見た。それにそれ、あの土曜日にやっているだらだらと昼過ぎまでやっとるあの名前忘れたがあの番組の売れてる本欄キングにも出てるやろ間違いなくうん」「それはもうもちろんそのように存じております。私も巨匠の執筆旅行の資金捻出を社に申請したもので是非是非。ところであれ領収書はしっかりとひとつ平にお願い・・」ガチャリ。あら切れちゃった。右手の人差し指が独りでにこのフックを押してしまったか。うるさい男よのう。ちりちりーん。そして電話が鳴る。



第三話


おや、また電話だ。「モシモシ、ミスター巨匠?ワタシ、ロミロミよ。エボエテル?おとといクルマのせたでしょ?セブ空港からブルーウォーターホテルまで。アイランドホッピンしよう。スキューバしよう。云々かんぬん。オンナイルヨ。云々かんぬん。ガチャリ」うーん、ロミーのやつめ。いつの間に俺のルームナンバーを?そうだあのときか。俺がフロントで宿帳を書いていたときに盗み見やがったな。ロミー。ロミーよ。おまえは優しかった。エアポートからホテルまで運んでくれたロミーよ。しかし優しいのはおまえだけではない。この国ではみんな日本人に優しいのだ。例えばだ。俺がビーチに寝っ転がっているとする。作品の新たな展開、あるいは未だかつて誰も試みなかった実験小説の構想を模索してしばし黙考中だ。そこにどこからともなく声がする。ヘイヘイ。アイランドホッピングあるよ。シマメグリ、シマメグリ。ちなみにここは「グ」に力を入れて言ってくれたまへ。いったい誰が教えたかシマメグリ。ホテルのビーチは見渡す限りのホワイトサンド。元々の岩がむき出す海岸によそから人工的に白い砂をぶち込んだ、いわば「虚構」の砂浜であることは一目瞭然、みっつの子供にもわかる道理。でもでも、それでも君たちはこのスナハマに入ってくることはできない。スナハマ、スナハマ、「おもひでのスマハマ」はビーチボーイズの歌。君たちが入ってこられないのは腰にコルトをぶら下げた強面のガードマンが見張っているから。そうだ。このスナハマは君たちのものだ。我々のものではない。しかししかしだ。華僑か何か知らないが、やたら金を持ったおっさんがこのスナハマを買い取ったのだ。持てる者がさらに金を持つ。金のない君たちは永遠に貧乏だ。悲しき資本主義。だから君たちは手製のみすぼらしい3人乗りのアウトリガーのボートを白く塗りたくってリゾートっぽい雰囲気を精いっぱい装いながら、シマメグリ、シマメグリと声高に叫んでいるわけだね。一回100ペソ。乗るときにうっかり確認を怠った客には一人100ペソ、二人だから200ペソです、とへらへらと言ってのけるしたたかさ。

チリチリ。おっとまた電話ぢゃないかひ。


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