(3年遅れの)アイドルに人生を救われた話②
先日、久しぶりにnoteを開き3年半前の初投稿を読み直した。
「アイドルに人生を救われた話①」
うん。
①ね。
嫌な予感がしつつ読み始めたが、早々に予感は的中する。
「まずは2回に渡りアイドルにハマった経緯を私の大学生活と重ねながら書こうと思う。」(原文ママ)
「まずは2回にわたり・・・」
そう、当時の私はその②をあげるつもりでいたのだ。
そして、見事3年半もの間すっぽかした。
どうしよう。
前回の記事で「noteを継続的に投稿したい」と書いた。ここで続きを書けないようでは、きっとこの行動も続かなくなる。書くなら今だ。
しかし、時間が経ち過ぎている。今もアイドルは好きだが、環境も使えている時間も変わっている。当時と同じ感情では書けない。いっそこのままサボり続けて、怠惰キャラを守るのもありだな。。。
そんなことを考えながら、読み進めていった。
(そんな3年半前のnoteはこちら↓)
さすが大学生(当時)である。
勢い一つで書いたのだろう。構成なんて全く考えられていない。表現が堅苦しかったり、所々でカッコつけている。読み手が恥ずかしくなるような青い文章だ。だけれども、思うがまま、まっすぐに書かれている当時の文章は、お金が無いのにCDを買いまくり、周りの目も気にせずのめり込んでいたあの頃を思い出させてくれた。そして、こう思った。
『アイドルはずっと私の憧れ』
これは、学生の頃も今も、将来も変わらないなと。
ならば、今の私が書いてもアイドルの素晴らしさを伝えられるはず。
ということで、大変遅ればせながら②を書くことにした。このnoteでは3年半前の私が②で書くつもりであっただろう、大学2年の後期以降の大学生活とアイドルを重ねて書いていく。また、トップ画像でネタバレしているかもしれないが、このnoteで出てくるアイドルとは、日向坂46(旧けやき坂46)である。(彼女たち以外にも好きなアイドルはたくさんいるので①では特定しなかった。だけど、とある出来事を書くに辺り公表しといた方が分かりやすいのでここで書いておく。)
1. 名ばかり役員だった2年冬
欅坂46および、けやき坂46のおかげで、キャラを確立しそれなりに楽しい大学生活を送っていた私だったが、新たな壁に当たる。大学2年(2018年)の11月。所属していた合唱サークルの、次期会計になることが決まったのだ。
「会計やらない?」と同期に言われた。単純な私は「声を掛けられるって事は向いてるのかな〜」などという何とも軽い気持ちでOKを出した。しかし、私には致命的な問題があった。
サークルを知らなすぎる。
多くの団員は、1年生の後期に1年の流れ、必要経費などの説明を受ける。また、初めて上級生と共に練習し、ステージを作り上げる大変さ、終演後の達成感を味わう。そうやってサークルのへ知識や愛を深めていく。1年後期を休んでいた私は、それらが圧倒的に欠けていた。
昔も今も、ある程度の自信がないと動き出せない人間だ。何をするべきなのか良く分からず、周りの同期がやる気に満ちて、来年度の準備をしているのを眺める事しかできない。「完全になる役員間違えたな」と悟った。
2年の12月。時すでに遅し。
気づけば新年度が始まり、正式に会計となっていた。
そんな生半可気持ちでやっては、上手く行くはずもない。沢山の迷惑をかけた。それでいて「仕事ができない」というレッテルを貼られると思うと情けなかった(何とも自分勝手)。仕他分野で秀でているものも何もない。大学1年時から少しずつ薄れていた劣等感が私を再度支配していた。
「やっぱり、私ダメな人間なんだな。」
このままじゃダメだと思いつつ、私には無理だと目をそらす日々。
そんな時、またも彼女たちが私を変えてくれた。
2.日向の道へ、CDデビュー
2019年2月。
けやき坂46が、欅坂46から独立。日向坂46として正式にCDデビューする事になった。それは、アンダーグループとして欅坂46の影に隠れていた彼女たちが、欅坂46と対等になることを意味していた。
デビューに先立ち、メンバーそれぞれのドキュメンタリーが公開された。そこには、何かしらの劣等感を抱きつつ、変わりたいという思いでオーディションを受けていた彼女たちの姿があった。彼女たちは、オーディションに合格してからも厳しい芸能界に挫折し、自分なんかアイドルになれないと弱音を吐きながらもステージに立ちキラキラと輝いていた。
「私だけじゃないんだ」
彼女たちも私と同じように劣等感を抱え挫折を繰り返している。それを乗り越えた結晶として、ステージで輝きを放つ。私が直面している壁なんて彼女たちに比べれば小さいものだし、背負っているものも違いすぎるので、自分に当てはめるのはおこがましいのかもしれない。それでも思った。
「この壁を乗り越えたら、私なりの輝きを放てるのかな?」
「何かに挑戦したら新しい自分が少しだけ見えてくるのかな?」
それ以降、とにかくがむしゃらに働いた。四六時中、役員ラインをチェックして返信はすぐにして移動時間も仕事に勤しんだ。
新しい世界を見るために、ボランティアも始めた。とにかく負けたくなかった。周りに、そして、変われないと思ってた自分に。
その甲斐もあり、前期が終わる頃には信頼してもらえる様になった。プライドを持って、ひたむきに頑張ることができた。そして、後期も就活との両立に苦しみつつも、会計としての1年を無事完走した。
2019年が終わり、サークル活動が無くなってからも彼女たちには本当に勇気をもらい続けている。
コロナで就活が思うように行かなかった時、卒論が終わらず1人不安になった時、
社会人としての力不足を痛感し続ける今も、
彼女たちの曲で立ち上がる。
彼女たちの輝きの中にある挫折や不完全さに自分を投影する。そして、彼女たちの笑顔で束の間の幸福を噛みしめながら明日への活力にしている。
(それぞれの時期にどんな曲に救われたかも書きたいけれど、書き出したら大変なことになりそうなので割愛します。またどこかで書きたいな。)
3. みんな誰かにとってのアイドルになれる
結局、アイドルとは何なのか?
私の答えはこうだ。
「挫折や未熟さを力に変えて、幸せを与えてくれる存在」
挫折こそが、アイドルをアイドル足らしめる。
挫折や不完全さの数々とそれを乗り越えようと立ち向かう姿が、彼女たちの生き様となりアイドルの輝きを作る。そこに私たちは幸福感と勇気をもらって、応援したい!と感じるのだろう。もし、彼女たちがなんの挫折もなしにキラキラしているだけであったら、彼女たちとは住んでいる世界が違うんだと切り離し、さらに劣等感を抱いていただろう。決して「彼女たちのように頑張ろう!挑戦してみよう!」と勇気が湧くこともなかったと思う。
私たちもきっとそうだ。彼女たちとは挫折の次元は違うかもしれない。けれど失敗や劣等感、それに立ち向かう経験が自分の生き様になり輝くのだ。そう考えると、劣等感ばかりの人生も悪くないのかもしれない。その分だけ輝く可能性を秘めているのだから。
社会人2年目の今、「できたこと」よりも「できなかったこと」の方が圧倒的に多い。その反面、上手くいかないと「こんなの間違っている」と世の中に苛立つ自分もいる。本当にちっぽけな人間である。
でもそんな日々を、踠いて精一杯生きる。その中で少しでも誰かを笑顔にできていたら、その一瞬だけは、私はその人にとっての“アイドル”なのかもしれない。そして、今日も誰かが誰かのアイドルになっているのだろう。
「リホさんの笑顔が癒しだったよ。」
「リホさんが一生懸命だったから、「私も頑張らないと」と思いました。」
そんな嬉しい一言一言を忘れずにいたい。
そして、このnoteを読んだ人が一瞬でも苦しいことを忘れられたら、1人にでも読んでよかったと思ってもらえたら嬉しいな。
今回はアイドルそのものの魅力について書かせてもらった。登場した日向坂46は個性的なメンバーが多く、一人一人が魅力的なグループである。いつかそれについても存分に書きたい。
よし、今夜はひなあい、リアタイするぞ!!!