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人間をみる

会話をしていると、たまに、誰のターンでもない空白の時間が生まれる。
その場に打ち上げられたボールが、ぼんやりと宙に浮いて、誰も取らない・取れない・取ろうとしない時がある。



水曜の夜、鈴木先生と、1個上の先輩・Hさんと3人で「会食」があった。

目的は、Hさんのご機嫌伺い。今年度から院進されたが、あまり元気にのびのびと学生生活を送っているようには見えず、鈴木先生も私も心配していて、Hさんに声をかけてご飯でも、ということになり、「会食」の席が設けられた。


Hさんは去年まで、野球に剣道にバンドに小説に酒にタバコにと、実にカラフルな学部生活を送っていた。社交的な性格で、後輩のこともよく気にかけてくれた。ゼミの幹事も張り切って務めていた。


ただ、今年に入ってからは、研究室の面々とほとんど一切の交流を絶ってしまった。私は今学期休学していたので実際にみたわけではないが、同期いわく、授業に出ても、誰とも喋らず帰っていくらしい。
もともとそういう人なら、そこまで心配はしない。けれど、まるで人が変わったように交流を避けるようになったのは、やはり心配だった。



店の前に立ったとき、私はちょっと緊張していた。

だけど、Hさんの方がもっと、何倍も緊張していたと思う。渋谷あたりで日本酒を引っ掛けてから来たという。しらふでは来られませんよと苦笑した。つらそうだった。

でも、Hさんがすごいと思うのは、それでもなんだかんだ喋ってくれたことだった。実際、日本酒を呑んできたと率直に白状するあたり、Hさんが元来もっている人柄が見え隠れするように思えた。



会話をしていると、たまに、誰のターンでもない空白の時間が生まれる。その場に打ち上げられたボールが、ぼんやりと宙に浮いて、誰も取らない・取れない・取ろうとしない時がある。
そういうときに、ちょっと勇気を出してそのボールを取りに行けると、「仕事をした」という感覚になる。ただ、ときたま私のほかにも捕球しようとした人がいると、勢いよく衝突したりもするから、リスクのない行為とはいえない。喋るタイミングが被ると、さらに気まずくなる場合があるからだ。


そういうリスクをしょって、一声発した瞬間が、その晩はいくつもあった。



鈴木先生は、Hさんの話をよく聞いた。強く否定もせず、強く肯定もせず、基本的には耳を傾けて、Hさんのことをわかろうとしていた。

その上で、
好きなこと 研究したいことを見つけてごらん、とやさしく諭した。
その「見つけてごらん」は、全然押し付けがましくないのに、確かなあたたかさとつよさがあった。『耳をすませば』の主人公・雫のお父さんみたいだなと思った。


ただ、
院に行った以上は、研究をしていく責任がある、とも言った。
その「責任」は、その場で先生が発してきた言葉の中で、異様に重く響いた。
「責任」という言葉が宙に浮いたまま、誰も回収しようとしない数秒間が続いた。Hさんも何も言わない。


空気が硬直しかけたとき、意を決して

「ま、まあ時間かけて、ゆっくり見極めていけばいいんじゃないすかね」

と口走ってみた。
言い終わらないうちから、鈴木先生はふっと笑った。バランスを取ろうとした私が、おかしかったのだろう。でも、あれが私の本心でもあった。焦ってもいいことはない。とりあえず手をつけてみないことには何も始まらないけれど、「責任」がのしかかっては身動きが取れない。



個人的に、彼は研究者向きではないとずっと思ってきたし、本人にも去年そう言った気がする。

その晩の帰り道にもそう伝えた。
おせっかいだし、他人が口を出すことじゃないし、鈴木先生の方針とは異なるけれど。
資質や能力の問題ではなくて、性格的に、研究室はどうも彼の肌には合わないような気がした。外に出て、いろんな世界に触れて、いろーんな人間がいるなかで生活する方が、本人の性に合っていると思う。

ただ、彼はいわゆるサラリーマンとして生きることにあまり乗り気ではないらしい。毎朝7時に通勤電車に乗るような生活はしたくないという。私の行ってる会社は少なくとも、そういう会社じゃありませんよ、とでも言っておけばよかった。


根津の店を出て、本郷三丁目駅まで歩く。Hさんは30秒に1回くらい、ため息をついた。本郷台地のへりをひたすら登った。途中、Hさんはタバコを吸った。ひとくち吸うと、うめくように煙を吐いた。

池之端あたりで路上に立派な喫煙所を見つけた。
すると「Mとここでたまに会っていたんだ」と言った。


Mさんというのは、先輩や先生から熱視線を浴びる、期待のエース。
論文や研究書をたくさん勉強しているし、くずし字を信じられないほどスラスラ読む。

いかにも切れ者な雰囲気をまとっていて、2年の冬、廊下ですれちがいざまに目があったときは、それこそ白刃で切られたかと思ったほど。というのは大袈裟だけど、なんとなく近寄りがたい感じがした。
そして、ゼミではいかにも切れ者という発言をして、いかにも切れ者という発表をする。

だけど実際話してみたら、意外とよく笑う人で、冗談も言う。
Mさんと同期と3人で飲みに出かけた昨夏のある日、待ち合わせ場所に立っていたMさんは、首に淡い色のスカーフを巻いていて、それが妙に印象に残っている。
その日、お互いブラームスの1番が好きということがわかり、意気投合した。その後すこしだけ連絡を取り合った。Mさんはブルックナーが好きらしく、9番をおすすめされた。立川の図書館で調べものをしながら聞いてみたけれど、私は全く好きになれなかった。それがなんだか悔しかった。



Hさんは、Mさんと去年はよく2人で飲んでいた。が、今年に入ってからはめっきりないらしい。連絡もあまり取っていないという。これはどうにかしたい、と思った。だけど、とうの私もMさんと音信不通で、力になれるか自信がない。



しばらく歩くと、大学の裏門が見えてきた。久々の学校に懐かしさが込み上げ、なんともいえない気持ちになった。
となりのHさんは「来週からまたここに通うのか〜」と、つらそうな声を出した。私もHさんの立場だったら、同じように思うだろうなと思った。去年の今ごろ、私もまさに同じように鬱々としていたからだ。
Hさんの気の重さは痛いほどよくわかった。



「人と喋るのは疲れるね」
嘘だ。去年おととしと、何回か深夜に電話をかけてきて、朝まで喋りまくってたじゃないか。

「人と喋るのが怖い」
会食の席ではこうも言っていた。吐露してくれたことは嬉しかったけれど、薄々わかっていたことながら、「怖い」ところまで行ってしまったか、と内心冷え冷えした。


大学の構内を7、8分歩き、公道へ出た。すると、待ってましたと言わんばかりに、すぐさま2本目のタバコに火をつけた。
またうめくように煙を吐いた。そのとき「あ、大学のなかでは吸わないようにしてたんだな」と気づいた。



駅から二人で丸の内線に乗り、池袋でふたりとも降りた。おりる直前、「まあ、頑張るよ」とHさんは苦しそうに笑った。

ああこういう人だよなと思った。こういうときは、徹頭徹尾、「頑張れない」でいいのにな、最後まで「辛い」「苦しい」「気が滅入る」でいいのに。
別れ際、私に負の感情を渡したままにしたくなかったんだろうから、そんな取ってつけたような言葉で、強引に終わらせようとしたんだと思う。


でも、もし自分もHさんの立場だったら、同じようにそうやってお茶を濁すだろうなと思った。
Hさんのしんどさは、痛いほどよくわかった。


だけど、「頑張らなくていい」とは正直言えないんだ。
「がんばんなくていいですよお〜」そう言えたらどんなに楽かと思うけれど、冷静に考えて、頑張らないとどうにもならない世界に、彼はいる。
だから、頑張ることが「快」に直結する世界へ踏み出すために、いま少しだけ辛い頑張りを乗り越えて、ちょっとずつ目の前のことを切り崩してってくれたら…そう思った。




今週の質問:ランニングホームランの誰かについて、他己紹介してください!



もっちーさんを紹介します。


・「サングリア作ってそう」な人。
4月に開いていただいた私の歓迎会で、もっちーさんはサングリアをたのんだ。恩田さんかもつさんに、「もっちー サングリア家で作ってそう」と言われていて、「サングリア作ってそう」な人ってどんな人だろうと思った。


・人を独自の呼び名で呼ぶのが好きらしい。
オフィスから歓迎会のお店まで歩く道中で(駿台の前あたり)、はまさんがもっちーさんに私のことを紹介してくださった。
「あだ名はあーちゃん」と言われていたのに、「じゃあ私は彩乃ちゃんって呼ぶね」と楽しげに言ってきた。
すると、はまさん「あーでた、もっちーの…」
…そのつづきは車の音でかき消されて聞こえなかったけど、よくそうやって、自分だけのあだ名をつけたがる人なんかなと思った。

(どうでもいいことですが、そのとき、小学5年生のころ仲が良かった友達のことを思い出していました。その子は、私が誰からも「あーちゃん」と言われているのに、それに抗うかのように、ひとりだけ「池ちゃん」と呼んできました。それがすごく嬉しかった思い出があります。彼女とは、その後わたしが不義理をしたせいで、なんとなく気まずくなってしまった思い出もあります。甘さと苦さが同時に押し寄せる思い出です)


・これまた歓迎会までの道中で(ルミネの前あたり)、木下龍也という歌人が好きだと教えてくれた。
そのときに教えてくださった木下さんの歌はたしか

絶望もしばらく抱いてやればふと弱みを見せるその時に刺せ

だったような気がする。違ったような気もする。


・短歌がとても好き。ご自身でも作っている。とても綺麗なうたを詠む。道端に咲くすみれをめざとく見つけるみたいに、日常の隅っこにある小さな小さな「幽玄」をすくって歌にされる。


・小説も書く。初夏に佐賀(たしか佐賀)の文学賞を受賞された。


・剣道をやっていた。弟さんがいて、弟さんも剣道をやっている。


・浜松出身。浜松では、毎年たこあげ大会があったらしい。さぞ楽しかろう。


・6月なかばの休日に、浅草へ落語を聞きに行ったらしい。坂本龍馬に関するお噺だったそうだ。


・彼氏さんがいる。


・美大を1年休学し、上京してインターンやアルバイトをされていた。ウェブサイト制作の会社(?)と出版社で働いていた。


・近々引っ越しをする(もう引っ越しされたのかな?)。


・本がものすごく好きで、高校時代は図書館にある古典を読みまくって、テストにちょうど自分が読んだところが出題されたらしい。おったまげた。


・はまさんを、短歌の世界へ定期的に誘っている。


・たまに一人称が「おいら」になる。もっちーさんの「おいら」は、とてもかわいい。


・とにかく「幽玄」を探している。

「幽玄」について初めて話してくださったのは、ふたりでたこあげをした日だった。
「幽玄」ときいて、山の端にかかる朝靄を真っ先に思い浮かべた。まだほの暗い空に、おぼろげに山の稜線が見えて、雲か霞がたゆたっている。そんな情景が浮かんできました。
とても素敵だなと思った反面、「幽玄」という言葉が、私にとってはやや壮麗でおどろおどろしい雰囲気をもっていたので、最初は正直なところ若干違和感がありました。もっちーさんには似合わないのではないかと思ったんです。もっと軽やかな感じの方がいいんじゃないかと思った。

だけど最近は、「幽玄」って、実はやべえコンセプトなのでは!?と思い始めてきた。だって、それこそ朝靄みたいに定形がない。これのみが「幽玄」でえす!とは言えない。定義に広がりがある。これもあれもそれも「幽玄」だし、まだ見ぬ何かもきっと「幽玄」になりうる。

人によって思い浮かべるものが違うのに、でも「なんかいい」ってことは共通してる。そういう言葉ってなかなかない。すごいなと思いました。


※うろ覚えも多分に含まれているので、間違いがあるかもしれません。直すので、ご遠慮なくご指摘ください。

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