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自分で自分をためつすがめつ

最近、心が強くなったなと感じます。

いわゆる“お豆腐メンタル”ってやつを飼い慣らしていたときは、
ちょっとやそっとのことで、

ああ言えばよかった、ああすればよかった、あんなこと言わなきゃよかった、あんなことしなきゃよかった…

と、やたら悶え、唸り、歯噛みしていたはずなのに。ちょっと前までは。


最近は、
ま、いっか
と受け流せるようになってきました。

ランニングホームランのみなさんと関わったり、さわさんにメンタリングしてもらったりしたおかげです。
現在地がわかったというか、足場が固まったというか、そういう感覚です。


これを知らねば、あれを学ばねば…
そうやってジンベエザメみたいに何でもかんでも吸収しようと右往左往し、疲れ果て、中途半端におわり…を繰り返していたけれど、

コンセプトメイクに出会って、いやがおうでも自分と向き合って、だんだんと心の贅肉が取れてきた。

自分と向き合うって、あまりにも漠然とした言葉ですが、ランニングホームランでは、文字通り自分と向き合います。

まず何が快くて、何が不快か、あぶりだす。
次に、自分のなかに住む複数の人格を因数分解して、それぞれに名前をつけ、ためつすがめつする。
そんな会社、ないって。

その人はどんな姿?色は?形は?どういう性格?どういう技を持ってる?その人がいることで困ることある?…

ちょっと滑稽にも思えるこの行程を踏むことで、「自分」というものの模式図ができあがる。

ただあくまで模式図でしかないから、これが全てと思ってはいけない。ここ注意が必要だけど、でも模式図もなく茫洋としているより よっぽどいい。
模式図は、間違っていてもいい、正確でなくてもいいんだと思います。とにもかくにも一度、描いてみることが重要なんだと思います。
いったん描いてしまえば、どこが問題か可視化されるし、そこから何度も添削できる。


ちなみに私の主人格は、人の形を成していません。ただの空間。がらんどうの空間です。

イメージ的には、ハリーポッターが 最終巻のクライマックスで、亡くなったダンブルドアと対面する、あの不思議な部屋です。ハリーはキングスクロス駅みたいだといってましたね。白く明るいもやでおおわれています。

ただ、空っぽなんですわ。
スカスカしていることがずっと気持ち悪くて、いろんなものを集めてきて埋め尽くそうと躍起になっていたわけなのですが、

さわさまより、ひとこと。


自分で埋めようとしなくていいんじゃない?


あ、そっか…目から鱗でした。

「この部屋の鍵さえ開けとけば、いろんな人や物が入ってくるでしょ」
と、のたまう。

わたしは何もしなくていい、このままでいいんだ…
そう思えば、ストンと肩の力が抜け、さっぱりする。
さっぱりすると、本当に心が欲していることが、ふんわり見えてくる。

自分が知る、自分が学ぶ、自分が読む、自分が探す
のではなく
自然に入ってくるものを受け止める
そう思えばどんなに気が楽になることか。

ポジティブ思考とも違うんですよね、あるがままを受け入れるっていうのは。光にも闇にいかない。だから無理がない。


今週の質問:今年行った場所でオススメを教えてください。


神奈川近代文学館


“街の明かりがとてもきれいねヨコハマ、ブルーライトヨコハマ〜♩”
で、おなじみの横浜にあります(おなじみだといいな…)。

高校時代から何度か通っています。ここの学芸員になりたいと、一時期 本気で思っていました。
文学館そのものもさることながら、文学館めがけて歩く道々が楽しい。

元町中華街の裏手(南側?)から坂道をのぼった山手エリアにあります。おそらくむかし居留地だったのかな。一軒あたりの敷地が広く、造りもしっかりした家々が立ちならぶ高級住宅街です。ハイカラな雰囲気があって好きです。

館に隣接する「港の見える丘公園」は、バラがこれでもかというほど植えられてます(たぶん数百本)。ゴールデンウィークがベストシーズンでしょう。

今年のゴールデンウィークにも行きました。
まずオープンしたばかりの館内喫茶室で「岡本かの子の手毬鮨」をいただきました。手毬鮨は一つひとつまんまるくまとまり、テラっと光っています。小ぶりの醤油つぼにひたしたハケで、ネタに醤油をさっと塗る。ハケで醤油をつけて食べる経験がなかったので、新鮮でした。
腹ごしらえが済んでから、2階のホールで小津安二郎の『晩春』をみてきました。今年で一番、じっくりゆったり過ごした休日だったと思います。


市街にある歴史館とか博物館もいつか行ってみたいところ。横浜は近代史が詰まった土地なので、私にとっては魅力的な街なのです。



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