持ちつ持たれつで回る社会であって欲しいものですって話。
先週、弊社創設以来初となる社内合宿@伊豆高原を敢行いたしました。
山と海と湖に囲まれて「自分は何がしたいんだっけ?どうありたいんだっけ?」という問いに向き合う合宿でした。
寺本のコンセプトの現在地としては「ポンコツでも愛される世界」。
誰が決めたかわからない基準で仕事ができるできないとか謎の優劣レッテルを貼ったり、そのレッテルのためにマウント合戦が行われたりって、しんどいじゃないですか。
別に仕事ができなくても、ポンコツであっても、お互い思い合える人同士なら一緒にいて気持ちいいし、いい仕事もできると思うし、そういう人とそういう関係の中で生きていきたいなぁ、というコンセプトです。
でもまぁ、ポンコツの中でも愛したい人とそうじゃない人がいるんじゃないのといわれて「確かにそうだなぁ」と思い、ちょっとばかし考えてみました。
考えた結果、悪意とか攻撃性みたいなものを剥き出しにしてくる人が苦手かも。
誰しもがそうだとは思います。
思うのですが、僕はかなり顕著な方なんだろうなあと。
それは別に悪意でも攻撃的でもないでしょ、というようなものにもビクッとしたり、凹んでしまいます。
電車の中で無意識に足を広げている場面を見たり
威圧感や専門知識でマウントを取ろうとしている様子が透けて見えたり
やたら事務的な対応をされたり
フィードバックにかこつけて自分の苛立ちまで混ぜ込んだコミュニケーションをとっていたり。
自分の価値観が正しいと思い込んだ発信とか。
「さぁ、見極めてやるぞ」的な空気感が漂ってる打ち合わせとか提案とか。
向かいから歩いてきている人がいるのに、避けようとする素振りすらないとか。
肩がぶつかったのに頭も下げずにそのまま歩いていくとか。
的を射た意見や指摘でも、角を丸めようともしていない伝え方とか。
斜に構えて受け流して、陰で冷笑する空気感とか。
公共の場であるカフェやレストランでやたら大きな咳払いをするとか
あてつけのようなため息とか。
作業の進みが遅かったり、話の理解に少し時間がかかることを、まるで劣ってるみたいな前提で話したり。
少し前に詰めれば、後ろの人も入れるのに頑なに詰めようとしないとか。
挙げればキリがないのですが、日々そんなことに心臓がグッとなる次第です。
まぁ、32にもなるとそれを表に出さないようにとか、それでもうまくやっていく小手先のノウハウのようなものは体得しているのですが。
でも、その分取り繕うことで生まれるズレみたいなものが蓄積していって「人生向いてねぇ、くらげになりてぇ…」という瞬間が定期的に訪れるわけです。
そして、仕事において自分が少しでもマイナスなことを伝えなければいけない時は、上記の「攻撃的なこと」の基準が爆下がりします。
例えば、このデザインをもっとこうして欲しいと伝える。
いいものを作るためには必要なことだし、別に悪意も攻撃性もないコミュニケーションです(伝え方によりますが)。
でも、「こんな奴に朱入れられたらムカつくかなあ」とか「自分が作ったデザインにネガティブなこと言われると凹むだろうなあ」という思いがまず浮かんでくるんですね、幼稚ですが。笑
「そんなこと言うくらいなら、このままのデザインでいけばいいじゃない!別に正解もないわけだし」と言う自分を押し殺しながら、それでは僕がディレクターに立っている意味がないと言い聞かせてフィードバックするわけです。
別にディレクションに限らず、その人のためになることでもマイナスなフィードバックをするのはしんどかったり。
「ここをこうすると、もっとよくなるかもね!」と言いながら、「でも別にそのままでも死ぬわけじゃないし、こんなこと言われて凹ませるくらいなら言わない方が良かったんじゃない?僕の意見が正解なわけでもないし」と思ったり。
いやまぁ、その方が相手のためになると心底思って言ってるわけではありますが。
これは別に自分がフィードバックする場面に限らず、誰かが誰かにマイナスなフィードバックをしているのを見ると、語気や悪意の強さに関係なく「あらあら、大丈夫かしら、、、でも今『大丈夫?』って聞いても『大丈夫です』としか言えないだろうし、そうやって気を遣ったやりとりさせることとか、『寺本さんに気を遣わせてしまった』と思わせること自体が負担を増やしちゃうだろうから、何日か置いてから話の流れで自然に話せそうな時に少し様子を伺ってみようか」と考えたり。
(でもそのすぐ後に「いや、そんなに過剰に見守ること自体が厚かましかったり、成長を阻害したりするんだろうか。そもそも気にしてない可能性の方が高そうだし…」と思い直したり。)
とまぁ、ギスギスする空気とかにそういう空気に繋がる(と自分が思い込んでいる)ものがすべからく苦手なんですね。
なんか、別にコスパとか成長とか名誉とか実績とかどうでもいいから、ギスギスせずに純粋なギブアンドテイクで回っていく、持ちつ持たれつな社会にならないもんですかね?
より大きな成果や成長じゃなくて、よりみんなが笑って楽しくいられるかにコミットしたディレクションとかマネジメントってできないんですかね?
そうなりたいもんです。
と、総じて、およそいい歳した大人が何を…みたいなこと言ってますが、あるがままの自分を解放する試験運用期間なのでご容赦ください。自覚はございますのでご安心を。
人生、難しいぜ。
今週のテーマ:ランニングホームラン株式会社の「ここがいい」を教えてください!
自由なとこです。
どんなお客さんとやるか
どんなパートナーさんをアサインするか
一人でやるか、社員を巻き込むか
どんな案件を受けるか
いくらで受けるか
どんなアウトプットを出すか
どうスケジュールを切るか
出社するか家でやるか
何時に業務開始するか
何時に仕事終わるか
有給をいつ、何日取るか(上限なし)
自分のチームにどんな人を採用するか
等々、およそ書ききれませんが、ほぼ全て自分で決められるところが好きです。
大きなアジェンダだと「さすがに一言社長に相談しとくか」というケースもありますが、それでも大体「もっつがやりたいようにやれば?」という感じですし。
個人事業主ならともかく、(一応)株式会社でここまで自由な会社は、少なくとも日本には他にないと思います。笑