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呑み会という小宇宙。

4月以降、少々仕事が落ち着いたこともあり、案件でご一緒したクライアントさんや社内メンバーと呑み会をしています。
それがことごとく楽しくって。今日は、呑み会で生まれる何かについてお
話してみようと思います。

呑み会って小宇宙ですよね?

なんでしょう。呑み会でうまれる謎の重力ってありますよね?
大抵その場限りのもので、シラフになった途端に我に返りがちなのですが、呑み会でしか披露できないものというものが確かにある。

今まで思っていたけど、口にできなかったこと。
ベールに隠すことができない、正直な思い。

そういった本音の数々が飛び交うわけです。

なんで日頃のMTGでそれできんの?

お酒の力を借りて初めて自分のストッパーを外せる。
というのはあると思うのですが、
それプラス、相手側に対して「覚えちゃいまい」という気持ちもある?
(いや、そこまでは考えていないか)

まずは「言っちゃえ」が気持ち的に先行しますよね。
その注意力欠如な感じこそが「小宇宙」を生むのだと思います。

それを知っているのに、MTGでは出せないなぜ?

後先のことを考えられるか否か。

シラフのMTGでは、MTG後のことを考えています。
でも、呑み会では呑み会後の事はさほど考えていません。

つまり、今・ここ・すべてで判断している。
(判断してるっていうか、まぁノリ的な?)

でも、それって潔くてカッコいいよね。
それをシラフでできないのはなぜなんだろう。

失敗したことの理由がある。

おそらく、呑み会で玉砕しても「酒」という理由があるんです。
でもシラフの時はそれがない。自分自身が失敗の理由になってしまう。
そういうことなのだと思います。

酒って小宇宙だね。

酒は、偉大だね。
なんでも呑み込んでくれるんだね。

呑んで~呑んで~呑まれて~呑んで~
という名曲がありますが、なんだかかんだあっても大丈夫だよ。
という包容力が、酒にはある。
(ちなみに上記の歌では、女性には泪がある、と歌われています)

いい歌になっちまうくらいの包容力が「酒」にはある。
その懐に包まれて、今日もまたMTGではうまれない新しい失敗が生まれていく。これ、いいじゃないの。
それが歌になれば、万々歳じゃない?

いい酒は、いい歌を生む。
酒という文化も、大好きだなぁ。



今週の質問:「ぼくのかんがえたさいきょうのフェス」


都心型のフェス。野外型のフェス。
いずれも経験済なのですが「さいきょうか?」と言われれば、
そうでもないような気がしますね。

それはなぜか?て考えてみると…
「疲れてしまうから」ということのような気がします。

疲れること、もみくちゃにされること、ぐちゃぐちゃになること。
そういうこともひっくるめてフェスだよね、という価値観があるような気がしていて。
それはそれで大納得なのですが。

一旦、風呂はいって寝る暇をくれない?と思ってしまいます。

大雨の中、どろんこになって耐え忍んだ
ウッドロックとかBEATCHILDとかが伝説化されすぎな気も…。

でも、いいんだよな。たしかに当事者だったら、奇跡の思い出だよね。

という一方で、本当に個人的に「さいきょう」にしたいのであれば、
1日4組くらい、10Daysとかにしてほしいですね。
ラインナップにわがままは言いません。

その代わり、誰かのライブをこっちのステージで見るから、
あっちのステージを諦めよう、みたいなのをなくしてほしい。

ぜんぶ聴きたい。万全の状態で聴きたい。
場所取りとか、トイレとか、ビールとか、天気とか。
そういう憂いをなくしたい。   です。

温室ぬくぬくフェス。



風情ねぇな‥‥。

やっぱフェスは、まんまがいいのかな。
ぜんぶひっくるめて一体感を味わうのがいいのかな。

絶対そうだ。今のまんまでいいわ。
今日、この時、この場所で、味わう。

それが理想的であっても、そうでなくても。
それが、フェス。

あわよくば、時代を超えて
ビートルズとかジョニーキャッシュとかドアーズとか
ミッシェルとかホワイトストライプスとかが
ラインナップされていてほしいけど。

それが叶わない、今ここすべて、がフェスなんだよな。
って書きながら一周しました。

なので、フェスはいつだってさいきょう、です。

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