森岡毅氏が森永卓郎氏に返信したメールから

20200128_-誤った2項対立_チャンス

1/27の文化放送 大竹まこと ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録から一部文字起こし。この日のコメンテーター は森永卓郎氏。

 先日、西武鉄道が、西武ゆうえんに約100億円を当時改装すると発表。1960年代の日本をイメージした昭和レトロの街並みを再現する。US Jを再建した森岡氏が携わる。

 この件をニュースで知った森永氏が森岡氏にメールし、そのメールのレスについて紹介。このメールの部分を文字起こし。

「正直、このプロジェクトは最初から難易度は高いです。
しかし、だからこそ、我々は挑戦することにしました。
日本人がこのハードルを飛ばなくなってから、日本は停滞を続けているように思えるからです。          

 日本人のこころの琴線にふれる1960年代の世界観をつかって『幸せを売る』構造で勝負しようと考えました。
 いまある、老朽化した道具を変えるのではなく、ゲストの文脈を変えることで古さを逆に生かして価値に変える戦略を取りたいと思います。」

 いやー深い。この短い文面にあらゆることのエッセンスを含んでいる。
第4次産業革命時代における、マーケティング4.0の実践とは何か?ってことが全て書かれている。(といま的なキーワードを使ってみたが、昔からの原理原則だと思うけど)

 この手の予算としては潤沢ではない、むしろ少なすぎる予算という制約の中で、いま的な、人間中心の発想の起点からスタートして、何をどうする。不便益を価値に変えていくストーリーを描いて迷わず進む。(この次の、そして、その次のストーリーのイメージを描きつつ)

 できる、できない。わかる、わからない。儲かる、儲からない。まるか、バツか。Aか、Bか。理系か、文系か。ハード屋か、ソフト屋か。白か、黒か。

 2項対立するものを選択するとき、あたかも明確な境界がある気がしているけれども、よくよく観察してみると、実は、グラデーションになっていて、明確な境界はない。「できる」、「できない」。「できるかできないかわからない」の3つにわけられる。明確にわけられる「できる」「できない」の分別と、曖昧な「できるかできないかわからない」の未分別。
 この「未分別」が実は、肝で、ここの中身を考えることで新しい何かが生まれる。ある意味、チャンス!!という図を最近書いていたので、今回のメールのレスは、まさしく、この未分別とは?を説明するのに最適。

 こういうのを 「セレンディピティ」というのだなと実感。

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