広義すぎる「デザイナー」という職が生む「職種の溝」に想いを馳せる話
こんにちは!ひらやま(@rhirayamaaan)です。
今、私は会社で、フロントエンドの組織に所属しながら、デザインの組織にも所属しています。
つまり、溝にいます。笑
新卒で今のヤフーという会社に就職したときは「デザイナー」として採用されましたが、持っていたスキルは「マークアップエンジニアリング」でした。
しかも、私は教員免許も保持していて、当時は「授業デザイン」に対して大きな関心を抱いていました。
そんな状況の中で現在5年ほど社会人をやってきて、UI デザインやバナー制作をしたり、HTML や CSS を書きながら jQuery を愛してみたり、AB テスト案を起案してみたり、React や TypeScript でナウい書き方に感動したり、デザインシステムを作ってみたり、外部で講師をしたり、社内研修を組んでみたりと、いろいろなことをやってみました。
自分が社会に対してできるものは何なのか?という真面目な命題を掲げながらも、ふと気づいたら「全員くたばれ」と無差別に恨み、ぐじゅぐじゅに腐りながら生きていたこともありました。本当に文字通りゴミ…
色んな人に褒めてもらいながらがむしゃらに働いていて、その時はとても楽しかったはずなのに、気づいたときにはいろいろな職種の狭間にいることに気づいて、「結局、自分は何者なのか」がわからなくなっていました。
もう5年以上も働いて未だにこんなことを思っていて、何者かわからないとか中二病過ぎて頭大丈夫かよという感じなんですが、それでも悩んでいることには間違いないので、それを整理するためにも外化してみようかなと書き記してみた次第ですw
デザインとフロントエンドの狭間の話
巷では「デザインエンジニア」とか「UX Developer」という職種が出てきていますが、まだまだあまり確立されていない職種のように思えます。
デザイナーと呼ぶにはデザイン力はないし、フロントエンドエンジニアと呼ぶにはエンジニアリング力がない私は、おそらくその中間の「デザインエンジニア」という職種がぴったりなのかなと、ちょっとネガティブに考えてしまいます。笑
しかし、確実にこの「中間」の職能は必要なのかもしれない!と強く感じたこともありました。
その一つのきっかけになったのが以下の記事です。
きっかけになったと書いていて恥ずかしいのですが、これは自分が書いた記事です…笑
この記事は、デザインの話を軸にしているのですが、どちらかというとフロントエンドエンジニアに対して書いた記事です。
フロントエンドエンジニアが少しでも UI デザインに貢献していきたいと思ってもらえたらうれしいなと思って書いた記事です。
そんな気持ちで書いてみたら、まさかのこの記事が伸びる伸びる!!
もちろん賛否両論ありましたが、これほどまでに自分なんかの知識がみなさんに興味を持ってもらえるなんて、こんなにうれしいことはないな!と思ったのが正直な気持ちです。
そして、さらにその後に以下のような記事も書いてみました。
Atomic Design 自体の話は割愛しますが、これは逆にデザイナーに対して書いた記事です。
デザイナーに書いているのに Qiita に書いてよかったのかな。。とは思ったのですが、React のことも書くしいいかと思ってそのまま書いた記憶がありますw
こちらは、再利用性を考えながらパーツを作るのが苦手なデザイナーが多いなと感じたのと、そもそも Atomic Design の本に React が大量に書かれていて、もっとデザイナーの人には身近に Atomic Design を触れてほしいなと思ったのがきっかけです。
そしたら、まさかのこの記事も伸びる伸びる!!
自分の中で、「CSS の余白」と「Atomic Design」は両方ともデザインとフロントエンドの狭間だと考えていて、それをアウトプットとして出したら色んな人にシェアされて、しかも結構名のある方にも読んでいただけたのがとても印象的でした。
自分が記事としてアウトプットをすることで、誰かしらが何かしらを考えたり悩んだりしているのだろうかと思うと、まだまだ自分も捨てたもんじゃないかもなと思えました。
この2つの記事は、結局自分が勇気づけられるきっかけになりました!笑
おそらく多くの企業で、デザインとフロントエンドの狭間が必要だとも思いつつ、その職を確立しようとしたときに、
・組織やサービスにどのようなメリットがあるのか
・組織を作った際に、誰が所属しているべきなのか
・職能の評価は誰がするのか
などなどと、考えることがありすぎて悩みがあるのだろうなとは思います。
記事と投稿したりこの狭間で悩む方とお話する中で、世間の悩みを少し垣間見た気がして、みんなこの狭間に対して何かしら思っていることがあるのなら、自分も何かしらの形で共に悩めたらなと強く思えるきっかけになりました。
デザインと教職の狭間の話
冒頭でも述べましたが、私は教員免許を持っています。
なので、もちろん教育実習にも行きました(科目は高校の情報です)。
教育実習に行った経験がある私は、教育実習に行ったのに教職にはつかず、何も教育現場に働きかけられていないこと今でも気にかけています。
教育実習というのは、基本的には受け入れる側の学校は無償で教育実習生を受け入れます。
なので受け入れる側の学校は、教職を目指していない実習生は基本的には受け入れたくないはずです。
「なんか教員の免許持ってたら将来有利かもな〜」
という考えを持った教育実習生に、手取り足取り教えてあげるのは生産性がないですし、その実習生のためにもならないので、受け入れを渋る理由はよくわかります。
しかし私は、ヤフーに内定をもらいながら、教育実習に行きました。
もちろん、「有利かもな〜」という気持ちを持って行ったわけではありませんw
しっかりしていのか、ただ甘いだけなのか私にはわかりませんが、当時のひらやまはそれなりに一生懸命考えた上で、以下のことを挑戦するために教育実習に行きました。
・生徒の「好奇心」を掻き立てる環境を作れるか
・生徒が「学びたい」と主体的に思える環境を作れるか
上記は、社会人になってから社内研修を組んだときも、外部で講師をするときも、ブレずに必ず意識しながら授業や講義、ワークショップを作っています。
もちろん、上記のことを意識しているには理由があります。
私は中学生のころまでは特に勉強がべらぼうに苦手だったのですが、それでもいくつか勉強した内容というのは覚えているものです。
(あまりに基礎知識がなくて恥ずかしいこともたくさんあるのですが…)
私の場合、そういう覚えている内容というのは、
「え? それってどういうこと? もっと知りたい…!」
と、自発的に思えたことなのです。
「先生が昔、授業のときに○○って言っていてさ、それ今でも覚えているんだよね〜」
というのは、割と多くの人が経験しているのでは?と思っていて、これはおそらく先生が伝わりやすくなるように、その伝える内容の伝え方を「デザイン」したからなのだと思っています。
その経験から、「自分も同じように生徒が楽しく学べる環境をデザインしたい!」と強く思ったので教育実習に行きました。
基本的に、授業というのは「指導案」という、授業実施者が作成した授業の設計書に基づいて進められます。
先生方は忙しくてなかなか指導案を作る時間がないのも事実ですが、多くの先生が「生徒が学びたくなる環境」を考えながら授業を組み立てているはずです。
つまり、その授業を組み立てるということは、生徒というユーザが抱える「学び」という課題を、いかに共に解決してできるかをデザインすることなのだと思います。
これは大学生のときに、研究室の担当教員だった上平先生(@peru_g13)に言われたことを思い出したときのつぶやきです。
これは教職の文脈で相談をさせていただいたときに教わったのですが、結局社会人になってサービスを作っているときも、多くの人が「ユーザにさせる」と言っている気がします。
たかだか言い回しではありますが、されど言い回しです。
私は、デザインは「課題を解決するもの」だと思っています。
その本質を忘れないためにも、やっぱり主語をすり替えるのは大きな問題だと感じますし、主語を自分たちにしている時点で「ユーザ目線」なんて軽々しく言ってははならないなと感じます。
私は、教育実習に行ったからこそデザインと向き合えた気がしますし、デザインを知っていたからこそ教育現場の課題に向き合えた気がします。
だから、教育現場に働きかけていないこと自体に課題を感じているのだと思います。
これが呪縛なのか、良い課題意識なのかはわかりませんが、課題解決をユーザとつくり手で協力しながら実施できるような場をデザインできたらいいなと考えています。
(こういうのを Co-Design というんですかね?どなたか教えてください…笑)
デザインとひらやまの狭間の話
いろいろと語ってきましたが、ここまで思ったことは2つあります。
・デザイン、エンジニアリング、教育の3つは自分からは切り離せないということ
・自分は「デザイン」をベースに物事を考えているということ
デザインをベースに考えているのはデザインという言葉があまりにも広義だからだろうなとも思いますw
でも、はっきりと言えることは、エンジニアリングであれ、授業デザインであれ、「考える余白をデザインしたい」と自分は感じているのだと思います。
例えば、私がなぜ Atomic Design に取り組んでいるかというと、デザイナーが UI パーツを作ること自体を考えるのではなく、その UI パーツを使って、サービスの課題をどうデザインで解決するのかをデザイナーに考えてほしいから、Atomic Design を使って UI を共通化しようとしているわけです。
(なので実を言うと別に Atomic Design である必要はないわけです。)
私が Atomic Designで「UIデザインのインフラ」をデザインするということは、UI デザイナーやフロントエンドエンジニアがユーザとなります。
つまり、そのユーザと共により大きな課題に取り組む「環境」をデザインしているから、私は UI の共通化を進んで実施しているのです。
これは抽象化すると、授業デザインをする心持ちとかなり類似します。
「生徒」がより学べるように、授業という「学びのインフラ」をデザインして、ユーザである生徒がより楽しく、好奇心に溢れ、新たな学びを得られる「環境」をデザインしているから、私は進んで授業やワークショップをデザインするのだと思います。
記事を書いたときに「うれしい」と思えたのも、自分が書いたものを糧に、新たに考え、悩んで、次に自分ならどうしていこうかと考えていける材料を作れたことに、私は喜びを感じます。
こちらは naoさん(@yamanayama)をフォローさせていただいたときにいただいたツイートで、飛び上がるほどうれしくて、まじで記事書いてよかったと思いましたし、こんなこと言ってもらえたよ!と友人や同僚に自慢するほどにはうれしかったですw
せっかくデザインを知ったので、誰かのために生きていたいし、誰かの役に立ちたいなという気持ちがあるんだろうなと思い始めてきました。
そうなってくると、自分はデザイナーなのか、エンジニアなのか、教育者なのか、職種に関してはもうどうでもよいのかもしれません。
もちろんデザインもエンジニアリングも教育も外せないのですが、職種名は案外何でもいいのかもなと思うようになりました。
なんなら、もし自分と全く同じような働き方をしている人の職種名を「ひらやま」としてもいいかもしれません。
未来を切り開く「ひらやま」を大募集!
新たな環境で、私たちと一緒に働いてみませんか?
まぁ悪くはないですね。個人的には気持ちいいです。
職種名がないとなかなか転職もしづらい世の中ではありますが、同じ UI デザイナーだとしても、プランニングが得意な人もいればグラフィックデザインが得意な人がいたりと様々な人がいるわけで、結構今の世の中は職種名に固執している感じもします。
ただ狭間を生きるというのはとても難しく、理解もされづらく、評価もされづらいので、ぐじゅぐじゅに腐るぐらいには自分も悩みましたw
なので、そんないろいろな狭間に生きる自分が、少しでも他の狭間で生きる人たちの役に立てるように、こうしてたまに、個人で記事が書いて、考える余白を生み出せていけたらいいなと思っています。
結局未だに自分は何者で、何ができる人間なのかはわかりませんが、少なくとも、誰かの役には立てそうだというところで一つ勇気づけられて、また一歩強く生きていこうかなと思った次第です。
以上、職種の溝に想いを馳せる話でした!
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