服は境界線 ~あきやさん講演会
先日第3回目のあきやさんの講演会があり、アーカイブで拝見しました。
中身は盛りだくさんで、手元のメモはどっさりなのですが、全体にどんな感じだったかは、多くのJJGのnoteにお任せして、今回は自分に刺さったことを、自分にひきつけて勝手に、自分の頭の中の点繋ぎで出てきたことを書いてみたいと思います。
私の良くない癖なのですが、こういう3回連続講演会とか、その方のツイートとか拝見すると累積的に勝手に頭の中の話をアップデートさせてしまって、興奮して他人に話すと
はて、そんな話してましたっけ?
となることがままあります。
そしてアーカイブ2.5回ぐらい見たけど、このへんで言ってるとかがあまり自分で特定できないので、そこは諦めました。もし間違っていたら、ひとえに私の解釈あるいは謎アップデートのせいなのでご勘弁ください。
※毎回文体が定まらなくて恐縮ですが、今日はですます調の気分なので、こんな感じで。ちなみにトップは星の王子さまにでてくる「うわばみが象を呑んでる図」です。みっちり感が境界線からイメージされたので。
自分のための服を着る=境界線をひく
講演会では「勝手力」「自作自演力」「自画自賛力」の3つの力についてお話されたわけですが、私にささったキーワードは「服は境界線」なので、主に「勝手力」の話になるかと思います。
服を制限されるということは行動を制限されるということ、ということで親やパートナーの好み・制限で服が着られない人は自分の人生が生きられないというお話がありました。
自分を振り返ってみると、小学生高学年ぐらいにピンクのひらひらを着せたい母とそういうのが大嫌いな私でバトルして、相談なく買ってきたものを一切着ないというなかなかアグレッシブな方法で独立した記憶があります。未だにピンクは苦手。最初のnoteにも書いたきがしますが、母と着るものを買いに行くというのは苦痛で(母の洋服の買い物に付き合うのは全然かまわないが、そうするとあなたの分を買いましょうとなるのでなるべく行かない)、現在に至るまで少々危機感(浸食される感)を持って断っています。
つまり、結構意思をもってこの境界線を維持しているってことで、「気にならない」まではもう少し修行が必要そうです。この経験が、試着苦手につながっているのだとわかっているのですが、なかなか得意になれないのは困ったものです。
この人には言っても大丈夫と思われがち?
では勝手力には問題ない?かというとそこはそうでもないのです。
自問自答ファッション教室に参加したときに、「年中おんなじような格好をしているといわれる」「自分の好みでない服を薦められて、ことわるとこだわりが強いといわれる」というのが私の最初に書いたお悩みでした。
ね、「いわれる」ってばかり言っている。
今考えると結構失礼なこと言われてるなあと思うし、同じ服を365日着続けているあきやさんを知ってしまえば、「好きできてるんだからいいじゃん」となったのはこの1年の成長と言えるかもしれません。今年の夏はほぼ同じスタイルで乗り切りました。
問題はこの「いわれやすさ」です。私が「気にしい」だ、で済めばいいのですが、自分のこれまでを振り返ってみるに私は多分他の人からみて「言いやすい人」なのかなと思います。あと、あまりに失礼なことを言われるとフリーズして言い返せないというのもあります。
道をきかれるとかシャッターを頼まれるとかは、もちろん(!)多いのですが、結構写真を撮っているときに声をかけられるのが実は嫌なのにあります。
写真を撮りに出かける時って、友人と一緒に撮りに出かけても撮りたいものや撮り方が違うから、基本それぞれ別行動。自分なりにあーでもないこーでもないと考えながら撮っているところに突然知らない人がやってきて「何を撮ってるのですか」(見ればわかるだろう(# ゚Д゚))とか、わざわざ隣に陣取って話しかけてほしそうに独り言を言ったり…(こういうバターンはカメラを持ってる人が来る)。そういうことは友人には起きないので、「声かけられたことなんてないよ」と言われて、うーんうーんと頭を抱えています。
最近は、来そうだなと思うと心の中で「来るんじゃねー(# ゚Д゚)」と唱えていると伝わるのか防げますが、疲れるのであまり人が来ないところに行くようにしています。
こういうことを考えるとやっぱりちゃんと境界線をひけてないのかなあ、と思うわけです。
教室の時もあきやさんに、強い服をきることで他の人からの干渉を防ぐこともできる話や、自分の本質とは異なるファッションになっている可能性について(かっこよくいたいのにカワイイファッションをしている的な)教えていただき、なるほどなるほどと思ったのでした。
自作自演と自画自賛
とはいえ、自分は「カワイイ」がむしろ苦手で普段は「シンプル」とか「ナチュラル」とかな方向の格好をしているので、弱いのではなくあまり境界を感じてもらえないということなのかなと思っています。
となると、やっぱりどういう風にみてもらうかセルフプロデュース(自作自演)することが大事になってくるのかなと思います。糖衣ではそのあたりかなり考えているけれど、楽しくないのですよね。自分らしさとの折り合いがつけられていないから、かなと思っているので、もう少し外向きの仕事用の糖衣もうまく選べたらなと考えているところです。
以前書いたスーツの話はこちら
境界線を意識してもらいやすい格好ってなんだろねえ。個人的にはそれが色気だと嬉しい(おそらく間違った方向にいくと凄みとかになっちゃう)。
あと「自画自賛」についてはファッション以外で実感しているので、ものすごい納得でした。仕事で申請書とか企画書を書くのですが、その時に自分なりに「おー、なんか自分結構いいことかいてるよねー、こんなことにもあんなことにもつながるし、サイコー」って頭の中に汁(ドーパミンなのか?)が出てる時に書いたものって、大体通る。逆に「今年はイマイチだったなあ、でも色々やってはいるから書かねば……」みたいな時は大体うまく行かない。
普段着るものでも、また糖衣の時も「サイコー」って思って着れるようになるといいなあと思いました。
コンセプト会のワークは……
今回のあきやさんからの宿題はコンセプト活動の一環としてなんか会をやるってこと(あってる?)だと思うのですが、これが思い浮かばない……。
需要がなくてもやりたいことをやる!ってことで、きっと受けないとかは考えなくてよいとしても、これをお伝えしたい!ってなんだろう。↓の話にも書いたように、その道の専門家がいっぱいいそうなTLであえて私が話せることなんてあるんかい?と思っちゃうのですよね。このあたりはまだまだ自作自演力・自画自賛力が足りないところなんだろうなあ。
講演会のアーカイブ見られるのもあと1日ですが、大変中身の濃いお話がいっぱいでした。あきやさんいつもありがとうございます。