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トライを続ける男の話
彼は燃えていた。
50mは先にいただろうか。
遠くからでもひと目で分かるほどに、異様な空気を放っていた。
何がそこまで彼を駆り立てているのか分からないが、
まるで選挙演説で市民一人ひとりに政策を訴えかけるように、
熱を発している男がいた。
高校に入学して1週間ほど経った頃だろうか。
放課後、どの部活を見学しようかなと悩んでいたところに、彼は現れた。
彼はラグビー部の顧問として、グラウンドのそばで新入部員の勧誘を行なっていた。
「ラグビーは紳士のスポーツだから」
「一度やってみたら絶対にハマるよ」
「とにかく体験会だけでも来てみて」
さまざまな言葉で新入生に声をかけていく。
どの部活よりも、どの生徒よりも熱心に勧誘していた。
あれ?と思う。
うちの高校にラグビー部なんてあったっけ。
※ ※ ※
彼とラグビーの出会いは高校時代だったようだ。
すぐさま魅力に取り憑かれ、のめり込んでいった彼は、
大学選びもラグビーを軸に考え、全国でも屈指の強豪校に一般受験で入学した。
しかし、いざ入部してみたものの、さすがは全国指折りの名門大学。
高校時代に全国大会に出ていたような猛者ばかりで、
身長160cmほどしかない彼は、一番下の9軍からのスタートとなった。
9軍。果てしなく下である。
プロ野球ですら3軍までしかないのに、その3倍。
けれど、彼はそこから這い上がった。
諦めない心。必死の努力。
そんな簡単な言葉では済ませられないほどの、
文字通り血の滲むような想いで過ごした4年間だったという。
体が小さくてもできること、小さいからこそできることを突き詰めた結果、
4年時には見事に1軍にまで上り詰め、試合にも出るようになった。
その後、学生時代にやり切ったと思えたラグビーは、大学生活と共に別れを告げ、
卒業後は警察官への道を選ぶ。
けれど月日が経つにつれ、あの頃の興奮と、感動と、夢を、何度も思い出すようになった。
彼の中からラグビーへの熱を消し去ることは、どうしてもできなかった。
そこから一念発起して大学に通い直し、教職を取ると、
新任の先生として高校に初めて就いた。
そこで話は冒頭の場面に繋がる。
※ ※ ※
野球・サッカー・バスケ・テニスなど、主要な運動部はあったが、
僕の通っていた高校にラグビー部はなかった。
それならばと、0から部を立ち上げることを決意し、新入生を勧誘していたのだ。
マンガやドラマじゃないんだからと、心のどこかで笑っていた人も多かったと思う。
けれど、彼は本気だった。
結局、初年度には1年生が10名ほどしか集まらなかった。
15名で試合をするラグビーでは、1チーム分にも満たない人数。
”ふつう”の県立高校だったので、いわゆる”ふつう”の高校生たちばかり。
集まった人たちも、もちろん全員が初心者。
入部を決意した同じ中学出身の友人も、中学時代はソフトテニス部で、
お世辞にもラグビー向きの身体とは思えなかった。
※ ※ ※
部が発足してから、彼の指導にも熱が入る。
これまで培ってきた彼のラグビー理論、科学的な根拠に基づいた適切なトレーニング方法、
大学時代のつてを活かして社会人の選手を練習に招くなど、様々な工夫が散りばめられていた。
着実に成長を続け、他校と合同でチームを作り練習試合にも臨んでいたが、
相手は当然2〜3年生の経験を積んだ人たちばかり。
始めて数ヶ月の初心者が勝てるはずもなく、練習試合も負け、負け、負け。
100-0のスコアで大敗するような試合も、一度や二度ではなかった。
けれど、一つ学年が上がり新入生を迎えた頃には、
チームは少しずつ変わっていた。
2年・3年と、彼は私のクラスの担任でもあったので、
ラグビー部の部員が変わっていく姿を、特に身近に感じていた。
中肉中背で、どちらかというとスラッとした体型だった友人も、
ワインボトルのような腕、丸太のような太ももに。
1年前とは別人のような姿になり、見違えるように身体が大きくなっていた。
新たに新入生も加わるとようやく15名を超え、ひとつのチームとして活動を開始。
試合では勝ったり負けたりを繰り返してはいたものの、確実に白星の数は増えていき、
1年前に100-0で負けた高校にも、勝利を収めるまでに大きく成長を遂げていた。
他県で全国大会に出場するようなチームとも互角以上に渡り合い、
僕と同学年のキャプテンは関東ユースにも選ばれた。
(一つ下の後輩は、後にエディー・ジョーンズからも目を付けられ日本代表合宿にも参加していた)
ROOKIESだとか、スクール☆ウォーズだとか、
マンガやドラマの世界だと思っていたことが、
現実に、しかも目の前で起こっていった。
※ ※ ※
今でも事あるごとに、彼の姿を思い出す。
直接ラグビーを教わったわけではないけれど、
その生き方や姿勢に強く影響を受けてきた。
初めて出会ったときから数えると、もう13年以上。
それだけ長い年月が経ってもなお、当時の熱をまだはっきりと感じることができる。
彼は今でも、高校でラグビーを教えている。
あくまでも公立高校の教師であるため、数年経つと別の高校への異動を命じられてしまう。
どれだけ素晴らしいチームを作っても、どんなに良い選手を育て上げても、
自分の意思とは関係なく手離さなければいけない時がくる。
けれど、そんなことは彼にとって関係ない。
今も、新しい高校で部員6名の状態から27名にまで増やし、
また新しいチャレンジを続けている。
今年7月にはイングランドの高校を招き、
ラグビーの試合と共に、日英の文化交流も行なったようだ。
「幸せを更新し続けていってください」
という、卒業式の時にもらった言葉を、誰よりも体現している姿にまた勇気をもらう。
今年、2019年は日本でラグビーW杯が開催される。
試合を見ながら、きっと、また彼のことを思い出すだろうなと思う。