時が過ぎるということ
こんにちは。
2回目の投稿です。
ただいま、地元から仙台に戻る道中です。
コロナ禍ではありますが、やっぱり地元が一番羽を休められますんで、感染対策のうえこの年末年始も地元に帰ってました。
これは地元に戻る度に毎回思うことなんですが、ああ、やっぱり時間って流れるんだなあって。
すごい当たり前のことなんですけど、悲しいくらいにそう思います。
仙台で一人で過ごしているときは、日々それなりに忙しいもんですから、時間の経過ってあんまり意識しないんですね。
毎日見る風景も、顔を合わせる人も一緒なんで。
もちろん少しずつ変化はしてるのでしょうが、些細な変化にはいちいち気づきません。
一方の地元はと言えば、変化にしか目が向かない。
父も母も有難いことに健在ではありますが、耳が遠くなってたり、疲れが体に出やすくなってたり、ああ、老いたなと、至るところで感じます。
そしてそれが、僕にとってはすごく悲しいことで。
幼少期に愛情を注いでもらったときの記憶、そのときには元気だった親の姿が色濃く残っているだけに、老いていく姿を見るのがただただ悲しくて泣きそうになるんですね。
よく人は言います。
変化を前向きに受け止めろ、立ち止まらずに前に進め、と。
もちろんそれが大事なことであるというのはわかりますし、僕自身前に進むことが楽しいと感じる場面はあります。
ただそれでも、人が老いていく姿を見ることには全く慣れない。
時の進み方の悲しい側面は、まだどうしても受け入れられないし、受け入れたくない。
そんなことを言っているうちはまだまだ子どもだなと。
でも一方で、じゃあ大人っていったい何なんだろうなと。
そんなことを、たまに考えます。
もやもやとともに、人は前に進むしかないのだろうか。